「あおもり歴史トリビア」第640号(令和7年2月21日配信)
2025/02/21 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第640号(令和7年2月21日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
近頃「令和の米騒動」という言葉を耳にしますが、私は大学院の学生だった平成5年(1993)にも大変な米不足があったのを記憶しています。現在「平成の米騒動」とも言われるこの時の米不足は、冷夏による凶作が原因で作況指数は28であったといいます。このほか、昭和55年(1980)も大冷夏で、『新青森市史』別編4自然は「1945年(昭和20)以来の大冷害(作況指数47)に見舞われた」と記しています。
今回は、この昭和20年の大冷害による米不足の状況を、当時の『東奥日報』の記事から拾ってみることにします。
昭和20年の県内の米生産は「終戦の秋の収穫は近年にない減少を予想され」これが現実のものとなりました。当時、食料の配給を行っていた食糧営団の東青支部には22か村から米が入庫されることになっていました。ところが、昭和21年4月末の時点で13か村が東青支部への出庫を拒否しました。これにより、4月に東青支部が青森市民に配給する予定だった米の正規配給量に6,800俵も不足するという事態が生じたのです。青森市内では1日に400俵の米を消費すると見込まれており、このままでは5月はまったく配給できなくなるという深刻な状況となりました。
こうした状況を受けて食糧営団は生産地と話し合いを繰り返し、青森の市会議員も生産地へ出向いて出庫を懇請しました。一方、生産地の側でもそれぞれの事情があり、たとえば大野村では1,000俵を保管していて、これは農繁期の食糧として村民に必要なものだと主張しました。また、出庫を承諾した奥内村では村民集会を開き、村長・村会議員・農業会の幹部の総退陣を求めることを決議し、さらに「新生青年自衛団」を組織して出庫拒否の姿勢を鮮明にしています。
このような生産地側の反発の背景には、出庫してしまえば自分たちの村での配給に支障が出るという深刻な事情があり、さきの奥内村では「村民の飢餓が予想されるような出庫は断じて拒否する」としています。
とはいえ、食糧営団や食糧事務所などの関係機関は配給のための米を確保しなくてはならず、最終手段ともいうべき武装警官の投入を決断しました。4月27日午前、食糧事務所の技官をはじめとする一行は、警察署長が指揮する武装警官35名とともに出庫命令に最も強く抵抗していた後潟村へ向かいました。そして村の農業会で幹部と会見し、警察署長が青森市民の窮状を訴え米の出庫を求めました。その結果、1,300俵の出庫を快諾したと新聞は伝えますが、生産地の事情を考えると苦渋の決断だったかもしれません。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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近頃「令和の米騒動」という言葉を耳にしますが、私は大学院の学生だった平成5年(1993)にも大変な米不足があったのを記憶しています。現在「平成の米騒動」とも言われるこの時の米不足は、冷夏による凶作が原因で作況指数は28であったといいます。このほか、昭和55年(1980)も大冷夏で、『新青森市史』別編4自然は「1945年(昭和20)以来の大冷害(作況指数47)に見舞われた」と記しています。
今回は、この昭和20年の大冷害による米不足の状況を、当時の『東奥日報』の記事から拾ってみることにします。
昭和20年の県内の米生産は「終戦の秋の収穫は近年にない減少を予想され」これが現実のものとなりました。当時、食料の配給を行っていた食糧営団の東青支部には22か村から米が入庫されることになっていました。ところが、昭和21年4月末の時点で13か村が東青支部への出庫を拒否しました。これにより、4月に東青支部が青森市民に配給する予定だった米の正規配給量に6,800俵も不足するという事態が生じたのです。青森市内では1日に400俵の米を消費すると見込まれており、このままでは5月はまったく配給できなくなるという深刻な状況となりました。
こうした状況を受けて食糧営団は生産地と話し合いを繰り返し、青森の市会議員も生産地へ出向いて出庫を懇請しました。一方、生産地の側でもそれぞれの事情があり、たとえば大野村では1,000俵を保管していて、これは農繁期の食糧として村民に必要なものだと主張しました。また、出庫を承諾した奥内村では村民集会を開き、村長・村会議員・農業会の幹部の総退陣を求めることを決議し、さらに「新生青年自衛団」を組織して出庫拒否の姿勢を鮮明にしています。
このような生産地側の反発の背景には、出庫してしまえば自分たちの村での配給に支障が出るという深刻な事情があり、さきの奥内村では「村民の飢餓が予想されるような出庫は断じて拒否する」としています。
とはいえ、食糧営団や食糧事務所などの関係機関は配給のための米を確保しなくてはならず、最終手段ともいうべき武装警官の投入を決断しました。4月27日午前、食糧事務所の技官をはじめとする一行は、警察署長が指揮する武装警官35名とともに出庫命令に最も強く抵抗していた後潟村へ向かいました。そして村の農業会で幹部と会見し、警察署長が青森市民の窮状を訴え米の出庫を求めました。その結果、1,300俵の出庫を快諾したと新聞は伝えますが、生産地の事情を考えると苦渋の決断だったかもしれません。
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