「あおもり歴史トリビア」第555号(令和5年5月26日配信)
2023/05/26 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第555号(令和5年5月26日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、はじめまして。文化遺産課の石戸谷です。今年度から歴史トリビアのメンバーとなりました。どうぞよろしくお願いします。私の担当回では、民俗に関するお話しをしたいと思います。
ところで、民俗とは、日常生活において繰り返し行われてきた、民間の風習や習慣のことで、民間伝承とも言います。民俗学では、集落を歩いて、古老から昔の暮らし等の聞き取りを行い、地域に残された有形・無形の資料を手掛かりとして、文字に残されにくい日常の暮らしについて、歴史的特徴や変遷を明らかにしようとするものです。
さて、5月に入り、市内あちらこちらの水田で、田植えが行われています。今回は、現在のような機械化される以前の、戦前を中心とした田植えの習俗について紹介したいと思います。
田植えは、旧暦5月(新暦では6月)に行われたことから、県内では広くゴガツとよばれました。田植えの当日には、家の主が水口(みなくち)に、アズキメシ、身欠きにしん、御神酒を供えて豊作を祈願する、水口祭りが行われました。岡町地区では「虫がつかないように、病気がつかないように、世の中(稲の作柄のこと)がよくなるように」、野沢地区では「天気に恵まれて収穫があがるように」と祈願したそうです。田植えは、多くの人手を要するため、オリゲッコやクミッコと呼ばれる数軒の組による共同作業で行われました。
苗の植え方は、クロ(畦)に沿って後ずさりしながら、渦を描くように植えるマワリ植えだったものが、次第に水田に張った縄を目印に、後ずさりしながら植える縄植えが行われるようになります。戦後になると、水田の表面にカタ(田植型)を転がして付けた格子模様を目安に、前方に進みながら植える型植えが普及しました。マワリ植えは、大矢沢地区や荒川地区では、熟達した人がクロに沿って植えていき、ほかの植え手たちは、その人に続いて植えていったそうです。矢田地区の大正6年(1917)生まれの女性によると、若いころにはカタは使わず、中年になってから使うようになったと報告されています。
カタは、宮田地区では六角形や八角形、高田地区では六角形、内真部地区では八角形と、様々なものが用いられていました。
集落全体の田植えが終われば、サナブリと呼ばれる農休みとなり、1週間程度休みました。高田地区では、共同作業を行った人同士で、酸ヶ湯や下湯温泉に日帰りで出かけ、慰労しました。
昭和40年代には、動力田植機が普及しはじめ、共同での作業も次第に姿を消し、家単位での作業へと変わっていきます。
田植えの方法は、農業技術の進歩とともに、変わりましたが、稲作で最も重要な作業であることは、今も昔も変わりません。水口祭りのような儀礼のなかに、出来秋を期待する農家の人々の、稲作に対する思いを垣間見ることができるといえます。
※今回の内容は『新青森市史』別編3民俗(平成20年 青森市)、『青森市史叢書』民俗調査報告書第1集~第6集などを参考にしました。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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ところで、民俗とは、日常生活において繰り返し行われてきた、民間の風習や習慣のことで、民間伝承とも言います。民俗学では、集落を歩いて、古老から昔の暮らし等の聞き取りを行い、地域に残された有形・無形の資料を手掛かりとして、文字に残されにくい日常の暮らしについて、歴史的特徴や変遷を明らかにしようとするものです。
さて、5月に入り、市内あちらこちらの水田で、田植えが行われています。今回は、現在のような機械化される以前の、戦前を中心とした田植えの習俗について紹介したいと思います。
田植えは、旧暦5月(新暦では6月)に行われたことから、県内では広くゴガツとよばれました。田植えの当日には、家の主が水口(みなくち)に、アズキメシ、身欠きにしん、御神酒を供えて豊作を祈願する、水口祭りが行われました。岡町地区では「虫がつかないように、病気がつかないように、世の中(稲の作柄のこと)がよくなるように」、野沢地区では「天気に恵まれて収穫があがるように」と祈願したそうです。田植えは、多くの人手を要するため、オリゲッコやクミッコと呼ばれる数軒の組による共同作業で行われました。
苗の植え方は、クロ(畦)に沿って後ずさりしながら、渦を描くように植えるマワリ植えだったものが、次第に水田に張った縄を目印に、後ずさりしながら植える縄植えが行われるようになります。戦後になると、水田の表面にカタ(田植型)を転がして付けた格子模様を目安に、前方に進みながら植える型植えが普及しました。マワリ植えは、大矢沢地区や荒川地区では、熟達した人がクロに沿って植えていき、ほかの植え手たちは、その人に続いて植えていったそうです。矢田地区の大正6年(1917)生まれの女性によると、若いころにはカタは使わず、中年になってから使うようになったと報告されています。
カタは、宮田地区では六角形や八角形、高田地区では六角形、内真部地区では八角形と、様々なものが用いられていました。
集落全体の田植えが終われば、サナブリと呼ばれる農休みとなり、1週間程度休みました。高田地区では、共同作業を行った人同士で、酸ヶ湯や下湯温泉に日帰りで出かけ、慰労しました。
昭和40年代には、動力田植機が普及しはじめ、共同での作業も次第に姿を消し、家単位での作業へと変わっていきます。
田植えの方法は、農業技術の進歩とともに、変わりましたが、稲作で最も重要な作業であることは、今も昔も変わりません。水口祭りのような儀礼のなかに、出来秋を期待する農家の人々の、稲作に対する思いを垣間見ることができるといえます。
※今回の内容は『新青森市史』別編3民俗(平成20年 青森市)、『青森市史叢書』民俗調査報告書第1集~第6集などを参考にしました。
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