「あおもり歴史トリビア」第542号(令和5年2月17日配信)
2023/02/17 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第542号(令和5年2月17日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上真美です。
版画家・棟方志功(1903-1975)は今年で生誕120年を迎えます。先日、青森市松原にある棟方志功記念館に行ってきました!館内では40分ほどのドキュメンタリー映画を観ることができます。初めて聞いた志功の豪快な笑い声、板すれすれまで顔を近づけて一心不乱に彫り進める姿に夢中になり、気がついたらエンディングです。
その後、ゆっくり館内を見学しました。現在開催されている冬の展示「彫って摺って色をつけてまた彫って」は3月19日(日)まで開催されています(※詳しい情報は記念館HPをご覧ください)。
ところで、もう1人生誕120年を迎える青森市出身の作家がいます。その人物とは北畠八穂(きたばたけ・やお 1903-1982)です。明治36年(1903)莨町に生まれ、八穂の本名は美代(みよ)といいます。17歳のとき『主婦之友』の懸賞小説に応募し、入選した経験が書くことへの関心を深めたそうです。詩や小説、随筆など幅広い分野で活躍しました。
特に、児童文学の分野で八穂の作品は注目されます。八穂に童話を書くことを勧めたのは、当時『新潮』で編集長を務めていた齋藤十一(さいとう・じゅういち 1914-2000)です。
斉藤は太宰治(1909-1948)や坂口安吾(1906-1955)などを発掘したカリスマ編集者でした。
そして、昭和21年(1946)に創刊された童話雑誌『銀河』に「十二才の半年」が掲載され、児童文学作家としてスタートを切りました。この物語は戦争で両親と妹をなくした少年が徐々に立ち直っていく姿が描かれています。戦後もっとも早く登場した童話雑誌『銀河』は多くの青少年に勇気を与えたといいます(『北畠八穂の物語』2005年 北の街社)。
昭和46年には『鬼を飼うゴロ』(実業之日本社)で第10回野間児童文芸賞、第19回サンケイ児童出版文化賞大賞を受賞し、高く評価されました(『青森県児童文学のあゆみ展』 2000年 青森県立図書館)。
さて、志功と八穂は、子どものころお互いを「カジヤのオニッコ」、「ミッチャン」と呼び合って遊ぶ仲だったそうです。八穂は志功の少年時代を描いた『かじやの鬼コ』(1978年 国土社)という絵本を書いています。挿絵は、志功と同じ安方生まれの版画家・関野凖一郎(せきの・じゅんいちろう 1914-1988)が担当しました。
また、志功と八穂は長谷川才次(はせがわ・さいじ 1903-1978)とも親交がありました。長谷川は時事通信社初代代表取締役を務めた人物です。八穂が晩年に刊行した随筆集『透きとおった人々』(1980年 東京新聞出版局)によると「同じ青森市生まれの同い年でしたから、卯年がくると、青森放送から3人で放送しました」と語っています。
但し、放送内容についての詳細は分かりませんでした。調べていく中で発見する著名人同士の意外な繋がり…とても面白いです。
※今回の内容は『北畠八穂展 特別展 北方のメルヘン作家』(1994年 青森県近代文学館)、『鬼才 伝説の編集人齋藤十一』(2021年 幻冬舎)などを参考にしました。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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こんにちは。歴史資料室の村上真美です。
版画家・棟方志功(1903-1975)は今年で生誕120年を迎えます。先日、青森市松原にある棟方志功記念館に行ってきました!館内では40分ほどのドキュメンタリー映画を観ることができます。初めて聞いた志功の豪快な笑い声、板すれすれまで顔を近づけて一心不乱に彫り進める姿に夢中になり、気がついたらエンディングです。
その後、ゆっくり館内を見学しました。現在開催されている冬の展示「彫って摺って色をつけてまた彫って」は3月19日(日)まで開催されています(※詳しい情報は記念館HPをご覧ください)。
ところで、もう1人生誕120年を迎える青森市出身の作家がいます。その人物とは北畠八穂(きたばたけ・やお 1903-1982)です。明治36年(1903)莨町に生まれ、八穂の本名は美代(みよ)といいます。17歳のとき『主婦之友』の懸賞小説に応募し、入選した経験が書くことへの関心を深めたそうです。詩や小説、随筆など幅広い分野で活躍しました。
特に、児童文学の分野で八穂の作品は注目されます。八穂に童話を書くことを勧めたのは、当時『新潮』で編集長を務めていた齋藤十一(さいとう・じゅういち 1914-2000)です。
斉藤は太宰治(1909-1948)や坂口安吾(1906-1955)などを発掘したカリスマ編集者でした。
そして、昭和21年(1946)に創刊された童話雑誌『銀河』に「十二才の半年」が掲載され、児童文学作家としてスタートを切りました。この物語は戦争で両親と妹をなくした少年が徐々に立ち直っていく姿が描かれています。戦後もっとも早く登場した童話雑誌『銀河』は多くの青少年に勇気を与えたといいます(『北畠八穂の物語』2005年 北の街社)。
昭和46年には『鬼を飼うゴロ』(実業之日本社)で第10回野間児童文芸賞、第19回サンケイ児童出版文化賞大賞を受賞し、高く評価されました(『青森県児童文学のあゆみ展』 2000年 青森県立図書館)。
さて、志功と八穂は、子どものころお互いを「カジヤのオニッコ」、「ミッチャン」と呼び合って遊ぶ仲だったそうです。八穂は志功の少年時代を描いた『かじやの鬼コ』(1978年 国土社)という絵本を書いています。挿絵は、志功と同じ安方生まれの版画家・関野凖一郎(せきの・じゅんいちろう 1914-1988)が担当しました。
また、志功と八穂は長谷川才次(はせがわ・さいじ 1903-1978)とも親交がありました。長谷川は時事通信社初代代表取締役を務めた人物です。八穂が晩年に刊行した随筆集『透きとおった人々』(1980年 東京新聞出版局)によると「同じ青森市生まれの同い年でしたから、卯年がくると、青森放送から3人で放送しました」と語っています。
但し、放送内容についての詳細は分かりませんでした。調べていく中で発見する著名人同士の意外な繋がり…とても面白いです。
※今回の内容は『北畠八穂展 特別展 北方のメルヘン作家』(1994年 青森県近代文学館)、『鬼才 伝説の編集人齋藤十一』(2021年 幻冬舎)などを参考にしました。
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