「あおもり歴史トリビア」第561号(令和5年7月7日配信)
2023/07/07 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第561号(令和5年7月7日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。
7月5日(水)から新しい館内展示「青森市ゆかりの文化人と戦争・平和」が始まりました。8階の展示スペースでは菊谷栄や棟方志功といった青森市ゆかりの文化人の戦争体験を紹介するとともに、戦時国策推進団体の機関誌など戦時中の出版物を展示しています。また、淡谷のり子『歌わない日はなかった』(1988年 婦人画報社)など展示に関連する図書の紹介・貸出も行っています。
さらに、7階のエントランスには平成28年(2016)に発行した「青森市平和マップ」の内容を発展させた「青森市平和マップ2023」を展示しています。この展示は8月23日(水)まで行いますので、市民図書館へお越しの際はぜひご覧ください。
さて、今回の展示では青森空襲の体験記をいくつかご紹介しています。今日はその中から東奥日報社の工藤規(くどう・ただし、号は紙城)と本多徳治の体験記を取り上げたいと思います。
東奥日報社では空襲から社屋を守るために3隊からなる防衛部隊を組織し、警戒警報(航空機来襲のおそれがあることを知らせる警報)が発令された際には当番となっている部隊が会社に駆けつけることとしていました。7月28日夜に駆けつけ当番となっていたのは工藤が隊長、本多が副隊長を務める第三防衛部隊でした。
本多が記した「戦災記」(『東奥社内通信』第243号に掲載)によると、午後9時10分に警戒警報が発令され、午後9時20分頃には第三防衛部隊の隊員が会社に駆けつけました。そして、午後10時15分の空襲警報発令を受けて全員が配置につきました。第三防衛部隊以外の社員も続々駆けつけ、社屋防衛にあたりました。
工藤の随筆「編集室」(工藤紙城『白雲』に収録)によると、「焼夷弾はどうにか押へた」(消火した)ものの、水道栓から水が出なくなり、玄関脇にいた消防車が姿を消し、隣家からの猛火を食い止めることができなくなりました。工藤は「最早これまで」と判断し、宮川君(第一防衛部隊長の宮川善五郎とみられます)に「万事休焉だよ宮川君皆を避難させよう」と告げました。
随筆「編集室」は工藤と宮川が別々の方向へ走り出す場面で終わっています。その後、二人は社員たちに対して避難を呼びかけたのでしょう。「戦災記」によれば、社屋が炎に包まれ一面が火の海となる中、社員たちは辛うじて八甲通りの溝に避難したといいます。そして、7月29日午前2時には山田金次郎社長らが焦土の上で重役会議を開き、新聞発行を継続するために動き出したのです。
※今回の内容は工藤紙城『白雲』(1964年 東奥日報社)、『東奥日報百年史』(1988年 東奥日報社)などを参考にしています。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
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7月5日(水)から新しい館内展示「青森市ゆかりの文化人と戦争・平和」が始まりました。8階の展示スペースでは菊谷栄や棟方志功といった青森市ゆかりの文化人の戦争体験を紹介するとともに、戦時国策推進団体の機関誌など戦時中の出版物を展示しています。また、淡谷のり子『歌わない日はなかった』(1988年 婦人画報社)など展示に関連する図書の紹介・貸出も行っています。
さらに、7階のエントランスには平成28年(2016)に発行した「青森市平和マップ」の内容を発展させた「青森市平和マップ2023」を展示しています。この展示は8月23日(水)まで行いますので、市民図書館へお越しの際はぜひご覧ください。
さて、今回の展示では青森空襲の体験記をいくつかご紹介しています。今日はその中から東奥日報社の工藤規(くどう・ただし、号は紙城)と本多徳治の体験記を取り上げたいと思います。
東奥日報社では空襲から社屋を守るために3隊からなる防衛部隊を組織し、警戒警報(航空機来襲のおそれがあることを知らせる警報)が発令された際には当番となっている部隊が会社に駆けつけることとしていました。7月28日夜に駆けつけ当番となっていたのは工藤が隊長、本多が副隊長を務める第三防衛部隊でした。
本多が記した「戦災記」(『東奥社内通信』第243号に掲載)によると、午後9時10分に警戒警報が発令され、午後9時20分頃には第三防衛部隊の隊員が会社に駆けつけました。そして、午後10時15分の空襲警報発令を受けて全員が配置につきました。第三防衛部隊以外の社員も続々駆けつけ、社屋防衛にあたりました。
工藤の随筆「編集室」(工藤紙城『白雲』に収録)によると、「焼夷弾はどうにか押へた」(消火した)ものの、水道栓から水が出なくなり、玄関脇にいた消防車が姿を消し、隣家からの猛火を食い止めることができなくなりました。工藤は「最早これまで」と判断し、宮川君(第一防衛部隊長の宮川善五郎とみられます)に「万事休焉だよ宮川君皆を避難させよう」と告げました。
随筆「編集室」は工藤と宮川が別々の方向へ走り出す場面で終わっています。その後、二人は社員たちに対して避難を呼びかけたのでしょう。「戦災記」によれば、社屋が炎に包まれ一面が火の海となる中、社員たちは辛うじて八甲通りの溝に避難したといいます。そして、7月29日午前2時には山田金次郎社長らが焦土の上で重役会議を開き、新聞発行を継続するために動き出したのです。
※今回の内容は工藤紙城『白雲』(1964年 東奥日報社)、『東奥日報百年史』(1988年 東奥日報社)などを参考にしています。
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