「あおもり歴史トリビア」第547号(令和5年3月24日配信)
2023/03/24 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第547号(令和5年3月24日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは! 室長の工藤です。
現在の農林総合研究所の前身に位置づけられる「青森県農事試験場」(以下、試験場と略記)は、明治33年(1900)3月に誕生し、翌4月1日から業務を開始したと『青森県農業試験場百年史』(青森県農業試験場、2000年)に記されています。また、『新青森市史』通史編第3巻近代では、明治33年5月に設置されたとあります。なお、同年5月19日付の『東奥日報』は業務の開始日を「去る4月1日」と報じています。設置場所はともに新城村大字石江です。
さらに、明治33年7月4日、第2回臨時県会で県の参事官が「農事試験場及び水産試験場は本年の創始になるもの」(『青森県議会史』)と発言しているので、試験場が明治33年春に業務を開始していることに疑う余地はありません。
しかし、明治24年に成った『青森県農事調査書』という記録には、同地に設置された試験場は明治17年の開業と記しているのです。さらに、明治22年3月22日付『東奥日報』には、試験場が行う馬の払下げに関する広告が載っているのです。「官報」明治24年4月28日付「官報」第2345号にも「青森県農事試験場附属物産陳列場」という試験場の附属施設が明治22年10月にオープンしたとあります。つまり、明治17年、少なくとも明治20年代前半に新城村大字石江の地に試験場(以下、第一次試験場とする)があったことは、これまた疑う余地がないのです。
では、このふたつの農事試験場をどのように理解すればいいのでしょう…。
実は、第一次試験場は、後に青森県農会に無償で貸与され、経営が県の手から離れるのです。その時期は明治27年度からと見ています。ただ、かなり杜撰な経営であったようで、明治32年10月21日付『東奥日報』はここを訪れた「某事業者」の談話として、「同場は殆んと所有者なき荒畑の如き観」であって、「老木の桑・林檎等は半枯の有様」などと報じています。そうしたなか、この地に改めて県が運営する試験場(以下、第二次試験場とする)が設置されることになるのです。ですから、第一次試験場は、現在の農林総合研究所の沿革に絡まないのです。そのため、存在が歴史に埋もれてしまったのです。
一方、第二次試験場については、明治20年代後半から農業支援策としての法律が整備されたこと(とくに明治32年公布の農事試験場国庫補助法)や、明治26年に発足した国立農事試験場が成立の背景にあるようです。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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http://www.city.aomori.aomori.jp/koho-kocho/keitai-mini/top/mailmagazine.html
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企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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現在の農林総合研究所の前身に位置づけられる「青森県農事試験場」(以下、試験場と略記)は、明治33年(1900)3月に誕生し、翌4月1日から業務を開始したと『青森県農業試験場百年史』(青森県農業試験場、2000年)に記されています。また、『新青森市史』通史編第3巻近代では、明治33年5月に設置されたとあります。なお、同年5月19日付の『東奥日報』は業務の開始日を「去る4月1日」と報じています。設置場所はともに新城村大字石江です。
さらに、明治33年7月4日、第2回臨時県会で県の参事官が「農事試験場及び水産試験場は本年の創始になるもの」(『青森県議会史』)と発言しているので、試験場が明治33年春に業務を開始していることに疑う余地はありません。
しかし、明治24年に成った『青森県農事調査書』という記録には、同地に設置された試験場は明治17年の開業と記しているのです。さらに、明治22年3月22日付『東奥日報』には、試験場が行う馬の払下げに関する広告が載っているのです。「官報」明治24年4月28日付「官報」第2345号にも「青森県農事試験場附属物産陳列場」という試験場の附属施設が明治22年10月にオープンしたとあります。つまり、明治17年、少なくとも明治20年代前半に新城村大字石江の地に試験場(以下、第一次試験場とする)があったことは、これまた疑う余地がないのです。
では、このふたつの農事試験場をどのように理解すればいいのでしょう…。
実は、第一次試験場は、後に青森県農会に無償で貸与され、経営が県の手から離れるのです。その時期は明治27年度からと見ています。ただ、かなり杜撰な経営であったようで、明治32年10月21日付『東奥日報』はここを訪れた「某事業者」の談話として、「同場は殆んと所有者なき荒畑の如き観」であって、「老木の桑・林檎等は半枯の有様」などと報じています。そうしたなか、この地に改めて県が運営する試験場(以下、第二次試験場とする)が設置されることになるのです。ですから、第一次試験場は、現在の農林総合研究所の沿革に絡まないのです。そのため、存在が歴史に埋もれてしまったのです。
一方、第二次試験場については、明治20年代後半から農業支援策としての法律が整備されたこと(とくに明治32年公布の農事試験場国庫補助法)や、明治26年に発足した国立農事試験場が成立の背景にあるようです。
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