「あおもり歴史トリビア」第695号(令和8年3月27日配信)
2026/03/27 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第695号(令和8年3月27日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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皆さん、こんにちは。文化遺産課の設楽です。
前回(令和7年12月26日配信 第684号)に引き続き、今回も製鉄に関わる粘土をテーマに取り上げたいと思います。
日本古来の製鉄において、粘土は、製錬炉(令和5年6月30日配信号No560参照)を構築するための材料として大量に必要とされました。
江戸時代を迎える頃までに中国地方を中心に技術が確立した「たたら製鉄」では、製錬炉に使用される粘土は、「釜土(かまつち)」と呼ばれました。たたら製鉄については、操業の成否につながる要素を挙げた、「一床(いちとこ)、二土(につち)、三村下(さんむらげ)」という言い伝えがあります。これは、良質な鉄を作るために、第一に「床(とこ)」、すなわち「床釣り(とこづり)」と呼ばれる製錬炉の地下構造の出来、次に土(釜土)の良し悪し、その次に技術責任者である「村下」の腕前が重要であったことを示しており、土(釜土)が操業に大きな影響を与える重要な要素と認識されていたことがわかります。このため、使用する粘土は、どんな土でも良いわけではなく、採取場所の選定など、様々な試行錯誤があったことが想像できます。
江戸時代の弘前藩領で行われた製鉄に関する記録を見ると、弘前藩でも製鉄に使用する粘土を「釜土」と記載しています。弘前藩領の鉄山(令和5年12月22日配信 第583号参照)については、近隣から釜土を採取していたと推定できるものの、具体的にどこから土を採取したのか不明です。
現在の五所川原市相内地区に存在が推定される相内鉄山について記された、貞享3年(1686)12月4日の記録では、経営者から藩への申立の中に、出雲の鉄と違わないほど良い鉄ができたものの、相内近隣の山では良い土がなく、釜土が悪くて操業が続けられないという内容がみられます。また、同年12月26日の記録では、船に釜土を積んで上方から運ぶといった内容が見られます。
相内周辺については、地形的に屏風山に連なる砂丘地の北端部に相当することから、製鉄に適した粘土を得にくい場所だったと推定され、相内鉄山においては、釜土をめぐって、経営者がかなり苦労していた様子が窺えます。
《参考文献》
角田徳幸 2019 『たたら製鉄の歴史』
青森県 1994 『土地分類基本調査 小泊 5万分の1 国土調査』
青森県文化財保護協会 1983 『みちのく双書 津軽史 第13巻』
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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日本古来の製鉄において、粘土は、製錬炉(令和5年6月30日配信号No560参照)を構築するための材料として大量に必要とされました。
江戸時代を迎える頃までに中国地方を中心に技術が確立した「たたら製鉄」では、製錬炉に使用される粘土は、「釜土(かまつち)」と呼ばれました。たたら製鉄については、操業の成否につながる要素を挙げた、「一床(いちとこ)、二土(につち)、三村下(さんむらげ)」という言い伝えがあります。これは、良質な鉄を作るために、第一に「床(とこ)」、すなわち「床釣り(とこづり)」と呼ばれる製錬炉の地下構造の出来、次に土(釜土)の良し悪し、その次に技術責任者である「村下」の腕前が重要であったことを示しており、土(釜土)が操業に大きな影響を与える重要な要素と認識されていたことがわかります。このため、使用する粘土は、どんな土でも良いわけではなく、採取場所の選定など、様々な試行錯誤があったことが想像できます。
江戸時代の弘前藩領で行われた製鉄に関する記録を見ると、弘前藩でも製鉄に使用する粘土を「釜土」と記載しています。弘前藩領の鉄山(令和5年12月22日配信 第583号参照)については、近隣から釜土を採取していたと推定できるものの、具体的にどこから土を採取したのか不明です。
現在の五所川原市相内地区に存在が推定される相内鉄山について記された、貞享3年(1686)12月4日の記録では、経営者から藩への申立の中に、出雲の鉄と違わないほど良い鉄ができたものの、相内近隣の山では良い土がなく、釜土が悪くて操業が続けられないという内容がみられます。また、同年12月26日の記録では、船に釜土を積んで上方から運ぶといった内容が見られます。
相内周辺については、地形的に屏風山に連なる砂丘地の北端部に相当することから、製鉄に適した粘土を得にくい場所だったと推定され、相内鉄山においては、釜土をめぐって、経営者がかなり苦労していた様子が窺えます。
《参考文献》
角田徳幸 2019 『たたら製鉄の歴史』
青森県 1994 『土地分類基本調査 小泊 5万分の1 国土調査』
青森県文化財保護協会 1983 『みちのく双書 津軽史 第13巻』
青森市民図書館 歴史資料室
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