「あおもり歴史トリビア」第719号(令和8年9月11日配信)
2026/09/11 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第719号(令和8年9月11日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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皆さん、こんにちは。文化遺産課の設楽です。
前回(令和8年5月29日配信 第704号)、津軽半島の山間部に存在する「銅屋」の地名についてご紹介しました。今回は、同じく津軽半島の山間部に存在する「たたら」の地名をご紹介したいと思います。
津軽半島には、前回紹介した「銅屋」に比べると、それほど多く認められませんが、タタラ沢(中泊町今泉地区)、タダラ沢(外ヶ浜町大平地区)、多々良沢(五所川原市喜良市地区)といった名称の沢が存在します。これらの地名は、「たたら」に由来すると考えられます。
「たたら」については、平仮名、片仮名のほかに、鑪、鈩、多々良などの漢字でも表され、もともと製錬炉(令和5年6月30日No.560)内を高温状態にするための炉内への送風装置である鞴(ふいご)を指す呼称でしたが、のちに製鉄の作業場や製鉄そのものを指す呼称になったようです。「たたら」の地名は、西日本を中心として、九州から関東、北陸、東北の各地に分布しており、これらの地名は、付近で製鉄が行われたことに由来するものが多いと推定されますが、中には製鉄との関わりが不明なものも存在するようです。
津軽半島に存在する「たたら」の地名の由来については、江戸時代に当該地域で行われた製鉄に関連する可能性が高いと考えられますが、弘前藩の公式記録である「弘前藩庁日記 御国日記」(以下、国日記)では、当時の製鉄を指す「鉄吹」や「銅屋(銅冶)」に比べて、「たたら」に関する記載は多くありません。国日記での「たたら」に関する記載には、貞享元年(1684)4月6日の、浅虫山でたたら板を取りたいという鉄吹職人の申出に関する内容があります。「たたら板」が具体的に何を指すのか、なぜ津軽半島から離れた浅虫山から採取しようとしたのかについては、はっきりわかりません。前述のとおり、「たたら」がもともと鞴を意味することを踏まえると、「たたら板」については、当時の製鉄で使われていた踏鞴(ふみふいご)という、足踏み式で箱状を呈する鞴を作るための板材だったのではないかと考えています。この記録から、当時、弘前藩領の製鉄に関わっていた職人たちの間では、「たたら」は鞴に結びついて用いられていた可能性があり、「たたら」の地名の由来については、製鉄が行われた場所だけでなく、鞴の部材調達の観点からも検討することができそうです。
《参考文献等》
青森県文化財保護協会 1983 『みちのく双書 津軽史 第13巻』
雀部実・館充・寺島慶一編 2003 『近世たたら製鉄の歴史』
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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津軽半島には、前回紹介した「銅屋」に比べると、それほど多く認められませんが、タタラ沢(中泊町今泉地区)、タダラ沢(外ヶ浜町大平地区)、多々良沢(五所川原市喜良市地区)といった名称の沢が存在します。これらの地名は、「たたら」に由来すると考えられます。
「たたら」については、平仮名、片仮名のほかに、鑪、鈩、多々良などの漢字でも表され、もともと製錬炉(令和5年6月30日No.560)内を高温状態にするための炉内への送風装置である鞴(ふいご)を指す呼称でしたが、のちに製鉄の作業場や製鉄そのものを指す呼称になったようです。「たたら」の地名は、西日本を中心として、九州から関東、北陸、東北の各地に分布しており、これらの地名は、付近で製鉄が行われたことに由来するものが多いと推定されますが、中には製鉄との関わりが不明なものも存在するようです。
津軽半島に存在する「たたら」の地名の由来については、江戸時代に当該地域で行われた製鉄に関連する可能性が高いと考えられますが、弘前藩の公式記録である「弘前藩庁日記 御国日記」(以下、国日記)では、当時の製鉄を指す「鉄吹」や「銅屋(銅冶)」に比べて、「たたら」に関する記載は多くありません。国日記での「たたら」に関する記載には、貞享元年(1684)4月6日の、浅虫山でたたら板を取りたいという鉄吹職人の申出に関する内容があります。「たたら板」が具体的に何を指すのか、なぜ津軽半島から離れた浅虫山から採取しようとしたのかについては、はっきりわかりません。前述のとおり、「たたら」がもともと鞴を意味することを踏まえると、「たたら板」については、当時の製鉄で使われていた踏鞴(ふみふいご)という、足踏み式で箱状を呈する鞴を作るための板材だったのではないかと考えています。この記録から、当時、弘前藩領の製鉄に関わっていた職人たちの間では、「たたら」は鞴に結びついて用いられていた可能性があり、「たたら」の地名の由来については、製鉄が行われた場所だけでなく、鞴の部材調達の観点からも検討することができそうです。
《参考文献等》
青森県文化財保護協会 1983 『みちのく双書 津軽史 第13巻』
雀部実・館充・寺島慶一編 2003 『近世たたら製鉄の歴史』
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