「あおもり歴史トリビア」第557号(令和5年6月9日配信)
2023/06/09 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第557号(令和5年6月9日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。
先日、青森県近代文学館の新収蔵資料展示「雨雀の言葉-秋田雨雀生誕140年-」を見学しました。この展示では黒石町(現黒石市)出身で青森市にもゆかりのある作家・秋田雨雀(あきた・うじゃく 1883-1962)が書いた色紙や短冊など初公開の資料を観ることができます(展示は7月26日(水)まで)。また、6月21日(水)までは館内パネル展「鳴海完造と秋田雨雀」もあわせて行われています。
さて、秋田は明治35年(1902)に上京し、長年、東京の雑司ヶ谷で生活していましたが、昭和19年(1944)4月に孫の静江を連れて黒石町へ疎開しました。そして、昭和20年10月に作家・淡谷悠蔵の好意で新城村(現青森市新城)の黎明草舎へ移り、昭和22年1月には青森市造道へと引っ越しています。「あおもり歴史トリビア」第209号(平成28年5月20日配信)では秋田が造道小学校の初代PTA会長を務めたことをご紹介しました。
では、秋田はPTAではどのような活動をしていたのでしょうか。秋田の日記を読んでみると、わずかですがPTA活動に関する記述がありました。例えば、昭和23年1月26日の日記には、夜6時からPTAの会議に出席し、学区の問題や給食の問題、新制中学校の併置に伴う学級編成の問題などを協議したとあります。特に新制中学校の問題は関心が高かったようで、多くの母親が出席したといいます。
新制中学校は小学校に続く義務教育機関として昭和22年4月に発足しました。この時、
青森市では油川中学校、沖館中学校、古川中学校、野脇中学校の4校が開校していますが、野脇中学校以外は独立した校舎を持たず、小学校に併置されました。造道小学校に中学校は併置されていませんでしたが、学校関係者の間では併置に関する議論が行われていたようです。
さらに、昭和23年3月29日の日記には造道小学校の卒業式に出席し、PTAを代表して「卒業式の体験と、卒業式の喜びと悲しみについて」というテーマで挨拶を述べたことや、孫の静江が皆勤賞と優等賞をもらって驚いたことなどを記しています。
秋田の日記にはこのほかにも疎開中の青森で体験したさまざまなできごとが記録されています。7月5日から行う館内展示「青森市ゆかりの文化人と戦争・平和」で詳しくご紹介できればと考えています。
※今回の内容は尾崎宏次編『秋田雨雀日記』第4巻(1966年 未来社)を参考にしました。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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-編集・発行---------
企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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こんにちは。歴史資料室の村上です。
先日、青森県近代文学館の新収蔵資料展示「雨雀の言葉-秋田雨雀生誕140年-」を見学しました。この展示では黒石町(現黒石市)出身で青森市にもゆかりのある作家・秋田雨雀(あきた・うじゃく 1883-1962)が書いた色紙や短冊など初公開の資料を観ることができます(展示は7月26日(水)まで)。また、6月21日(水)までは館内パネル展「鳴海完造と秋田雨雀」もあわせて行われています。
さて、秋田は明治35年(1902)に上京し、長年、東京の雑司ヶ谷で生活していましたが、昭和19年(1944)4月に孫の静江を連れて黒石町へ疎開しました。そして、昭和20年10月に作家・淡谷悠蔵の好意で新城村(現青森市新城)の黎明草舎へ移り、昭和22年1月には青森市造道へと引っ越しています。「あおもり歴史トリビア」第209号(平成28年5月20日配信)では秋田が造道小学校の初代PTA会長を務めたことをご紹介しました。
では、秋田はPTAではどのような活動をしていたのでしょうか。秋田の日記を読んでみると、わずかですがPTA活動に関する記述がありました。例えば、昭和23年1月26日の日記には、夜6時からPTAの会議に出席し、学区の問題や給食の問題、新制中学校の併置に伴う学級編成の問題などを協議したとあります。特に新制中学校の問題は関心が高かったようで、多くの母親が出席したといいます。
新制中学校は小学校に続く義務教育機関として昭和22年4月に発足しました。この時、
青森市では油川中学校、沖館中学校、古川中学校、野脇中学校の4校が開校していますが、野脇中学校以外は独立した校舎を持たず、小学校に併置されました。造道小学校に中学校は併置されていませんでしたが、学校関係者の間では併置に関する議論が行われていたようです。
さらに、昭和23年3月29日の日記には造道小学校の卒業式に出席し、PTAを代表して「卒業式の体験と、卒業式の喜びと悲しみについて」というテーマで挨拶を述べたことや、孫の静江が皆勤賞と優等賞をもらって驚いたことなどを記しています。
秋田の日記にはこのほかにも疎開中の青森で体験したさまざまなできごとが記録されています。7月5日から行う館内展示「青森市ゆかりの文化人と戦争・平和」で詳しくご紹介できればと考えています。
※今回の内容は尾崎宏次編『秋田雨雀日記』第4巻(1966年 未来社)を参考にしました。
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