「あおもり歴史トリビア」第590号(令和6年2月16日配信)
2024/02/16 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第590号(令和6年2月16日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。文化遺産課の石戸谷です。
本市を代表する温泉として知られる酸ヶ湯温泉(以下「酸ヶ湯」といいます)。
江戸時代の貞享元年(1684)に、ふもと横内の猟師が発見したとの伝説があり、300年以上の歴史を有するとされます。温泉発見時、手負いの鹿が山中の湧き湯で傷を癒していたことから、鹿湯とも書いたそうです。
今回は、昭和10年代から30年代頃の酸ヶ湯の湯治について、紹介したいと思います。
酸ヶ湯が現在のように通年で入浴できるようになったのは、冬期間の道路除雪が行われるようになった昭和57年以降のこと。昭和10年(1935)頃は、春3月1日に浴場を開始し、冬11月15日に閉鎖されました。毎年3月1日は、「酸ヶ湯の山開き」と言われたそうです。
農家の人たちの風習に、農閑期の湯治がありました。湯治は、農繁期を迎える前のひと時の休息でもあり、農作業を終えた後の慰労でもありました。酸ヶ湯に近い集落の農家の人たちは、主に春の田んぼへのコエフギ(追肥運び)が始まる前や、収穫後の秋に行くことが多かったようです。
酸ヶ湯への交通手段は、青森市側からは、堤から浜田・妙見・横内・雲谷・萱野茶屋を通って行くルートがメインコースで、5月頃から11月までは国鉄バス(現JRバス東北)が運行されました。道路に雪が残る3月から4月までは、可能なところまでバスが運行することもあったようですが、多くは、堅雪の上を、ツマゴを履いて歩いて行くか、横内か雲谷から馬そりに乗っていきました。客が乗る馬そりには、雪除けの幌がかけてあり、行火(あんか)を置いて暖も取れるようになっていました。横内の十文字付近には、馬そりが何台も待機して、客を待っていたそうです。昭和37年の雲谷から酸ヶ湯までの馬そりの運賃は500円で、当時の酸ヶ湯の自炊料金は一泊420円から550円でしたから、運賃はおよそ1泊分に相当する金額でした。
湯治期間は、昔も今も「3日1廻り」を3廻り(9日)に、往復の半日ずつ(あわせて1日)を加えた10日を基本とします。昭和37年のパンフレットによると、浴場には熱の湯、四分六分の湯、冷の湯、鹿の湯があり、入浴の順序は、熱の湯に5分ほど、次に四分六分の湯に5分ほど入り、冷の湯を頭にかぶり、鹿の湯の湯滝(打たせ湯)を3分ほど浴びて、最後に熱の湯に3分ほど入るとあります。1回の入浴時間は20分から30分程度で、1日に3、4回または6、7回の入浴が適度とされました。
湯治期間中には、知り合いや親戚が「湯見舞い」に訪れました。見舞いに干しうどんや卵、干し餅などを持ってきたそうです。
現在では、農家の人たちが湯治に行くことは以前ほど多くありませんが、かつては、日常の労働から解放されて英気を養う、まさに保養の期間だったといえるでしょう。
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TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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こんにちは。文化遺産課の石戸谷です。
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江戸時代の貞享元年(1684)に、ふもと横内の猟師が発見したとの伝説があり、300年以上の歴史を有するとされます。温泉発見時、手負いの鹿が山中の湧き湯で傷を癒していたことから、鹿湯とも書いたそうです。
今回は、昭和10年代から30年代頃の酸ヶ湯の湯治について、紹介したいと思います。
酸ヶ湯が現在のように通年で入浴できるようになったのは、冬期間の道路除雪が行われるようになった昭和57年以降のこと。昭和10年(1935)頃は、春3月1日に浴場を開始し、冬11月15日に閉鎖されました。毎年3月1日は、「酸ヶ湯の山開き」と言われたそうです。
農家の人たちの風習に、農閑期の湯治がありました。湯治は、農繁期を迎える前のひと時の休息でもあり、農作業を終えた後の慰労でもありました。酸ヶ湯に近い集落の農家の人たちは、主に春の田んぼへのコエフギ(追肥運び)が始まる前や、収穫後の秋に行くことが多かったようです。
酸ヶ湯への交通手段は、青森市側からは、堤から浜田・妙見・横内・雲谷・萱野茶屋を通って行くルートがメインコースで、5月頃から11月までは国鉄バス(現JRバス東北)が運行されました。道路に雪が残る3月から4月までは、可能なところまでバスが運行することもあったようですが、多くは、堅雪の上を、ツマゴを履いて歩いて行くか、横内か雲谷から馬そりに乗っていきました。客が乗る馬そりには、雪除けの幌がかけてあり、行火(あんか)を置いて暖も取れるようになっていました。横内の十文字付近には、馬そりが何台も待機して、客を待っていたそうです。昭和37年の雲谷から酸ヶ湯までの馬そりの運賃は500円で、当時の酸ヶ湯の自炊料金は一泊420円から550円でしたから、運賃はおよそ1泊分に相当する金額でした。
湯治期間は、昔も今も「3日1廻り」を3廻り(9日)に、往復の半日ずつ(あわせて1日)を加えた10日を基本とします。昭和37年のパンフレットによると、浴場には熱の湯、四分六分の湯、冷の湯、鹿の湯があり、入浴の順序は、熱の湯に5分ほど、次に四分六分の湯に5分ほど入り、冷の湯を頭にかぶり、鹿の湯の湯滝(打たせ湯)を3分ほど浴びて、最後に熱の湯に3分ほど入るとあります。1回の入浴時間は20分から30分程度で、1日に3、4回または6、7回の入浴が適度とされました。
湯治期間中には、知り合いや親戚が「湯見舞い」に訪れました。見舞いに干しうどんや卵、干し餅などを持ってきたそうです。
現在では、農家の人たちが湯治に行くことは以前ほど多くありませんが、かつては、日常の労働から解放されて英気を養う、まさに保養の期間だったといえるでしょう。
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