「あおもり歴史トリビア」第536号(令和5年1月6日配信)
2023/01/06 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第536号(令和5年1月6日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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新しい年が始まって、あっという間に1週間が過ぎようとしています。室長の工藤です。今年も「あおもり歴史トリビア」をよろしくお願いいたします。
数年前から市内の石碑調査をしているのですが、新聞などで碑の存在を確認することができるものの現在は失われてしまっているものや、計画はあるもののその後どうなったのかが分からなくなっている…そういう石碑にも目を向けています。
今回はそのような石碑の情報をひとつ紹介いたします。
明治39年(1906)5月20日、市内合浦公園を会場に青森市は「開港及開市二百八十年紀念祝賀会」を開催しました。「開港」とはこの年4月1日をもって青森港が特別輸出港に指定され、対外貿易が可能になったことを指します。
一方、「開市」とは「青森の町づくり」を意味し、それが明治39年時点で280年ということであれば、町づくりのスタートは寛永3年(1626)となりますが、当時の市民は前年の寛永2年と意識していたようです。
さて、まだ祝賀会の日程も確定していない5月1日、「開市二百八十年紀念」の石碑建設の声が上がりました。しかも篤志家として知られる柏原彦太郎は、すでに東京美術学校図案課に設計の依頼をしていてその費用30円も送付済みであったといいます。そして、同校から設計書が届き次第、建設費用の一部を添えてこれを青森市に寄附し、建碑を目指すという計画でした。
青森市との交渉委員には、柏原のほか藤林忠兵衛・平井重次郎、上田幸兵衛・大坂金助・樋口喜輔・石館喜久造・梅津文四郎・木村文四郎といった政治・経済に影響力をもつメンバーが顔を揃えています。
11月末には石碑の全体像がみえてきます。11月27日付の『東奥日報』は石碑の高さは約4.5m、幅約1.8m、厚さ約30cmでこれに台石を据え付け、碑文は宮内省御歌所の所長高崎正風(たかさき・まさかぜ)に揮毫を依頼するなどと報じています。
そしてこの石碑はさきの祝賀会の報告書によると、そう遠くない時期に合浦公園に設置されるだろうと記されています。
果たしてこの石碑は建ったのでしょうか。私はきっと建ったのだろうと思っています。ただ、現時点では除幕式等の記録を発見していません。そして、何よりも残念なのは碑が現存していないということです。
何とか記録を見つけ出して、この紀念碑を建てようとした人たちの思いの一端を間もなく「開市400年」を迎える市民の皆さんに伝えることができたらと思っています。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
○携帯サイト「青森市mini」
http://www.city.aomori.aomori.jp/koho-kocho/keitai-mini/top/mailmagazine.html
-編集・発行---------
企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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今回はそのような石碑の情報をひとつ紹介いたします。
明治39年(1906)5月20日、市内合浦公園を会場に青森市は「開港及開市二百八十年紀念祝賀会」を開催しました。「開港」とはこの年4月1日をもって青森港が特別輸出港に指定され、対外貿易が可能になったことを指します。
一方、「開市」とは「青森の町づくり」を意味し、それが明治39年時点で280年ということであれば、町づくりのスタートは寛永3年(1626)となりますが、当時の市民は前年の寛永2年と意識していたようです。
さて、まだ祝賀会の日程も確定していない5月1日、「開市二百八十年紀念」の石碑建設の声が上がりました。しかも篤志家として知られる柏原彦太郎は、すでに東京美術学校図案課に設計の依頼をしていてその費用30円も送付済みであったといいます。そして、同校から設計書が届き次第、建設費用の一部を添えてこれを青森市に寄附し、建碑を目指すという計画でした。
青森市との交渉委員には、柏原のほか藤林忠兵衛・平井重次郎、上田幸兵衛・大坂金助・樋口喜輔・石館喜久造・梅津文四郎・木村文四郎といった政治・経済に影響力をもつメンバーが顔を揃えています。
11月末には石碑の全体像がみえてきます。11月27日付の『東奥日報』は石碑の高さは約4.5m、幅約1.8m、厚さ約30cmでこれに台石を据え付け、碑文は宮内省御歌所の所長高崎正風(たかさき・まさかぜ)に揮毫を依頼するなどと報じています。
そしてこの石碑はさきの祝賀会の報告書によると、そう遠くない時期に合浦公園に設置されるだろうと記されています。
果たしてこの石碑は建ったのでしょうか。私はきっと建ったのだろうと思っています。ただ、現時点では除幕式等の記録を発見していません。そして、何よりも残念なのは碑が現存していないということです。
何とか記録を見つけ出して、この紀念碑を建てようとした人たちの思いの一端を間もなく「開市400年」を迎える市民の皆さんに伝えることができたらと思っています。
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