「あおもり歴史トリビア」第722号(令和8年10月2日配信)
2026/10/02 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第722号(令和8年10月2日配信)
■□■□■□■□■□■
〈青森市メールマガジン〉
■□■□■□■□■□■
みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
これまでも、何度か取り上げてきた青森空襲について、今回は史料としては信頼度の高い日記の記述からアプローチします。取り上げる時期は昭和20年(1945)7月14日~17日です。この頃は7月10日に仙台で空襲があり、14・15日は青函連絡船が艦載機による銃爆撃を受けています。
ではまず、『青森市の記録』(青森市、1972年)に掲載された日記(抄録)から紹介します。7月14日付の成人とみられる男性の日記には「市内は是等逃げのびる人々の数は夥しく」とあります。翌15日付では、塩町町会の隣組長の男性は「市内人員の疎開多く、組内五軒は空家なり」と記し、10代中頃とみられる男性は伝聞情報として「新城、三内方面の山にたくさん避難しているそうだ」と記しています。
つぎに、『青森県史』資料編近現代8日記(青森県、2017年)に掲載の日記を紹介します。同書には当時青森県内政部教学課に勤務する男性(満46歳)の日記が掲載されています。7月17日付では「空襲ノショックヲ受ケ逃避的避難者ノ往来頻繁ナリ」と記されています。空襲の恐怖から市民は「逃避的避難」をしていることが分かります。
しかも注目されるのは、避難をしている市民は、県がその直前に縁故疎開を決定した「幼老婦女子」だけでなく、「ソノ他一般民」もいたのです。その結果「市内ホトンドガラアキ」の状態だというのです。15日付の塩町町会付近のようすは、全市レベルのものであったのです。
一方、7月28日付『東奥日報』によると、27日現在の市内の疎開数はわずかに149戸と報じています。全戸数が約20,000戸といいますから0.7パーセントに過ぎません。これは日記にいう「市内ホトンドガラアキ」をイメージできない数字だと思います。
実は、『東奥日報』は行政の正式な手続きを経た「疎開」市民の数を報じているのです。これに対し日記は手続きをしていない「無届疎開」の市民を含んだ、ある意味ではリアルな避難者の姿を映し出しているのです。そして、後者を選択した市民が圧倒的に多かったようなのです。だから両者には数の上での差が出ることになるのです。
どうして「無届疎開」が多くなるかといえば、No.710に書いたように「配給」の問題がひとつにはあると考えています。
また、青森空襲には「禁じられた避難」のイメージがついているせいか、避難・疎開をした市民へのアプローチが十分ではなかったと思います。その意味においても、こうした日記の記述は貴重なものだといえるのです。
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
登録の変更や利用停止の手続は、次の画面からどうぞ。
○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
■□■□■□■□■□■
〈青森市メールマガジン〉
■□■□■□■□■□■
みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
これまでも、何度か取り上げてきた青森空襲について、今回は史料としては信頼度の高い日記の記述からアプローチします。取り上げる時期は昭和20年(1945)7月14日~17日です。この頃は7月10日に仙台で空襲があり、14・15日は青函連絡船が艦載機による銃爆撃を受けています。
ではまず、『青森市の記録』(青森市、1972年)に掲載された日記(抄録)から紹介します。7月14日付の成人とみられる男性の日記には「市内は是等逃げのびる人々の数は夥しく」とあります。翌15日付では、塩町町会の隣組長の男性は「市内人員の疎開多く、組内五軒は空家なり」と記し、10代中頃とみられる男性は伝聞情報として「新城、三内方面の山にたくさん避難しているそうだ」と記しています。
つぎに、『青森県史』資料編近現代8日記(青森県、2017年)に掲載の日記を紹介します。同書には当時青森県内政部教学課に勤務する男性(満46歳)の日記が掲載されています。7月17日付では「空襲ノショックヲ受ケ逃避的避難者ノ往来頻繁ナリ」と記されています。空襲の恐怖から市民は「逃避的避難」をしていることが分かります。
しかも注目されるのは、避難をしている市民は、県がその直前に縁故疎開を決定した「幼老婦女子」だけでなく、「ソノ他一般民」もいたのです。その結果「市内ホトンドガラアキ」の状態だというのです。15日付の塩町町会付近のようすは、全市レベルのものであったのです。
一方、7月28日付『東奥日報』によると、27日現在の市内の疎開数はわずかに149戸と報じています。全戸数が約20,000戸といいますから0.7パーセントに過ぎません。これは日記にいう「市内ホトンドガラアキ」をイメージできない数字だと思います。
実は、『東奥日報』は行政の正式な手続きを経た「疎開」市民の数を報じているのです。これに対し日記は手続きをしていない「無届疎開」の市民を含んだ、ある意味ではリアルな避難者の姿を映し出しているのです。そして、後者を選択した市民が圧倒的に多かったようなのです。だから両者には数の上での差が出ることになるのです。
どうして「無届疎開」が多くなるかといえば、No.710に書いたように「配給」の問題がひとつにはあると考えています。
また、青森空襲には「禁じられた避難」のイメージがついているせいか、避難・疎開をした市民へのアプローチが十分ではなかったと思います。その意味においても、こうした日記の記述は貴重なものだといえるのです。
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
登録の変更や利用停止の手続は、次の画面からどうぞ。
○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html