「あおもり歴史トリビア」第537号(令和5年1月13日配信)
2023/01/13 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第537号(令和5年1月13日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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1月12日(木曜日)から新しい企画展示「青森市内石碑めぐり」が始まりました。歴史資料室では令和3年(2021)から市内にある石碑・モニュメントをめぐって建立時期や建立者などの情報を収集しており、詳細が判明したものについてはメールマガジンやフェイスブックで少しずつご紹介してきました。今回の展示では市内の石碑・モニュメントを教育、産業、スポーツといったテーマ別にご紹介しています。
さらに、荒川小学校の「白鳥鴻彰翁胸像」と入内の「秩父宮殿下御野営所」碑の建立に関する資料など初公開の資料も展示しています。今日はこの展示の中から「白鳥鴻彰翁胸像」についてお話しします。
白鳥鴻彰(しらとり・こうしょう 1864-1915)は明治・大正期に荒川村長や青森県会議員を務めた人物です。明治初期に国有林と民有林を区分する過程で国有林とされた荒川村・高田村の共有地について、返還を求める運動に尽力しました(詳しくは『新青森市史』通史編第3巻をご覧ください)。
昭和10年(1935)、荒川村・高田村などの有志がお金を出し合い、白鳥の胸像を制作しました。胸像の原型を制作したのは弘前市出身の彫刻家・三国慶一(1899-1980)でした。胸像は白鳥のゆかりの場所である荒川尋常高等小学校(現荒川小学校)の校庭に建立されますが、昭和19年に兵器の資材として供出されてしまいました。校庭には台座だけが残され、地域住民は心を痛めていたそうです。
昭和35年、荒川小学校では校庭の広さが文部省の基準以下であることから、校地拡張を求める運動が起こりました(『百周年記念誌』1974年 荒川小学校創立百周年記念事業協賛会)。そして、校地拡張がきっかけとなって胸像再建の気運が高まり、再建期成同盟会が組織されたといいます。昭和36年には胸像の再建が決定し、三国が再び原型を制作することになりました。
歴史資料室が所蔵する資料の中に、三国が青森市役所荒川支所の山崎政保支所長に宛てた葉書があります。昭和36年5月27日に書かれたもので「白鳥鴻彰翁の胸像原型は予定通り六月中旬頃完成の運び」であると記されています。また、市長宛に台座の修正図面を送付したので「何等かの方法にて修正可能となれば洵(まこと)に幸いに存じます」とも述べています。三国の文章からは胸像再建に対する強い思いが感じられます。
なお、胸像の除幕式は昭和36年9月18日に開催され、165人が出席して再建を祝ったということです。
三国の葉書を含む「白鳥鴻彰翁胸像」関係資料は図書館8階のガラスケースに展示しています。企画展は4月11日(火曜日)まで行いますので、ぜひご覧ください。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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-編集・発行---------
企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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さらに、荒川小学校の「白鳥鴻彰翁胸像」と入内の「秩父宮殿下御野営所」碑の建立に関する資料など初公開の資料も展示しています。今日はこの展示の中から「白鳥鴻彰翁胸像」についてお話しします。
白鳥鴻彰(しらとり・こうしょう 1864-1915)は明治・大正期に荒川村長や青森県会議員を務めた人物です。明治初期に国有林と民有林を区分する過程で国有林とされた荒川村・高田村の共有地について、返還を求める運動に尽力しました(詳しくは『新青森市史』通史編第3巻をご覧ください)。
昭和10年(1935)、荒川村・高田村などの有志がお金を出し合い、白鳥の胸像を制作しました。胸像の原型を制作したのは弘前市出身の彫刻家・三国慶一(1899-1980)でした。胸像は白鳥のゆかりの場所である荒川尋常高等小学校(現荒川小学校)の校庭に建立されますが、昭和19年に兵器の資材として供出されてしまいました。校庭には台座だけが残され、地域住民は心を痛めていたそうです。
昭和35年、荒川小学校では校庭の広さが文部省の基準以下であることから、校地拡張を求める運動が起こりました(『百周年記念誌』1974年 荒川小学校創立百周年記念事業協賛会)。そして、校地拡張がきっかけとなって胸像再建の気運が高まり、再建期成同盟会が組織されたといいます。昭和36年には胸像の再建が決定し、三国が再び原型を制作することになりました。
歴史資料室が所蔵する資料の中に、三国が青森市役所荒川支所の山崎政保支所長に宛てた葉書があります。昭和36年5月27日に書かれたもので「白鳥鴻彰翁の胸像原型は予定通り六月中旬頃完成の運び」であると記されています。また、市長宛に台座の修正図面を送付したので「何等かの方法にて修正可能となれば洵(まこと)に幸いに存じます」とも述べています。三国の文章からは胸像再建に対する強い思いが感じられます。
なお、胸像の除幕式は昭和36年9月18日に開催され、165人が出席して再建を祝ったということです。
三国の葉書を含む「白鳥鴻彰翁胸像」関係資料は図書館8階のガラスケースに展示しています。企画展は4月11日(火曜日)まで行いますので、ぜひご覧ください。
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