「あおもり歴史トリビア」第538号(令和5年1月20日配信)
2023/01/20 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第538号(令和5年1月20日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上真美です。
先日、レシピ本『津軽伝承料理』(2021年 柴田書店)を眺めていた母が「この料理小さいときに食べた、懐かしい~!」と嬉しそうにしていました。この本の著者である「津軽あかつきの会」は、農業を営む家の女性たち数人で平成13年(2001)に発足、弘前市の石川地区を拠点とし、津軽地方の郷土料理と食文化を伝える活動をしています。
レシピ本に収録されている料理には、ほぼ油も砂糖も使われていません。ばっけ(フキノトウ)味噌や人参の子和えなど菜食中心の食材で構成されています。青森県を離れて生活をしている方やご興味がある方は、ぜひご覧いただければと思います(市民図書館でも貸出可能)。
そこで今回は、青森県の郷土料理の1つ「貝焼き味噌」に関する話題をお届けします。
貝焼き味噌は、ホタテの貝殻を鍋代わりにし、野菜や魚介類、溶き卵を味噌で焼く料理です。
おかずの1品として食卓に並んでいたイメージがありますが、卵がまだ貴重だった時代では、病人や産婦などが唯一の栄養食として貝焼き味噌を食べていたそうです。
作家・太宰治(1909-48)は、「病気になって食がすすまなくなった時、この貝焼きの卵味噌をお粥に載せて食べるのである。」と『津軽』(1989年 筑摩書房)に書き残しています。
さて、『新青森市史 別編3民俗』(2008年 青森市)によると、青森県内のほとんどの産婦が、貝焼き味噌とお粥、焼き塩(お皿に塩をのせて炭火で焼いたもの)だけで産後の数日を過ごしたといいます。明治末期は今日のように医学が発達しておらず、薬も手に入りにくいことから、産婦への食事管理に関して周囲はとても気を遣ったそうです。
例えば、青森市の原別・安田・戸門・鶴ヶ坂の事例では、貝焼き味噌(削り節の出汁と味噌のみ)とお粥、焼き塩という献立が7日間も続いたといいます。だいぶ日にちが経ってから徐々に焼いた白身魚をほぐして味噌に入れ、卵やほうれん草などを少しずつ食事に取り入れていきました。『原別百年のあゆみ』(1990年 原別村村制施行百年記念誌編集委員会)によると産後の食事に関して「産婦の身体が落ちつくまでは大事をとったもので…(中略)」とあり、当時産婦の健康回復を見守ってきた人々の慎重な食事管理が伺えます。
ところで、郷土料理に関する情報を集めていたところ、昭和46年(1971)12月に青森市本町にて郷土料理研究会「貝割会」が活動をスタートしていたことが分かりました。『北の街』(1972年10月号 北の街社)によると、海と山の幸に恵まれた青森県の特徴を生かし、他県に誇れるような郷土料理を研究する会だったそうです。ですが、私が目にした資料の中では具体的な活動内容など、詳細が分かりませんでした。今後さらに調べを進めていこうと思います。
※今回の内容は『日本の食生活全集 2聞き書 青森の食事』 (1986年 農山漁村文化協会)などを参考にしました。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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先日、レシピ本『津軽伝承料理』(2021年 柴田書店)を眺めていた母が「この料理小さいときに食べた、懐かしい~!」と嬉しそうにしていました。この本の著者である「津軽あかつきの会」は、農業を営む家の女性たち数人で平成13年(2001)に発足、弘前市の石川地区を拠点とし、津軽地方の郷土料理と食文化を伝える活動をしています。
レシピ本に収録されている料理には、ほぼ油も砂糖も使われていません。ばっけ(フキノトウ)味噌や人参の子和えなど菜食中心の食材で構成されています。青森県を離れて生活をしている方やご興味がある方は、ぜひご覧いただければと思います(市民図書館でも貸出可能)。
そこで今回は、青森県の郷土料理の1つ「貝焼き味噌」に関する話題をお届けします。
貝焼き味噌は、ホタテの貝殻を鍋代わりにし、野菜や魚介類、溶き卵を味噌で焼く料理です。
おかずの1品として食卓に並んでいたイメージがありますが、卵がまだ貴重だった時代では、病人や産婦などが唯一の栄養食として貝焼き味噌を食べていたそうです。
作家・太宰治(1909-48)は、「病気になって食がすすまなくなった時、この貝焼きの卵味噌をお粥に載せて食べるのである。」と『津軽』(1989年 筑摩書房)に書き残しています。
さて、『新青森市史 別編3民俗』(2008年 青森市)によると、青森県内のほとんどの産婦が、貝焼き味噌とお粥、焼き塩(お皿に塩をのせて炭火で焼いたもの)だけで産後の数日を過ごしたといいます。明治末期は今日のように医学が発達しておらず、薬も手に入りにくいことから、産婦への食事管理に関して周囲はとても気を遣ったそうです。
例えば、青森市の原別・安田・戸門・鶴ヶ坂の事例では、貝焼き味噌(削り節の出汁と味噌のみ)とお粥、焼き塩という献立が7日間も続いたといいます。だいぶ日にちが経ってから徐々に焼いた白身魚をほぐして味噌に入れ、卵やほうれん草などを少しずつ食事に取り入れていきました。『原別百年のあゆみ』(1990年 原別村村制施行百年記念誌編集委員会)によると産後の食事に関して「産婦の身体が落ちつくまでは大事をとったもので…(中略)」とあり、当時産婦の健康回復を見守ってきた人々の慎重な食事管理が伺えます。
ところで、郷土料理に関する情報を集めていたところ、昭和46年(1971)12月に青森市本町にて郷土料理研究会「貝割会」が活動をスタートしていたことが分かりました。『北の街』(1972年10月号 北の街社)によると、海と山の幸に恵まれた青森県の特徴を生かし、他県に誇れるような郷土料理を研究する会だったそうです。ですが、私が目にした資料の中では具体的な活動内容など、詳細が分かりませんでした。今後さらに調べを進めていこうと思います。
※今回の内容は『日本の食生活全集 2聞き書 青森の食事』 (1986年 農山漁村文化協会)などを参考にしました。
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