「あおもり歴史トリビア」第714号(令和8年8月14日配信)
2026/08/14 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第715号(令和8年8月14日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。先週は昭和11年(1936)11月、青森市が県立青森高等女学校・青森県女子師範学校の敷地の買収を決めたところまでお話ししました。今回はその続きです。
県は県立青森高等女学校・青森県女子師範学校の2校の移転先として複数の候補地を検討し、市立青森高等女学校(現県立青森中央高校、当時の校舎は現在の浦町小学校附近)の南方地区を選びました。現在のポリテクセンター青森附近(中央3丁目)とみられます。当時、この地区では橋本第一土地区画整理組合による区画整理が進められており、組合の代表者と県の担当者の間で交渉が行われました。交渉は難航しましたが、県は昭和12年4月23日に土地の買収を内定しています。
附近には市立青森高等女学校のほかに私立山田高等家政女学校、私立東奥家政女学校があることから、『東奥日報』は2校の移転により「女学校街」が形成されると伝えています(昭和12年4月24日付朝刊)。
しかし、このあと2校の新築・移転計画は宙に浮いてしまいます。その背景にあったのは社会情勢の変化でした。昭和13年11月に行われた県会の一般質問で長内長五郎議員が2校の新築・移転問題を取り上げた際、校舎は「事変とともに建築不可能となり、敷地は草原となって荒廃している」と状況を説明しています。「事変」とは日中戦争(当時は「支那事変」と呼称)のことです。
長内議員の質問に対し、小河知事は政府が節約を求めていることなどを説明し、2校の建築にかかる予算は「繰延べ」していると答えています。つまり、戦争の影響により2校の新築・移転計画は延期されたのです。その後、2校が市立青森高等女学校の南方へ移転することはありませんでした。
最後に、前回の冒頭で触れた市立第一中学校の校舎新築についてお話しします。2校の跡地へ移転する計画を断念した市は新たに土地を探し、昭和17年1月時点では浜館村の競馬場跡地を有力な候補地と考えていました。しかし、価格の面で折り合いがつかず、改めて土地を探すことになったといいます(1月7日付『東奥日報』朝刊)。そして、翌2月に合浦町の土地(現在の浪打中学校附近)を取得することが決まりました(2月5日付『東奥日報』朝刊)。
第一中学校の新校舎は昭和17年11月に完成し、翌月、移転を完了しました。この校舎は昭和20年7月28日の空襲で焼失を免れ、昭和40年まで使われました。
※『青森県議会史』自昭和十一年至昭和十五年(青森県議会 1973年)、『青森市議会史』大正・昭和戦前編(青森市議会 1985年)を参考にしました。
玉)
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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県は県立青森高等女学校・青森県女子師範学校の2校の移転先として複数の候補地を検討し、市立青森高等女学校(現県立青森中央高校、当時の校舎は現在の浦町小学校附近)の南方地区を選びました。現在のポリテクセンター青森附近(中央3丁目)とみられます。当時、この地区では橋本第一土地区画整理組合による区画整理が進められており、組合の代表者と県の担当者の間で交渉が行われました。交渉は難航しましたが、県は昭和12年4月23日に土地の買収を内定しています。
附近には市立青森高等女学校のほかに私立山田高等家政女学校、私立東奥家政女学校があることから、『東奥日報』は2校の移転により「女学校街」が形成されると伝えています(昭和12年4月24日付朝刊)。
しかし、このあと2校の新築・移転計画は宙に浮いてしまいます。その背景にあったのは社会情勢の変化でした。昭和13年11月に行われた県会の一般質問で長内長五郎議員が2校の新築・移転問題を取り上げた際、校舎は「事変とともに建築不可能となり、敷地は草原となって荒廃している」と状況を説明しています。「事変」とは日中戦争(当時は「支那事変」と呼称)のことです。
長内議員の質問に対し、小河知事は政府が節約を求めていることなどを説明し、2校の建築にかかる予算は「繰延べ」していると答えています。つまり、戦争の影響により2校の新築・移転計画は延期されたのです。その後、2校が市立青森高等女学校の南方へ移転することはありませんでした。
最後に、前回の冒頭で触れた市立第一中学校の校舎新築についてお話しします。2校の跡地へ移転する計画を断念した市は新たに土地を探し、昭和17年1月時点では浜館村の競馬場跡地を有力な候補地と考えていました。しかし、価格の面で折り合いがつかず、改めて土地を探すことになったといいます(1月7日付『東奥日報』朝刊)。そして、翌2月に合浦町の土地(現在の浪打中学校附近)を取得することが決まりました(2月5日付『東奥日報』朝刊)。
第一中学校の新校舎は昭和17年11月に完成し、翌月、移転を完了しました。この校舎は昭和20年7月28日の空襲で焼失を免れ、昭和40年まで使われました。
※『青森県議会史』自昭和十一年至昭和十五年(青森県議会 1973年)、『青森市議会史』大正・昭和戦前編(青森市議会 1985年)を参考にしました。
玉)
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