「あおもり歴史トリビア」第637号(令和7年1月31日配信)
2025/01/31 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第637号(令和7年1月31日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
60年近く前のことになりますが、『広報あおもり』の1月5日号に、郷土史研究家の肴倉弥八がその年の干支(えと)にちなんだコラムを数年にわたり執筆していました。
令和7年(2026)、今年の干支である巳年は昭和40年(1965)1月5日号で「卯、辰の年に続いて凶作、地震、火事、洪水等の天災地変の多い年」と紹介されていました。
たしかに昭和52年の豪雪と豪雨、13年ぶりに青森市に豪雪対策本部が設置された平成13年(2001)、そして酸ヶ湯で566センチメートルの積雪を記録した平成25年はいずれも巳年です。そして今年も雪の多い冬となっています。
とはいえ、青森市は「中堅都市のなかで全国一の豪雪都市」(『新青森市史』別編4自然)ですから、「豪雪」にかぎっていうと巳年でなくてもこれに遭遇することはあるでしょう。実際、巳年のコラムの翌年となる昭和41年から同43年も「記録に残る豪雪」(同上)であったといいます。とくに申年の昭和43年は「天災地変の少ない平穏な年」とこの年の肴倉のコラムに記されていますが、豪雪に加え5月16日には十勝沖地震が発生しています。
さらに申年のつぎの酉年では昭和20年が豪雪で、青森市の最大積雪深(ある期間内における積雪の最大値)第1位となる209センチメートルを記録しています。もちろん、当時は機械除雪はなく、しかも時代は戦時下…ですから市民生活よりも北海道産の石炭を鉄道で京浜方面へ運ぶ「決戦輸送」を確保するための「総動員」による除雪が重要視されました。
また雪解けの季節が近づいてくると、「食糧増産」のための苗代除雪・雪割が声高に叫ばれることになりました。行動原理はすべて「戦争遂行」にありました。
そして融雪期に入った3月下旬、(3月21日から豪雨であったという)津軽地方で「二十二日夜半から岩木川が増水」するなどしたため橋の損壊、家屋の浸水等が発生し、なかでも「雪・土が崩れ」た西津軽郡赤石村大字大然(おおじかり)部落では家屋20戸が雪・土の下敷きになり、負傷者も出ていることが3月24日付の『東奥日報』が報じています(最終的に88名の死者が出たといいます)。
この大然部落の災害は「雪泥流(積雪が雨や融雪水の大量の水を含んで流動する雪と水の混合流体)」によるもので、国内では富士山で春先にみられる雪崩が知られるにすぎなかったようですが、現在では富士山以外に25を超える事例が集積されています(小林俊一「新しい氷雪災害『雪泥流』とその予測」)。そして、大然のケースは国内最大の雪泥流災害で、私は未確認ですが、昭和26年に赤石村の有志によって「遭難者追悼碑」が建てられています。
なお、この時東津軽郡においては、東岳村で川の増水により家屋4戸に床下浸水があったと3月25日付の『東奥日報』は伝えています。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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60年近く前のことになりますが、『広報あおもり』の1月5日号に、郷土史研究家の肴倉弥八がその年の干支(えと)にちなんだコラムを数年にわたり執筆していました。
令和7年(2026)、今年の干支である巳年は昭和40年(1965)1月5日号で「卯、辰の年に続いて凶作、地震、火事、洪水等の天災地変の多い年」と紹介されていました。
たしかに昭和52年の豪雪と豪雨、13年ぶりに青森市に豪雪対策本部が設置された平成13年(2001)、そして酸ヶ湯で566センチメートルの積雪を記録した平成25年はいずれも巳年です。そして今年も雪の多い冬となっています。
とはいえ、青森市は「中堅都市のなかで全国一の豪雪都市」(『新青森市史』別編4自然)ですから、「豪雪」にかぎっていうと巳年でなくてもこれに遭遇することはあるでしょう。実際、巳年のコラムの翌年となる昭和41年から同43年も「記録に残る豪雪」(同上)であったといいます。とくに申年の昭和43年は「天災地変の少ない平穏な年」とこの年の肴倉のコラムに記されていますが、豪雪に加え5月16日には十勝沖地震が発生しています。
さらに申年のつぎの酉年では昭和20年が豪雪で、青森市の最大積雪深(ある期間内における積雪の最大値)第1位となる209センチメートルを記録しています。もちろん、当時は機械除雪はなく、しかも時代は戦時下…ですから市民生活よりも北海道産の石炭を鉄道で京浜方面へ運ぶ「決戦輸送」を確保するための「総動員」による除雪が重要視されました。
また雪解けの季節が近づいてくると、「食糧増産」のための苗代除雪・雪割が声高に叫ばれることになりました。行動原理はすべて「戦争遂行」にありました。
そして融雪期に入った3月下旬、(3月21日から豪雨であったという)津軽地方で「二十二日夜半から岩木川が増水」するなどしたため橋の損壊、家屋の浸水等が発生し、なかでも「雪・土が崩れ」た西津軽郡赤石村大字大然(おおじかり)部落では家屋20戸が雪・土の下敷きになり、負傷者も出ていることが3月24日付の『東奥日報』が報じています(最終的に88名の死者が出たといいます)。
この大然部落の災害は「雪泥流(積雪が雨や融雪水の大量の水を含んで流動する雪と水の混合流体)」によるもので、国内では富士山で春先にみられる雪崩が知られるにすぎなかったようですが、現在では富士山以外に25を超える事例が集積されています(小林俊一「新しい氷雪災害『雪泥流』とその予測」)。そして、大然のケースは国内最大の雪泥流災害で、私は未確認ですが、昭和26年に赤石村の有志によって「遭難者追悼碑」が建てられています。
なお、この時東津軽郡においては、東岳村で川の増水により家屋4戸に床下浸水があったと3月25日付の『東奥日報』は伝えています。
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