「あおもり歴史トリビア」第717号(令和8年8月28日配信)
2026/08/28 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第717号(令和8年8月28日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
5月8日配信のNo.701で、今年営業100周年を迎えた市営バスの創業期のエピソードをひとつご紹介しました。今回も、市営バスの話題を提供します。
青森市営バスは、すでに乗合自動車事業を始めていた篠原善次郎から自動車等の寄附を受け、大正15年(1926)4月11日から運行を開始しました(『東奥日報』大正15年4月10日付朝刊、以下『東奥日報』の引用は日付のみ)。もともと篠原の考えとしてはバス(乗合自動車)事業は市が担うべきであり、自身はそのための資金を寄附するという線で市と交渉をしていました(大正12年7月14日付朝刊)。しかし、市では篠原の申し出を拒否しました(昭和2年3月29日付朝刊)。理由は、先行して実施している地域で経営がうまくいっていなかったこと、そして雪国青森では冬季間積雪で運行ができなくなるからです(同前)。
そこで、篠原は大正13年4月17日もしくは18日、自身で乗合自動車の事業をスタートさせることになったのです(大正13年4月19日付18日夕刊)。当時の篠原は「十分な成果が達成されたならば、再度市に移管して『市営』事業にしたいという腹積もりです」(大正12年7月14日付朝刊)といい、大正15年春にそれが実現したのです。
ところで、こうした背景を踏まえて通説を読んでみると、青森市はちょっと理解しがたい行動に出ています。というのは、青森市は篠原善次郎とほぼ同時期に乗合自動車事業に乗り出そうとしているのです。通説では「一時は私営と市営の競合が危惧された」とか「篠原と青森市の乗合自動車が競合する可能性が出た」と評価しています。
そしてその根拠として、観桜会までに運転を開始すべく「大正13年3月18日」から知事官邸の近くに市が(バスの)車庫の建設を始めたことをあげています。市が篠原の申し出を断ったときの2つの理由はどうなったのでしょうか…。通説では市の方向転換についての言及は一切ありません。
そうなると、自分自身でこれを解決しなくてはなりません。意を決してまずは新聞を繰り始めてみたところ、案外と早く決着しました。青森市が車庫の建設を始めたのは大正13年ではなく、「大正15年3月18日」のことで、これを伝える記事の見出しには「青森乗合自動車は観桜会に運転する」とありました(大正15年3月23日付朝刊)。つまり、通説は年代を丸2年遡らせていたとみられるのです。ですから、市(市営)と篠原(私営)の乗合自動車が競合するようなことはもとよりなかったのです。
この筋で整理すれば、篠原乗合自動車から青森市乗合自動車(市営バス)誕生のストーリーが矛盾なく理解できるのではないかと思います。
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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青森市営バスは、すでに乗合自動車事業を始めていた篠原善次郎から自動車等の寄附を受け、大正15年(1926)4月11日から運行を開始しました(『東奥日報』大正15年4月10日付朝刊、以下『東奥日報』の引用は日付のみ)。もともと篠原の考えとしてはバス(乗合自動車)事業は市が担うべきであり、自身はそのための資金を寄附するという線で市と交渉をしていました(大正12年7月14日付朝刊)。しかし、市では篠原の申し出を拒否しました(昭和2年3月29日付朝刊)。理由は、先行して実施している地域で経営がうまくいっていなかったこと、そして雪国青森では冬季間積雪で運行ができなくなるからです(同前)。
そこで、篠原は大正13年4月17日もしくは18日、自身で乗合自動車の事業をスタートさせることになったのです(大正13年4月19日付18日夕刊)。当時の篠原は「十分な成果が達成されたならば、再度市に移管して『市営』事業にしたいという腹積もりです」(大正12年7月14日付朝刊)といい、大正15年春にそれが実現したのです。
ところで、こうした背景を踏まえて通説を読んでみると、青森市はちょっと理解しがたい行動に出ています。というのは、青森市は篠原善次郎とほぼ同時期に乗合自動車事業に乗り出そうとしているのです。通説では「一時は私営と市営の競合が危惧された」とか「篠原と青森市の乗合自動車が競合する可能性が出た」と評価しています。
そしてその根拠として、観桜会までに運転を開始すべく「大正13年3月18日」から知事官邸の近くに市が(バスの)車庫の建設を始めたことをあげています。市が篠原の申し出を断ったときの2つの理由はどうなったのでしょうか…。通説では市の方向転換についての言及は一切ありません。
そうなると、自分自身でこれを解決しなくてはなりません。意を決してまずは新聞を繰り始めてみたところ、案外と早く決着しました。青森市が車庫の建設を始めたのは大正13年ではなく、「大正15年3月18日」のことで、これを伝える記事の見出しには「青森乗合自動車は観桜会に運転する」とありました(大正15年3月23日付朝刊)。つまり、通説は年代を丸2年遡らせていたとみられるのです。ですから、市(市営)と篠原(私営)の乗合自動車が競合するようなことはもとよりなかったのです。
この筋で整理すれば、篠原乗合自動車から青森市乗合自動車(市営バス)誕生のストーリーが矛盾なく理解できるのではないかと思います。
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