「あおもり歴史トリビア」第574号(令和5年10月13日配信)
2023/10/13 (Fri) 15:00
「あおもり歴史トリビア」第574号(令和5年10月13日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは!室長の工藤です。
先週末、新潟市に行ってきました。新潟市は青森市とおなじく江戸時代の港町として町割りがなされ、港とともに発展してきたまちです。
そして、新潟市の市章は「雪と錨と漢数字の『五』からなっている」(『図説新潟開港一五〇年史』新潟市、2018年)といいます。雪と錨は雪国・港町にちなむのだろうと思われますが、「漢数字の『五』」は何を意味するのでしょう…。
実は、「開港五港」の「五」なのです。そして「開港五港」とは、安政5年(1858)に江戸幕府がアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスと結んだ修好通商条約(安政5か国条約)によって「開港地」となった、神奈川(横浜)・長崎・箱館・新潟・兵庫の五港をいいます。つまり、新潟は外国に開かれた港、「開港五港」のひとつであり、それが「市民の誇りでありアイデンティティである」(同上)というのです。
ただし、新潟の開港の期日は延期が繰り返され、実現したのは明治元年11月19日(西暦1869年1月1日)のことで、令和元年(平成31年・2019)1月1日に開港150周年を迎えました。
ところで、青森市の歴史叙述においても「青森開港」という文言がしばしば使われ、最近では「青森開港400年」というフレーズを耳にすることが増えてきたように思います。ただ、青森開港は新潟開港と「開港」の意味が異なります。青森のばあいは、17世紀初めに江戸廻米の拠点となる新しい港町をつくるという文脈で「開港」と表現しています。これには「築港」のニュアンスも含意されていて(「築港」という文言を使っている文献もあります)、当時は存在しない桟橋や埠頭といった施設整備をイメージさせることに繋がってくるようにも思います。実際そういう質問をされたこともあります。
一方、青森が外国に開かれた港(貿易港)になったのは明治39年(1906)で、約120年前のことです。このときをもって「青森開港」とする歴史叙述はほとんどないようですが、こちらも「開港」であることは新潟市の事例にみるまでもなく、国語として間違いないだろうと思います。
ただ、そうなると青森市の歴史叙述のなかに時期・事柄が異なるふたつの「開港」が出てきてしまうで、歴史の誤解・混乱を生じさせることになります。「歴史のコトバ」選びは難しいものですね。
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青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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実は、「開港五港」の「五」なのです。そして「開港五港」とは、安政5年(1858)に江戸幕府がアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスと結んだ修好通商条約(安政5か国条約)によって「開港地」となった、神奈川(横浜)・長崎・箱館・新潟・兵庫の五港をいいます。つまり、新潟は外国に開かれた港、「開港五港」のひとつであり、それが「市民の誇りでありアイデンティティである」(同上)というのです。
ただし、新潟の開港の期日は延期が繰り返され、実現したのは明治元年11月19日(西暦1869年1月1日)のことで、令和元年(平成31年・2019)1月1日に開港150周年を迎えました。
ところで、青森市の歴史叙述においても「青森開港」という文言がしばしば使われ、最近では「青森開港400年」というフレーズを耳にすることが増えてきたように思います。ただ、青森開港は新潟開港と「開港」の意味が異なります。青森のばあいは、17世紀初めに江戸廻米の拠点となる新しい港町をつくるという文脈で「開港」と表現しています。これには「築港」のニュアンスも含意されていて(「築港」という文言を使っている文献もあります)、当時は存在しない桟橋や埠頭といった施設整備をイメージさせることに繋がってくるようにも思います。実際そういう質問をされたこともあります。
一方、青森が外国に開かれた港(貿易港)になったのは明治39年(1906)で、約120年前のことです。このときをもって「青森開港」とする歴史叙述はほとんどないようですが、こちらも「開港」であることは新潟市の事例にみるまでもなく、国語として間違いないだろうと思います。
ただ、そうなると青森市の歴史叙述のなかに時期・事柄が異なるふたつの「開港」が出てきてしまうで、歴史の誤解・混乱を生じさせることになります。「歴史のコトバ」選びは難しいものですね。
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