「あおもり歴史トリビア」第718号(令和8年9月4日配信)
2026/09/04 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第718号(令和8年9月4日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。
8月26日(木曜日)から歴史資料室の新しい館内展示「旅の思い出4~各地の名所絵はがき~」が始まりました。この展示は明治末から大正初期に発行されたとみられる絵はがきを紹介するものです。江の島や日光など日本の名所絵はがきのほか、ドイツやロシアで発行された絵はがきも展示しています。展示は10月2日(金曜日)まで行いますので、市民図書館へお越しの際はぜひご覧ください。
さて、先月の担当回ではリンクステーションホール青森(青森市文化会館)附近にあり校舎を共用していた青森県立青森高等女学校と青森県女子師範学校の校舎新築移転問題を取り上げました。県は昭和12年(1936)に移転先を決めますが、戦争の影響により校舎の新築計画を進めることはできませんでした。今回はその続きをお話しします。
昭和18年、「師範学校令」が改正され、師範学校は官立とし、男女別に設置してきたものを男子部・女子部という形でまとめることになりました。これにより、青森県女子師範学校は新設された官立青森師範学校の女子部となりました。但し、青森師範学校では男子部・女子部が同じ校舎で授業を行うわけではなく、女子部は旧青森県女子師範学校校舎で授業を行っています。つまり、師範学校の組織は変わったものの、青森高等女学校と校舎を共用する状態は変わらなかったのです。
昭和20年7月28日、空襲により青森高等女学校と師範学校女子部が使用していた校舎は焼失しました。校舎を失った2校は別々の場所で活動を再開しています。まず、師範学校女子部については、卒業生の回想から、学校の備品を疎開させていた大野村の細越国民学校を拠点としたとみられます。生徒たちは8月15日に細越で「終戦の放送」を聞いた後、しばらく自宅待機となり、11月に弘前市の朝陽国民学校へ移りました。
一方、青森高等女学校は学年により拠点とする場所が異なっていたようです。同校では昭和19年から校舎に「青森県立青森高等女学校軍需縫製工場」の表札を掲げ、3・4年生が縫製作業に従事していました。昭和20年6月以降は空襲の危険が迫っていることから工場を新城国民学校・荒川国民学校・宮田国民学校に疎開しています。また、1・2年生は雨が降らない限り幸畑の学校農園などで開墾作業に従事していました。そのため、空襲で校舎を失った後も、3・4年生は疎開先の国民学校へ、1・2年生は学校農園へ通ったといいます。
そして、8月16日以降、生徒は自宅待機となり、9月から造道国民学校の校舎を借りて授業を再開しました。午前は造道国民学校が、午後は青森高等女学校が校舎を使用する二部授業ではありましたが、全校生徒が一か所に集まることができるようになったのです。
※今回の内容は『青森高校百年史』(青森県立青森高等学校 2003年)、『文集 赤煉瓦』(青森師範学校 昭和24年卒業同期会 1991年)などを参考にしています。
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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さて、先月の担当回ではリンクステーションホール青森(青森市文化会館)附近にあり校舎を共用していた青森県立青森高等女学校と青森県女子師範学校の校舎新築移転問題を取り上げました。県は昭和12年(1936)に移転先を決めますが、戦争の影響により校舎の新築計画を進めることはできませんでした。今回はその続きをお話しします。
昭和18年、「師範学校令」が改正され、師範学校は官立とし、男女別に設置してきたものを男子部・女子部という形でまとめることになりました。これにより、青森県女子師範学校は新設された官立青森師範学校の女子部となりました。但し、青森師範学校では男子部・女子部が同じ校舎で授業を行うわけではなく、女子部は旧青森県女子師範学校校舎で授業を行っています。つまり、師範学校の組織は変わったものの、青森高等女学校と校舎を共用する状態は変わらなかったのです。
昭和20年7月28日、空襲により青森高等女学校と師範学校女子部が使用していた校舎は焼失しました。校舎を失った2校は別々の場所で活動を再開しています。まず、師範学校女子部については、卒業生の回想から、学校の備品を疎開させていた大野村の細越国民学校を拠点としたとみられます。生徒たちは8月15日に細越で「終戦の放送」を聞いた後、しばらく自宅待機となり、11月に弘前市の朝陽国民学校へ移りました。
一方、青森高等女学校は学年により拠点とする場所が異なっていたようです。同校では昭和19年から校舎に「青森県立青森高等女学校軍需縫製工場」の表札を掲げ、3・4年生が縫製作業に従事していました。昭和20年6月以降は空襲の危険が迫っていることから工場を新城国民学校・荒川国民学校・宮田国民学校に疎開しています。また、1・2年生は雨が降らない限り幸畑の学校農園などで開墾作業に従事していました。そのため、空襲で校舎を失った後も、3・4年生は疎開先の国民学校へ、1・2年生は学校農園へ通ったといいます。
そして、8月16日以降、生徒は自宅待機となり、9月から造道国民学校の校舎を借りて授業を再開しました。午前は造道国民学校が、午後は青森高等女学校が校舎を使用する二部授業ではありましたが、全校生徒が一か所に集まることができるようになったのです。
※今回の内容は『青森高校百年史』(青森県立青森高等学校 2003年)、『文集 赤煉瓦』(青森師範学校 昭和24年卒業同期会 1991年)などを参考にしています。
青森市民図書館 歴史資料室
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