「あおもり歴史トリビア」第556号(令和5年6月2日配信)
2023/06/02 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第556号(令和5年6月2日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは!室長の工藤です。
さて、今年は大正12年(1923)9月1日の関東大震災から100年となります。
『東奥日報』9月3日付朝刊は「在京の代議士」という見出しで、青森県選出の衆議院議員7名のうち東京に滞在中の北山一郎・菊池良一・阿部武智雄・原田藤次郎・梅田潔の5名の安否が不明であると報じています。
彼らのうち東郡・北郡を選挙区とする阿部と青森市選出の北山は、ともに9月4日に青森に戻ってきています。『東奥日報』9月5日付朝刊は、阿部の談話を載せています。
それによると地震発生当時、阿部は北山が宿泊している神田淡路町の筑波館を訪ね囲碁をしていました。そして、「俄の強震で盤面を中央に両人共安座した儘コロコロ転が」ったと語っています。その後窓から外のようすを見たのでしょうか、隣の活版印刷所や土蔵が崩壊したといい、さらに建物の「屋根瓦の落ちるのは恰も雨の如く、又林檎の実のふるひ落ちるが如くバラバラ降つてくる」と語っています。
屋根瓦の落下については、やはり罹災した青森市浜町出身の日銀職員が帰青後に「屋根から辷り落ちる瓦で多数の負傷者を出したやうである」とも語っています(『東奥日報』9月8日付朝刊)。阿部・北山両氏が外に出たところ「筑波館の入口道路は瓦の山で、先に逃げ出した人は大抵負傷した」といいます。
そして両氏は別れ、阿部は「注文した鰻丼が待ち切れず」宿舎の下谷黒門町の旅館に戻りました。しかし彼は鰻丼を食べることができず、1日に朝食を取って以後3日午後10時頃に福島県の白河駅でおにぎり2個を手にするまで2日以上食事を取ることができませんでした。
また、宿舎に戻った阿部は屋根に上り辺りを見回すと、30か所以上の地点で火の手が上がっていました。これに驚き避難を始め、まずは上野駅に行くものの「汽車の発着模様一切不明」ということでした。結局、行動は各々でしたが阿部・北山ともに日暮里から赤羽まで列車で移動し、そこから埼玉県の川口駅まで歩き、青森へ向かう列車に乗っています。ただ、川口駅は大混雑で、北山はトイレの窓から乗車したといいます(『東奥日報』9月6日付5日夕刊)。
青森県は関東大震災の被災地ではありませんが、在京県人に対する救護団の派遣や、食糧や木材などの物資の提供、また青森駅前にも避難をしてきた人たちへの救護所を設置するといったことを通じてこの震災と関わってきました。
時間はかかると思いますが、このメールマガジン等を通じて「青森」という視点から、関東大震災を伝える資料を紹介していきたいと考えています。
1集~第6集などを参考にしました。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
登録の変更や利用停止の手続は、次の画面からどうぞ。
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-編集・発行---------
企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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さて、今年は大正12年(1923)9月1日の関東大震災から100年となります。
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彼らのうち東郡・北郡を選挙区とする阿部と青森市選出の北山は、ともに9月4日に青森に戻ってきています。『東奥日報』9月5日付朝刊は、阿部の談話を載せています。
それによると地震発生当時、阿部は北山が宿泊している神田淡路町の筑波館を訪ね囲碁をしていました。そして、「俄の強震で盤面を中央に両人共安座した儘コロコロ転が」ったと語っています。その後窓から外のようすを見たのでしょうか、隣の活版印刷所や土蔵が崩壊したといい、さらに建物の「屋根瓦の落ちるのは恰も雨の如く、又林檎の実のふるひ落ちるが如くバラバラ降つてくる」と語っています。
屋根瓦の落下については、やはり罹災した青森市浜町出身の日銀職員が帰青後に「屋根から辷り落ちる瓦で多数の負傷者を出したやうである」とも語っています(『東奥日報』9月8日付朝刊)。阿部・北山両氏が外に出たところ「筑波館の入口道路は瓦の山で、先に逃げ出した人は大抵負傷した」といいます。
そして両氏は別れ、阿部は「注文した鰻丼が待ち切れず」宿舎の下谷黒門町の旅館に戻りました。しかし彼は鰻丼を食べることができず、1日に朝食を取って以後3日午後10時頃に福島県の白河駅でおにぎり2個を手にするまで2日以上食事を取ることができませんでした。
また、宿舎に戻った阿部は屋根に上り辺りを見回すと、30か所以上の地点で火の手が上がっていました。これに驚き避難を始め、まずは上野駅に行くものの「汽車の発着模様一切不明」ということでした。結局、行動は各々でしたが阿部・北山ともに日暮里から赤羽まで列車で移動し、そこから埼玉県の川口駅まで歩き、青森へ向かう列車に乗っています。ただ、川口駅は大混雑で、北山はトイレの窓から乗車したといいます(『東奥日報』9月6日付5日夕刊)。
青森県は関東大震災の被災地ではありませんが、在京県人に対する救護団の派遣や、食糧や木材などの物資の提供、また青森駅前にも避難をしてきた人たちへの救護所を設置するといったことを通じてこの震災と関わってきました。
時間はかかると思いますが、このメールマガジン等を通じて「青森」という視点から、関東大震災を伝える資料を紹介していきたいと考えています。
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