「あおもり歴史トリビア」第560号(令和5年6月30日配信)
2023/06/30 (Fri) 15:00
「あおもり歴史トリビア」第560号(令和5年6月30日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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皆さん、こんにちは。今回からあおもり歴史トリビアの執筆メンバーに加わりました、文化遺産課の設楽です。どうぞよろしくお願いします。
私は、一応、大学で考古学を学んだ埋蔵文化財の専門職員なのですが、考古学の分野の中では、かなりマイナーな「製鉄」を専門としています。「製鉄」とは、その名のとおり鉄を製造することを意味し、製鉄が行われた痕跡が残る遺跡は「製鉄遺跡」といいます。
今回の私の担当分では、鉄を製造するために最初に必要となる工程やその歴史の概略とともに、青森市内で確認されている平安時代の製鉄遺跡の概要をご紹介します。
鉄は、地球の重量の30%を占めるほど豊富な埋蔵量があり、自然界においては、鉄鉱石や砂鉄として存在しています。これらは酸化鉄、すなわち錆びた状態の鉄であり、このままでは金属として利用できません。そこで、金属として利用するために、鉄鉱石や砂鉄に含まれる酸素を取り除く技術が生みだされました。この工程は「製錬」と呼ばれ、粘土製の炉の中で、酸化鉄を木炭とともに燃焼させ、酸素を取り除くもので、鉄を金属として利用するために必要な第1段階の工程です。製錬の後には、「鍛冶」という工程によって、鉄から製品への加工が行われます。製錬が行われた粘土製の炉は「製錬炉」または「製鉄炉」と呼ばれます。因みに、製錬や鍛冶の際には、鉄分があまり含まれない塊状のものが排出されるのですが、これを「鉄滓」(てっさい)と呼びます。
日本の製錬は、朝鮮半島や中国大陸の技術の影響を受けて、古墳時代の6世紀後半に九州北部や中国、近畿地方の一部で開始されました。日本で最初に製錬が行われた、これらの地域は、鉄鉱石を産出する地域ということもあり、中国大陸や朝鮮半島で行われていた鉄鉱石を原料とした技術が採用されましたが、やがて日本ではどこでも採れる砂鉄を原料とした製錬が行われるようになり、平安時代の9世紀後半頃までには東北北部から九州南部にかけての全国各地に製錬技術が広がりました。
青森県内では、平安時代の9世紀後半頃に砂鉄を原料とした製錬が始まりました。青森市内の平安時代の遺跡でも10世紀以降の製錬炉が確認されており、国史跡高屋敷館遺跡や野木(1)遺跡など、10箇所以上にのぼります。これらの遺跡では、主に竪穴建物跡で構成される集落内に1~2基の製錬炉が確認されていることから、集落内で使用する鉄を自給的に製造していたと考えられます。
なお、高屋敷館遺跡から出土した鉄滓は、青森市中世の館に展示しています。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
○携帯サイト「青森市mini」
http://www.city.aomori.aomori.jp/koho-kocho/keitai-mini/top/mailmagazine.html
-編集・発行---------
企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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今回の私の担当分では、鉄を製造するために最初に必要となる工程やその歴史の概略とともに、青森市内で確認されている平安時代の製鉄遺跡の概要をご紹介します。
鉄は、地球の重量の30%を占めるほど豊富な埋蔵量があり、自然界においては、鉄鉱石や砂鉄として存在しています。これらは酸化鉄、すなわち錆びた状態の鉄であり、このままでは金属として利用できません。そこで、金属として利用するために、鉄鉱石や砂鉄に含まれる酸素を取り除く技術が生みだされました。この工程は「製錬」と呼ばれ、粘土製の炉の中で、酸化鉄を木炭とともに燃焼させ、酸素を取り除くもので、鉄を金属として利用するために必要な第1段階の工程です。製錬の後には、「鍛冶」という工程によって、鉄から製品への加工が行われます。製錬が行われた粘土製の炉は「製錬炉」または「製鉄炉」と呼ばれます。因みに、製錬や鍛冶の際には、鉄分があまり含まれない塊状のものが排出されるのですが、これを「鉄滓」(てっさい)と呼びます。
日本の製錬は、朝鮮半島や中国大陸の技術の影響を受けて、古墳時代の6世紀後半に九州北部や中国、近畿地方の一部で開始されました。日本で最初に製錬が行われた、これらの地域は、鉄鉱石を産出する地域ということもあり、中国大陸や朝鮮半島で行われていた鉄鉱石を原料とした技術が採用されましたが、やがて日本ではどこでも採れる砂鉄を原料とした製錬が行われるようになり、平安時代の9世紀後半頃までには東北北部から九州南部にかけての全国各地に製錬技術が広がりました。
青森県内では、平安時代の9世紀後半頃に砂鉄を原料とした製錬が始まりました。青森市内の平安時代の遺跡でも10世紀以降の製錬炉が確認されており、国史跡高屋敷館遺跡や野木(1)遺跡など、10箇所以上にのぼります。これらの遺跡では、主に竪穴建物跡で構成される集落内に1~2基の製錬炉が確認されていることから、集落内で使用する鉄を自給的に製造していたと考えられます。
なお、高屋敷館遺跡から出土した鉄滓は、青森市中世の館に展示しています。
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