「あおもり歴史トリビア」第675号(令和7年10月24日配信)
2025/10/24 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第675号(令和7年10月24日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
私の担当回では、ここのところ続けて青森空襲を取り上げてきました。今回は青森空襲を記録する会が平成14年(2002)に発行した『写真集(改訂版)青森大空襲の記録―次代への証言 特別号』で、空襲被害を大きくした原因のつとつとする「(空襲)予告ビラ」の問題を取り上げます。
アメリカ軍が空から撒いたビラは、同書によれば「憲兵隊や警察により読むことを禁止・回収され、警告が無視されたこと」(8ページ)により、被害が大きくなったといいます。
さて、この問題を解いていくため、やはり青森空襲を記録する会による証言集『次代への証言』を論拠とします。この証言集は第1集が昭和56年(1981)に発刊され、令和6年(2024)には第32集にまで至っています。
ただ、証言集を読んでいくと、話者の直接経験だけでなく後から獲得した「知識」が当時の「記憶」として語られていると感じられるものが散見します。しかし、これらの証言ひとつひとつの裏を取ることは、「戦後80年」という時の経過のなかでは実質的に不可能です。そうした意味で歴史資料として評価するのは簡単なことではありませんが、今回は空襲経験者の「証言」に素直に耳を傾けることにします。
まず、当時40代後半の淡谷悠蔵は、憲兵隊や警察の命令は「いくら戦争中の市民だからといったって、そんなバカバカしい命令に従うものがあろうか」とか、「空襲予告のビラを拾わせない、読ませないというだけでは、何の防衛にもなるものでなし、対策になるものでもない」(5集1ページ)と切り捨てています。
また、当時高田村中野坂国民学校の教員をしていた人物も「『昨日(7月27日―工藤注)まかれた、アメリカ軍の空襲予告のビラはデマだ。青森を空襲するなんて、みんなウソだ。B29がきても、この青森を素通りするだけだろう』と一人思いながら家へ帰ってゆく」(2集28ページ)といっています。ただ「青森を素通りするだけ」という言葉には市民のなかには空襲に対する油断があったのか…と思わせます。
さらに、青森鉄道郵便局に勤めていた人物も、空襲予告は「米軍の撒いた『チラシ』により皆事前に知っていました」(14集2ページ)とあります。これらのほかにも、証言集にはビラの内容に触れた証言は少なからず存在し、空襲が予告された都市のほとんどが爆撃されているという噂が立っていたともいいます(1集18ページ)。
ビラは市民の目に留っており、そもそも「空襲近し」の情報は新聞で報じられたほかにも、市民はさまざまなチャンネルで得ていました(1集5・44ページ)。「仕組み(ルール)」の視点に偏ってしまうと、「実体」を見失うということになる…「予告ビラ」問題はまさにこの点を反映していると言えるのです。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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アメリカ軍が空から撒いたビラは、同書によれば「憲兵隊や警察により読むことを禁止・回収され、警告が無視されたこと」(8ページ)により、被害が大きくなったといいます。
さて、この問題を解いていくため、やはり青森空襲を記録する会による証言集『次代への証言』を論拠とします。この証言集は第1集が昭和56年(1981)に発刊され、令和6年(2024)には第32集にまで至っています。
ただ、証言集を読んでいくと、話者の直接経験だけでなく後から獲得した「知識」が当時の「記憶」として語られていると感じられるものが散見します。しかし、これらの証言ひとつひとつの裏を取ることは、「戦後80年」という時の経過のなかでは実質的に不可能です。そうした意味で歴史資料として評価するのは簡単なことではありませんが、今回は空襲経験者の「証言」に素直に耳を傾けることにします。
まず、当時40代後半の淡谷悠蔵は、憲兵隊や警察の命令は「いくら戦争中の市民だからといったって、そんなバカバカしい命令に従うものがあろうか」とか、「空襲予告のビラを拾わせない、読ませないというだけでは、何の防衛にもなるものでなし、対策になるものでもない」(5集1ページ)と切り捨てています。
また、当時高田村中野坂国民学校の教員をしていた人物も「『昨日(7月27日―工藤注)まかれた、アメリカ軍の空襲予告のビラはデマだ。青森を空襲するなんて、みんなウソだ。B29がきても、この青森を素通りするだけだろう』と一人思いながら家へ帰ってゆく」(2集28ページ)といっています。ただ「青森を素通りするだけ」という言葉には市民のなかには空襲に対する油断があったのか…と思わせます。
さらに、青森鉄道郵便局に勤めていた人物も、空襲予告は「米軍の撒いた『チラシ』により皆事前に知っていました」(14集2ページ)とあります。これらのほかにも、証言集にはビラの内容に触れた証言は少なからず存在し、空襲が予告された都市のほとんどが爆撃されているという噂が立っていたともいいます(1集18ページ)。
ビラは市民の目に留っており、そもそも「空襲近し」の情報は新聞で報じられたほかにも、市民はさまざまなチャンネルで得ていました(1集5・44ページ)。「仕組み(ルール)」の視点に偏ってしまうと、「実体」を見失うということになる…「予告ビラ」問題はまさにこの点を反映していると言えるのです。
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