「あおもり歴史トリビア」第619号(令和6年9月20日配信)
2024/09/20 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第619号(令和6年9月20日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは!歴史資料室の鈴木です。
先日、昭和戦前期の『東奥日報』で「あすは酒なしデー」という見出しを目にしました。「酒なしデー」とは何だろう?と気になり調べてみたところ、全国的に行われた禁酒運動だとわかりました。
明治時代にキリスト教と共に日本に入って来た禁酒運動が全国に広まり、各地に禁酒を広める団体が生まれました。やがて、大正9年(1920)に全国組織として設立された日本国民禁酒同盟は、日本キリスト教婦人矯風会(以下矯風会)などと協力し、未成年者飲酒禁止法の成立を目指す運動や、禁酒思想の普及宣伝を行いました。
大正13年、日本国民禁酒同盟は前年9月1日に発生した関東大震災を機に、以前から呼びかけていた「禁酒デー」を9月1日に定め、「酒なし日(デー)」として各地で宣伝活動を実施するようになりました。
そこで、大正末から昭和戦前期にかけて、9月1日前後の『東奥日報』記事を見ていくと、青森市内でも禁酒運動が行われていたことがわかりました。
まず大正15年には、青森禁酒会が大震災記念日に、全国340余の禁酒団体と連携して宣伝活動をすると報じています。会員は数千枚のビラを配布し、市内要所で宣伝演説を行いました。
また昭和4年(1929)9月1日には、青森県聯合禁酒会が「身ノ為メ世ノ為メ 禁酒大勧告 敢テ県下憂国至誠ノ士ノ入会ヲ望ム 緊縮、節約ノ実行ハ先ヅ禁酒カラ」という新聞広告を載せています。この頃は、禁酒は自分のため、社会のため、節約のために推奨されていたようです。
震災から10年が過ぎた昭和8年には、矯風会青森支部が「禁酒で備へよ国力増進」「禁酒は躍進日本の原動力」等のチラシ10,000枚を撒くとあります。
さらに昭和12年には、矯風会は「戦争ツと云ふこの際酒なんぞ飲んでゐられやうか」とのスローガンを掲げ、青森支部でも市内要所に「近代戦に酒は大禁物」などのビラを貼るなどしました。禁酒を勧める文言が、少しずつ変化してきています。
そして、昭和14年9月から始まった「興亜奉公日」(毎月1日に戦場の労苦を偲び生活の簡素化を図る日)の初日には、「けふ一日は戦死」のつもりで、家庭だけでなく役所や企業でも禁酒・禁煙を断行し、食事は一汁一菜、昼食も日の丸弁当、花街や飲食店も一斉休業することになりました。
その後、大震災から18年目となる昭和16年の9月には、1日の予定に「酒なしデー」の言葉がありましたが、翌年以降には見当たりません。昭和16年以降、物資不足から酒類も配給制となったことで、「禁酒」をするような余裕がなくなってしまったのかもしれません。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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先日、昭和戦前期の『東奥日報』で「あすは酒なしデー」という見出しを目にしました。「酒なしデー」とは何だろう?と気になり調べてみたところ、全国的に行われた禁酒運動だとわかりました。
明治時代にキリスト教と共に日本に入って来た禁酒運動が全国に広まり、各地に禁酒を広める団体が生まれました。やがて、大正9年(1920)に全国組織として設立された日本国民禁酒同盟は、日本キリスト教婦人矯風会(以下矯風会)などと協力し、未成年者飲酒禁止法の成立を目指す運動や、禁酒思想の普及宣伝を行いました。
大正13年、日本国民禁酒同盟は前年9月1日に発生した関東大震災を機に、以前から呼びかけていた「禁酒デー」を9月1日に定め、「酒なし日(デー)」として各地で宣伝活動を実施するようになりました。
そこで、大正末から昭和戦前期にかけて、9月1日前後の『東奥日報』記事を見ていくと、青森市内でも禁酒運動が行われていたことがわかりました。
まず大正15年には、青森禁酒会が大震災記念日に、全国340余の禁酒団体と連携して宣伝活動をすると報じています。会員は数千枚のビラを配布し、市内要所で宣伝演説を行いました。
また昭和4年(1929)9月1日には、青森県聯合禁酒会が「身ノ為メ世ノ為メ 禁酒大勧告 敢テ県下憂国至誠ノ士ノ入会ヲ望ム 緊縮、節約ノ実行ハ先ヅ禁酒カラ」という新聞広告を載せています。この頃は、禁酒は自分のため、社会のため、節約のために推奨されていたようです。
震災から10年が過ぎた昭和8年には、矯風会青森支部が「禁酒で備へよ国力増進」「禁酒は躍進日本の原動力」等のチラシ10,000枚を撒くとあります。
さらに昭和12年には、矯風会は「戦争ツと云ふこの際酒なんぞ飲んでゐられやうか」とのスローガンを掲げ、青森支部でも市内要所に「近代戦に酒は大禁物」などのビラを貼るなどしました。禁酒を勧める文言が、少しずつ変化してきています。
そして、昭和14年9月から始まった「興亜奉公日」(毎月1日に戦場の労苦を偲び生活の簡素化を図る日)の初日には、「けふ一日は戦死」のつもりで、家庭だけでなく役所や企業でも禁酒・禁煙を断行し、食事は一汁一菜、昼食も日の丸弁当、花街や飲食店も一斉休業することになりました。
その後、大震災から18年目となる昭和16年の9月には、1日の予定に「酒なしデー」の言葉がありましたが、翌年以降には見当たりません。昭和16年以降、物資不足から酒類も配給制となったことで、「禁酒」をするような余裕がなくなってしまったのかもしれません。
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