「あおもり歴史トリビア」第585号(令和6年1月12日配信)
2024/01/12 (Fri) 15:00
「あおもり歴史トリビア」第585号(令和6年1月12日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。
1月11日(木曜日)から新しい館内展示「青森市内石碑めぐり2」が始まりました。この展示は昨年開催した「青森市内石碑めぐり」に続くものです。昨年の展示では市内の石碑を教育や産業といったテーマ別にご紹介しましたが、今回は碑文を書いた人物に注目して構成しています。展示は4月9日(火曜日)まで行います。
8階のガラスケースには青森県知事・竹内俊吉が揮毫した「本多徳治(ほんだ・とくじ)の碑」の建立除幕式のリーフレットを展示しています。本多徳治は明治40年(1907)油川村(現青森市)で生まれ、弘前中学校(現弘前高校)を卒業後、昭和5年(1930)に東奥日報社へ入社しました。昭和21年に陸奥新報社を創立して会社の基礎を築き、昭和28年にはラジオ青森(現青森放送)に入社して放送部長などを務めましたが、病のため昭和34年に亡くなりました。
「本多徳治の碑」は本多の10周忌にあたり、友人らによって弘前八幡宮に建立されました。碑文を揮毫した竹内は東奥日報社時代の同僚であり、ラジオ青森では初代社長を務めています。
また、石碑の台座には本多の経歴などを記したプレートもはめ込まれており、撰文(文章を作ること)は須藤均治、書は黒滝俊雄とあります。須藤均治は新聞記者を経て県内水面漁場管理委員会会長や津軽渓流釣り倶楽部会長などを務めた人物で、釣り界では「ストキン様」の愛称で親しまれました。一方、黒滝俊雄(号は大休)は弘前市の寺院・鳳松院の住職を務めた人物で、洋画家としても活動し、高校の美術講師も務めていました。
二人は本多の弘前中学校時代の友人でした。須藤によれば弘前中学校では文学や絵や音楽の好きな生徒たちが「仲町組」というグループを組んでおり、本多・須藤・黒滝はそのメンバーだったそうです(黒滝大休『大休過去帖』ルンビニ学苑 1983年)。
さて、須藤と黒滝について調べてみると、青森市との接点を見つけることができました。須藤は昭和20年代、横内村に居住しており、横内小学校PTAの第2代会長を務めています。そして、黒滝は昭和20年代に浪岡高校で教鞭を執っています。
さらに、黒滝には五郷村(現青森市)出身の画家・常田健との繋がりもありました。黒滝は弘前中学校の後輩である常田らとともに洋画グループ「未青社(みせいしゃ)」を創立してともに活動しています。『大休過去帖』には黒滝が描いた「常健の顔」(昭和9年制作)という作品や、常田が寄せた文章が収録されています。展示の関連図書コーナー(8階)に配架していますので、ぜひご覧ください。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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8階のガラスケースには青森県知事・竹内俊吉が揮毫した「本多徳治(ほんだ・とくじ)の碑」の建立除幕式のリーフレットを展示しています。本多徳治は明治40年(1907)油川村(現青森市)で生まれ、弘前中学校(現弘前高校)を卒業後、昭和5年(1930)に東奥日報社へ入社しました。昭和21年に陸奥新報社を創立して会社の基礎を築き、昭和28年にはラジオ青森(現青森放送)に入社して放送部長などを務めましたが、病のため昭和34年に亡くなりました。
「本多徳治の碑」は本多の10周忌にあたり、友人らによって弘前八幡宮に建立されました。碑文を揮毫した竹内は東奥日報社時代の同僚であり、ラジオ青森では初代社長を務めています。
また、石碑の台座には本多の経歴などを記したプレートもはめ込まれており、撰文(文章を作ること)は須藤均治、書は黒滝俊雄とあります。須藤均治は新聞記者を経て県内水面漁場管理委員会会長や津軽渓流釣り倶楽部会長などを務めた人物で、釣り界では「ストキン様」の愛称で親しまれました。一方、黒滝俊雄(号は大休)は弘前市の寺院・鳳松院の住職を務めた人物で、洋画家としても活動し、高校の美術講師も務めていました。
二人は本多の弘前中学校時代の友人でした。須藤によれば弘前中学校では文学や絵や音楽の好きな生徒たちが「仲町組」というグループを組んでおり、本多・須藤・黒滝はそのメンバーだったそうです(黒滝大休『大休過去帖』ルンビニ学苑 1983年)。
さて、須藤と黒滝について調べてみると、青森市との接点を見つけることができました。須藤は昭和20年代、横内村に居住しており、横内小学校PTAの第2代会長を務めています。そして、黒滝は昭和20年代に浪岡高校で教鞭を執っています。
さらに、黒滝には五郷村(現青森市)出身の画家・常田健との繋がりもありました。黒滝は弘前中学校の後輩である常田らとともに洋画グループ「未青社(みせいしゃ)」を創立してともに活動しています。『大休過去帖』には黒滝が描いた「常健の顔」(昭和9年制作)という作品や、常田が寄せた文章が収録されています。展示の関連図書コーナー(8階)に配架していますので、ぜひご覧ください。
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