「あおもり歴史トリビア」第548号(令和5年3月31日配信)
2023/03/31 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第548号(令和5年3月31日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。文化遺産課の児玉です。前回に引き続き、青森県内の環状列石について紹介してみたいと思います。
東北地方北部や北海道南部の傾向として、縄文時代後期前半(約4,000年前)の環状列石が多く見られますが、弘前市の大森勝山遺跡は、それらよりも約1,000年も新しい縄文時代晩期の環状列石です。環状列石の大きさは、直径約49m×39mを測り、約1,200個の石から構成されています。特徴的な出土遺物としては、環状列石から約250点の円盤状石製品が見つかっており、当時の祭祀・儀礼に関わる道具として考えられます。このほかにも、土器や土偶、石器類などが出土しており、遺跡周辺の裾野地区体育文化交流センターに出土品が展示されています。
近年発見された環状列石としては、むつ市の酪農(3)遺跡があります。令和2・3年度の二ヶ年にわたり調査され、縄文時代後期初頭~前葉(約4,500年~4,000年前)を主体とする遺跡です。調査では、環状列石のほか、竪穴建物跡(かつては竪穴住居跡と呼ばれていたもの)、土坑、土器埋設遺構などが検出されています。
環状列石は、小牧野遺跡と同じ後期前葉(約4,000年前)の時期と考えられ、現存する石が20個と少ないのですが、それらが環状に配置する列石の直径は約20mを測ります。また、環状列石の構築に際し、事前に地面を掘削するなどの土地造成が行われています。
このほか、環状列石よりも古い時期になりますが、後期初頭(約4,500年前)の埋設土器の中から、保存状態の良い人骨も見つかりました。
以上の遺跡のほかに、部分的な発掘調査により、環状列石として推定されているものもあります。田子町関遺跡は、在家平遺跡とも呼ばれ、直径30mの後期前半の環状列石と推定されています。三戸町泉山遺跡は、昭和50年の調査で長さ約10m、平成3・4・6年の調査で長さ約28mの弧状の列石を検出し、両者は環状に連なっていると推定され、縄文中期あるいは晩期前半に相当すると報告されています。八戸市荒谷遺跡は、大小さまざまな石から構成される弧状の配石で、確認部で長さ15m前後を測り、平成13年の調査で検出した配石遺構に連なった環状列石(直径32m)と推測され、縄文晩期後半から弥生前期の環状列石と考えられています。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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-編集・発行---------
企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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東北地方北部や北海道南部の傾向として、縄文時代後期前半(約4,000年前)の環状列石が多く見られますが、弘前市の大森勝山遺跡は、それらよりも約1,000年も新しい縄文時代晩期の環状列石です。環状列石の大きさは、直径約49m×39mを測り、約1,200個の石から構成されています。特徴的な出土遺物としては、環状列石から約250点の円盤状石製品が見つかっており、当時の祭祀・儀礼に関わる道具として考えられます。このほかにも、土器や土偶、石器類などが出土しており、遺跡周辺の裾野地区体育文化交流センターに出土品が展示されています。
近年発見された環状列石としては、むつ市の酪農(3)遺跡があります。令和2・3年度の二ヶ年にわたり調査され、縄文時代後期初頭~前葉(約4,500年~4,000年前)を主体とする遺跡です。調査では、環状列石のほか、竪穴建物跡(かつては竪穴住居跡と呼ばれていたもの)、土坑、土器埋設遺構などが検出されています。
環状列石は、小牧野遺跡と同じ後期前葉(約4,000年前)の時期と考えられ、現存する石が20個と少ないのですが、それらが環状に配置する列石の直径は約20mを測ります。また、環状列石の構築に際し、事前に地面を掘削するなどの土地造成が行われています。
このほか、環状列石よりも古い時期になりますが、後期初頭(約4,500年前)の埋設土器の中から、保存状態の良い人骨も見つかりました。
以上の遺跡のほかに、部分的な発掘調査により、環状列石として推定されているものもあります。田子町関遺跡は、在家平遺跡とも呼ばれ、直径30mの後期前半の環状列石と推定されています。三戸町泉山遺跡は、昭和50年の調査で長さ約10m、平成3・4・6年の調査で長さ約28mの弧状の列石を検出し、両者は環状に連なっていると推定され、縄文中期あるいは晩期前半に相当すると報告されています。八戸市荒谷遺跡は、大小さまざまな石から構成される弧状の配石で、確認部で長さ15m前後を測り、平成13年の調査で検出した配石遺構に連なった環状列石(直径32m)と推測され、縄文晩期後半から弥生前期の環状列石と考えられています。
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