「あおもり歴史トリビア」第707号(令和8年6月19日配信)
2026/06/19 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第707号(令和8年6月19日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
毎年6月15日、浦町の神明宮で宵宮が開かれます。これは青森市内では最も早い時期に開かれる宵宮で神社の恒例行事となっていました。しかし、人手不足などが理由で令和6年(2024)は中止になったものの、昨年は有志が立ち上がりこれを復活させました(以上、青森テレビHPより)。今年も、15日の午後に神明宮の前を通ったところ、関係者の皆さんが忙しくその準備をしていました。
さて、浦町の神明宮は安政2年(1855)に最勝院が作成したとみられる「寺社微細・社司由緒 調書上帳」(以下「書上帳」)には「草創建立年月日不詳」とあります。一方、藩政史料では享和3年(1803)の「寺社領分限帳」に延宝4年(1707)6月16日に建立とあります。なお、天保期(1830―44)以前に描かれた「九浦外町絵図」に収録の「青森之図」には青森湊の隣村浦町村が描かれており、そこには「神明」という表現で浦町村の神明宮が描かれています。
また、『青森市史』社寺編(青森市、1972年、以下「社寺編」)には、浦町の神明宮は「浦町村勘解由という百姓が本願主となり、享和二年(1802-工藤注)右場所へ本社を建立したのである」という記述があります。ただ、記述が何を根拠にしているのかは分かりません。
なお、この記述にある「右場所」というのは、「青森神明宮の引越跡」であると「社寺編」にあります。そして、同書では青森神明宮は「青森浦町元伊勢という所」にあって、そこは「現在の浦町神明宮の場所」と記しています。本社が建立されたという享和2年当時、この場所は浦町村であるので、「青森神明宮」という名称や、「青森浦町元伊勢」という地名は腑に落ちないところです。
さらに浦町村勘解由という百姓に関しても、「社寺編」では寛永3年(1626)に伊勢三日市七太夫という人物が浦町村を訪れた際、彼に伊勢太神宮の御榊と御神璽を預け、これらを元伊勢の神明宮に安置したとあります。おなじ名前の人物が、170年以上の時を超えて登場することにいささか疑問を感じますが、それはともかく、この地には寛永3年より前に「神明宮」が存在したことになります。
この神明宮はその後、柳町に遷宮し寛永20年(1643)に再建したと「書上帳」にあります。社寺編にも似た記述がありますが、少しニュアンスが異なります。なお、「青森神明宮」なる名称は柳町への遷宮に由来するものと考えるべきでしょう。
さて、この青森湊の神明宮は明治以降の数次の遷宮を経て、現在は「浜町神明宮」として郷土館の東側の地に鎮座しています。浜町の神明宮の遷宮については、令和6年7月5日配信のNo.608をご覧ください。
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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毎年6月15日、浦町の神明宮で宵宮が開かれます。これは青森市内では最も早い時期に開かれる宵宮で神社の恒例行事となっていました。しかし、人手不足などが理由で令和6年(2024)は中止になったものの、昨年は有志が立ち上がりこれを復活させました(以上、青森テレビHPより)。今年も、15日の午後に神明宮の前を通ったところ、関係者の皆さんが忙しくその準備をしていました。
さて、浦町の神明宮は安政2年(1855)に最勝院が作成したとみられる「寺社微細・社司由緒 調書上帳」(以下「書上帳」)には「草創建立年月日不詳」とあります。一方、藩政史料では享和3年(1803)の「寺社領分限帳」に延宝4年(1707)6月16日に建立とあります。なお、天保期(1830―44)以前に描かれた「九浦外町絵図」に収録の「青森之図」には青森湊の隣村浦町村が描かれており、そこには「神明」という表現で浦町村の神明宮が描かれています。
また、『青森市史』社寺編(青森市、1972年、以下「社寺編」)には、浦町の神明宮は「浦町村勘解由という百姓が本願主となり、享和二年(1802-工藤注)右場所へ本社を建立したのである」という記述があります。ただ、記述が何を根拠にしているのかは分かりません。
なお、この記述にある「右場所」というのは、「青森神明宮の引越跡」であると「社寺編」にあります。そして、同書では青森神明宮は「青森浦町元伊勢という所」にあって、そこは「現在の浦町神明宮の場所」と記しています。本社が建立されたという享和2年当時、この場所は浦町村であるので、「青森神明宮」という名称や、「青森浦町元伊勢」という地名は腑に落ちないところです。
さらに浦町村勘解由という百姓に関しても、「社寺編」では寛永3年(1626)に伊勢三日市七太夫という人物が浦町村を訪れた際、彼に伊勢太神宮の御榊と御神璽を預け、これらを元伊勢の神明宮に安置したとあります。おなじ名前の人物が、170年以上の時を超えて登場することにいささか疑問を感じますが、それはともかく、この地には寛永3年より前に「神明宮」が存在したことになります。
この神明宮はその後、柳町に遷宮し寛永20年(1643)に再建したと「書上帳」にあります。社寺編にも似た記述がありますが、少しニュアンスが異なります。なお、「青森神明宮」なる名称は柳町への遷宮に由来するものと考えるべきでしょう。
さて、この青森湊の神明宮は明治以降の数次の遷宮を経て、現在は「浜町神明宮」として郷土館の東側の地に鎮座しています。浜町の神明宮の遷宮については、令和6年7月5日配信のNo.608をご覧ください。
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