「あおもり歴史トリビア」第554号(令和5年5月19日配信)
2023/05/19 (Fri) 17:00
「あおもり歴史トリビア」第554号(令和5年5月19日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の福田です。
館内展示「青森の人と風景-木村家旧蔵資料を中心に」の8階会場に「青森県畜産振興会社」の牛乳製造場面の写真を掲示しているのですが、同じ社名の牛乳ビンの蓋が、展示関連図書の和田安郎監修『MILK CAP 牛乳ビンのふたの本』(2002年 きんとうん出版)にコレクションとして掲載されているのを見つけました。「青森県畜産振興株式会社青森工場 青森市造道浪打5 TEL 4918」と書かれ、文字を囲むようにリンゴのデザインがあしらわれています。さて、どのような会社だったのでしょうか。
青森県畜産振興株式会社は、戦後青森の畜産振興を目的とした県策会社で、昭和25年(1950)2月25日招集の第17回定例県議会で設立の決議がされており、同年5月27日創立の際は資本金3,000万円のうち県が2,000万円、市町村と農業団体が1,000万を出資しています。昭和26年7月下旬に県下一の設備を持つミルクプラントとして青森市造道浪打5番地、堤川畔の元ローソク工場跡跡地に完成した工場は、8月5日に操業を開始し、11月15日には副知事と県議会議長を招待して盛大な落成式を挙行したことが記録されています。業務内容としては、この工場でヨーグルト、アイスクリーム、練乳等の乳製品を製造したほか、家畜購入資金の融資および家畜の貸付、家畜購入斡旋も行っていました。
しかし、期待を背負ってスタートしたものの、経済情勢の悪化により、昭和30年に青森県進出を決めた大手の雪印乳業への業務移譲が検討され始め、翌昭和31年2月22日の株主総会で正式に譲渡の決定がなされて会社の名前はなくなってしまいます。
では、業務譲渡後はどうなったのでしょう。
昭和37年3月1日発行の『わが国の工業立地』(株式会社通信産業研究社)掲載の地図では、堤川下流に「雪印乳業青森工場」とあることから、昭和40年青森市新城山田の新工場移転までは、青森県畜産振興公社が操業していた場所で製造を継続していたようです。その後雪印乳業が日本ミルクコミュニティとの統合を経て雪印メグミルクが設立されると、平成16年(2004に)完全撤退し、青森市内には牛乳工場がなくなってしまい、現在に至っています。
今回は1枚の牛乳ビンの蓋から青森市の乳業の歴史をたどることができました。ぜひ
会場にお越しいただき、何か新しいを発見していただけたらと思います。
※今回の内容は『青森県議会史 自昭和21年 至昭和27年』、『青森市議会史 自昭和21年 至昭和27年』、『酪農事情』(酪農事情社 1952.1.10 19531.10 1955.8.10 1956.5.10 1965.9.10)などを参考にしました。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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館内展示「青森の人と風景-木村家旧蔵資料を中心に」の8階会場に「青森県畜産振興会社」の牛乳製造場面の写真を掲示しているのですが、同じ社名の牛乳ビンの蓋が、展示関連図書の和田安郎監修『MILK CAP 牛乳ビンのふたの本』(2002年 きんとうん出版)にコレクションとして掲載されているのを見つけました。「青森県畜産振興株式会社青森工場 青森市造道浪打5 TEL 4918」と書かれ、文字を囲むようにリンゴのデザインがあしらわれています。さて、どのような会社だったのでしょうか。
青森県畜産振興株式会社は、戦後青森の畜産振興を目的とした県策会社で、昭和25年(1950)2月25日招集の第17回定例県議会で設立の決議がされており、同年5月27日創立の際は資本金3,000万円のうち県が2,000万円、市町村と農業団体が1,000万を出資しています。昭和26年7月下旬に県下一の設備を持つミルクプラントとして青森市造道浪打5番地、堤川畔の元ローソク工場跡跡地に完成した工場は、8月5日に操業を開始し、11月15日には副知事と県議会議長を招待して盛大な落成式を挙行したことが記録されています。業務内容としては、この工場でヨーグルト、アイスクリーム、練乳等の乳製品を製造したほか、家畜購入資金の融資および家畜の貸付、家畜購入斡旋も行っていました。
しかし、期待を背負ってスタートしたものの、経済情勢の悪化により、昭和30年に青森県進出を決めた大手の雪印乳業への業務移譲が検討され始め、翌昭和31年2月22日の株主総会で正式に譲渡の決定がなされて会社の名前はなくなってしまいます。
では、業務譲渡後はどうなったのでしょう。
昭和37年3月1日発行の『わが国の工業立地』(株式会社通信産業研究社)掲載の地図では、堤川下流に「雪印乳業青森工場」とあることから、昭和40年青森市新城山田の新工場移転までは、青森県畜産振興公社が操業していた場所で製造を継続していたようです。その後雪印乳業が日本ミルクコミュニティとの統合を経て雪印メグミルクが設立されると、平成16年(2004に)完全撤退し、青森市内には牛乳工場がなくなってしまい、現在に至っています。
今回は1枚の牛乳ビンの蓋から青森市の乳業の歴史をたどることができました。ぜひ
会場にお越しいただき、何か新しいを発見していただけたらと思います。
※今回の内容は『青森県議会史 自昭和21年 至昭和27年』、『青森市議会史 自昭和21年 至昭和27年』、『酪農事情』(酪農事情社 1952.1.10 19531.10 1955.8.10 1956.5.10 1965.9.10)などを参考にしました。
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TEL:017-732-5271
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