「あおもり歴史トリビア」第551号(令和5年4月21日配信)
2023/04/21 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第551号(令和5年4月21日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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はじめまして。今年度から歴史資料室の一員として活動をすることになりました福田です。皆さんに楽しんでいただけるような情報を発信し、一緒に青森の歴史を学んでいきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
4月初旬、お天気の良い日を見計らって、棟方志功記念館春の展示「REMEMBER~雑華山房主人と鎌倉山」(~6月18日(日))に行ってきました。雑華山房は昭和32年(1957)、鎌倉市鎌倉山に建てた棟方の別荘兼アトリエですが、その一室に置かれ、とても大事にしていたというスタインウエイのグランドピアノが展示されていました。添えられた解説によれば自身は弾かないのでピアニストを招いたり、時には娘さん達が弾くこともあったそうです。孫娘の石井頼子さん(長女けようの長女)は、高価なものを買う贅沢を許して欲しいと家族に頭を下げ、感慨深げに鍵盤に手を置いていたことをよく覚えているといいます(石井頼子『棟方志功の眼』2017年 里文出版)。
今年生誕120周年を迎える棟方は音楽、なかでも「音楽といえばベートーヴェン」というくらいベートーヴェンを好み、作品のモチーフとしても幾度かとりあげています。今回は、棟方が創作の源泉としてのベートーヴェンと出会うきっかけをつくり、彼の才能を高く評価し生涯支え続けた大原總一郎とのエピソードを紹介したいとおもいます。
棟方には「運命頌」 (1951年全4柵)という大作があります。これは岡山県の実業家で大原美術館を設立した大原孫三郎の長男であった總一郎が、新製品ビニロン(日本初の純国産合成繊維)の本格的事業化にあたり、社の命運をかける自らの意気込みを棟方に依頼してつくられた作品です。
總一郎は、別名「美尼羅牟(ビニロン)照版画柵」ともよばれるこの作品の出来栄えに満足した様子で、富山県に建設したビニロン工場の宿舎に掛け、工場視察のたびに宿泊したといわれています(石井頼子『言霊の人 棟方志功』2015年 里文出版)。
棟方の著作『板極道』(2019年 中央公論新社)によれば、大原家との出会いは昭和13年、欧米各国の繊維工場視察旅行から帰国した總一郎を祝う宴に招かれ、自邸の襖絵を依頼されたことに始まります。当代きっての文化人で鋭い審美眼を持つ總一郎に認められたことに感激した棟方は奮起し、以後数々の名作を大原家に納めることになります。
また、音楽にも造詣が深い總一郎は棟方を自室に呼び入れ、ベートーヴェンの交響曲を1番から9番まで二人で夜通し聴き、そのリズムと板画の切込みに通じるものを感じたというエピソードが棟方自身によって語られ、その経験が以後の作品に大きな影響を与えたことがうかがえます(『わだばゴッホになる』1975年 日本経済新聞社)。棟方は、その後も「歓喜頌」(1952年)、ベートーヴェン・チェア(1974年 生涯最後の作品)などベートーヴェンを題材にした作品を生み出しています。多くの逸品を生み出した二人の出会いは、まさに「運命」だったのですね。二人の厚い信頼関係は、出会いから30年後の昭和43年、總一郎が亡くなるまで終生続きました。
青森市民図書館では8階郷土あおもりコーナーでの関連の書籍を閲覧できるほか、6階AVオーディオコーナーではベートーヴェンの交響曲CDを視聴することができます。
本に触れ、音楽を聴いてから作品を鑑賞すると、また違った発見があるかもしれませんね。
この文章を書くにあたっては、本文であげたもののほか、石井頼子『言霊の人棟方志功』(2015年 里文出版)、石井頼子『もっと知りたい棟方志功 生涯と作品』(2016年 東京美術)などを参考にしました。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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青森市中央1-22-5
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今年生誕120周年を迎える棟方は音楽、なかでも「音楽といえばベートーヴェン」というくらいベートーヴェンを好み、作品のモチーフとしても幾度かとりあげています。今回は、棟方が創作の源泉としてのベートーヴェンと出会うきっかけをつくり、彼の才能を高く評価し生涯支え続けた大原總一郎とのエピソードを紹介したいとおもいます。
棟方には「運命頌」 (1951年全4柵)という大作があります。これは岡山県の実業家で大原美術館を設立した大原孫三郎の長男であった總一郎が、新製品ビニロン(日本初の純国産合成繊維)の本格的事業化にあたり、社の命運をかける自らの意気込みを棟方に依頼してつくられた作品です。
總一郎は、別名「美尼羅牟(ビニロン)照版画柵」ともよばれるこの作品の出来栄えに満足した様子で、富山県に建設したビニロン工場の宿舎に掛け、工場視察のたびに宿泊したといわれています(石井頼子『言霊の人 棟方志功』2015年 里文出版)。
棟方の著作『板極道』(2019年 中央公論新社)によれば、大原家との出会いは昭和13年、欧米各国の繊維工場視察旅行から帰国した總一郎を祝う宴に招かれ、自邸の襖絵を依頼されたことに始まります。当代きっての文化人で鋭い審美眼を持つ總一郎に認められたことに感激した棟方は奮起し、以後数々の名作を大原家に納めることになります。
また、音楽にも造詣が深い總一郎は棟方を自室に呼び入れ、ベートーヴェンの交響曲を1番から9番まで二人で夜通し聴き、そのリズムと板画の切込みに通じるものを感じたというエピソードが棟方自身によって語られ、その経験が以後の作品に大きな影響を与えたことがうかがえます(『わだばゴッホになる』1975年 日本経済新聞社)。棟方は、その後も「歓喜頌」(1952年)、ベートーヴェン・チェア(1974年 生涯最後の作品)などベートーヴェンを題材にした作品を生み出しています。多くの逸品を生み出した二人の出会いは、まさに「運命」だったのですね。二人の厚い信頼関係は、出会いから30年後の昭和43年、總一郎が亡くなるまで終生続きました。
青森市民図書館では8階郷土あおもりコーナーでの関連の書籍を閲覧できるほか、6階AVオーディオコーナーではベートーヴェンの交響曲CDを視聴することができます。
本に触れ、音楽を聴いてから作品を鑑賞すると、また違った発見があるかもしれませんね。
この文章を書くにあたっては、本文であげたもののほか、石井頼子『言霊の人棟方志功』(2015年 里文出版)、石井頼子『もっと知りたい棟方志功 生涯と作品』(2016年 東京美術)などを参考にしました。
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