「あおもり歴史トリビア」第654号(令和7年5月30日配信)
2025/05/30 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第654号(令和7年5月30日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。文化遺産課の石戸谷です。
6月1日は冬服から夏服への「衣替えの日」です。季節に応じて衣服を改める習慣は、すでに平安時代には行われていたそうで、江戸時代までは、旧暦4月1日と10月1日(新暦では5月初旬頃と11月初旬頃に相当)とされていました。
現在では、6月1日と10月1日に、主に学生や、制服を着て仕事をする人たちを中心にその風習がみられますが、この時期に定着したのは、明治政府が洋式の制服を取り入れてからだそうです。
さて、今回は、旧暦6月1日の節供(節句とも書きますが、以下「節供」とします)についてご紹介したいと思います。この行事は、いわゆる五節供には数えられないものですが、全国的に、「歯固め」や「氷の節供」といって、固いものを食べて歯を丈夫にし、延命長寿を祈願する日とされています。
ところが、平成10年代に調査された『青森市史叢書』第1集から第6集(1991-2004年)のうち、第2集と第6集には、青森市内でこの日を「ムケガラ節供」と呼んだことが報告されています。久栗坂地区では、蛇の抜け殻を見てはいけないとする一方で、奥内地区では蛇が脱皮する日で、抜け殻を見ると縁起がよいとするものです。
津軽地方の事例として、私が青森県史の調査員として平成20年(2008)に今別町の古老から聞いた話では、奥平部地区では「ムケガラ節供」といって、この日山へ行くと蛇にかまれるとして山仕事を休みました。同町の大泊地区では、この日は蛇が脱皮する日といわれ、蛇に遭うと病気になるといって、山へは行きませんでした。
平成10年代に調査された下北地方の事例では、この日は蛇の皮がむける日で、その様子を見てはいけないので、山や畑に行ってはいけないといわれました。風間浦村では、蛇の脱皮を見ると病気になるといい、佐井村ではこの日に山に入ると人の皮膚がむけるといわれました。むつ市川内地区では、この日は桑の木のそばへ行くものではないといわれたそうです(『青森県史』民俗編資料下北、2007年)。
昭和40年代の南部地方の事例では、六ヶ所村戸鎖地区で、大蛇がムケガラする日であるといいました(『むつ小川原地区民俗資料緊急調査報告書(第二次)』、1974年)。
これらの事例は、民俗学では「ムケ節供」や「ムケの朔日」とするもので、東日本に広く分布する風習です。戦前に調査された県外の事例では、岩手県下閉伊郡周辺では「虫けらの皮むけを祝う日」であるとし、旧東磐井郡周辺では「ムケの朔日」には人の皮もむけるといって、それを見ると死ぬといわれました。九戸郡周辺では、「ムケ節供」といって、桑の木の下で蛇が皮を脱ぐ日であるとしました(『綜合日本民俗語彙』第4巻、1956年)。
その一方で、岩手県一関市藤沢地区では、この日を「ムギの朔日」と呼んで、小麦でご馳走をこしらえました。福島県石川郡周辺では麦香煎(こうせん)という、煎った麦を粉にして砂糖を加えたものを食べる風習があり、栃木県芳賀郡周辺では「ムゲの朔日」といって麺類を食べました。これら麦作との関連が見られることから、「ムケ節供」の「ムケ」とは、「ムギ」が転訛(てんか)したものではないか、という指摘もありますが、なぜ蛇や人間の皮がむける日なのかということは、残念ながら解明されていません。
現代では、衣替えの日とされる6月1日ですが、日本人の風習には、蛇や昆虫にあやかって、脱皮新生して一皮むけることで成長する時期という感覚があったのかもしれませんね。
今回の執筆に当たっては、和歌森太郎『年中行事』(1957年)を参考にしました。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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6月1日は冬服から夏服への「衣替えの日」です。季節に応じて衣服を改める習慣は、すでに平安時代には行われていたそうで、江戸時代までは、旧暦4月1日と10月1日(新暦では5月初旬頃と11月初旬頃に相当)とされていました。
現在では、6月1日と10月1日に、主に学生や、制服を着て仕事をする人たちを中心にその風習がみられますが、この時期に定着したのは、明治政府が洋式の制服を取り入れてからだそうです。
さて、今回は、旧暦6月1日の節供(節句とも書きますが、以下「節供」とします)についてご紹介したいと思います。この行事は、いわゆる五節供には数えられないものですが、全国的に、「歯固め」や「氷の節供」といって、固いものを食べて歯を丈夫にし、延命長寿を祈願する日とされています。
ところが、平成10年代に調査された『青森市史叢書』第1集から第6集(1991-2004年)のうち、第2集と第6集には、青森市内でこの日を「ムケガラ節供」と呼んだことが報告されています。久栗坂地区では、蛇の抜け殻を見てはいけないとする一方で、奥内地区では蛇が脱皮する日で、抜け殻を見ると縁起がよいとするものです。
津軽地方の事例として、私が青森県史の調査員として平成20年(2008)に今別町の古老から聞いた話では、奥平部地区では「ムケガラ節供」といって、この日山へ行くと蛇にかまれるとして山仕事を休みました。同町の大泊地区では、この日は蛇が脱皮する日といわれ、蛇に遭うと病気になるといって、山へは行きませんでした。
平成10年代に調査された下北地方の事例では、この日は蛇の皮がむける日で、その様子を見てはいけないので、山や畑に行ってはいけないといわれました。風間浦村では、蛇の脱皮を見ると病気になるといい、佐井村ではこの日に山に入ると人の皮膚がむけるといわれました。むつ市川内地区では、この日は桑の木のそばへ行くものではないといわれたそうです(『青森県史』民俗編資料下北、2007年)。
昭和40年代の南部地方の事例では、六ヶ所村戸鎖地区で、大蛇がムケガラする日であるといいました(『むつ小川原地区民俗資料緊急調査報告書(第二次)』、1974年)。
これらの事例は、民俗学では「ムケ節供」や「ムケの朔日」とするもので、東日本に広く分布する風習です。戦前に調査された県外の事例では、岩手県下閉伊郡周辺では「虫けらの皮むけを祝う日」であるとし、旧東磐井郡周辺では「ムケの朔日」には人の皮もむけるといって、それを見ると死ぬといわれました。九戸郡周辺では、「ムケ節供」といって、桑の木の下で蛇が皮を脱ぐ日であるとしました(『綜合日本民俗語彙』第4巻、1956年)。
その一方で、岩手県一関市藤沢地区では、この日を「ムギの朔日」と呼んで、小麦でご馳走をこしらえました。福島県石川郡周辺では麦香煎(こうせん)という、煎った麦を粉にして砂糖を加えたものを食べる風習があり、栃木県芳賀郡周辺では「ムゲの朔日」といって麺類を食べました。これら麦作との関連が見られることから、「ムケ節供」の「ムケ」とは、「ムギ」が転訛(てんか)したものではないか、という指摘もありますが、なぜ蛇や人間の皮がむける日なのかということは、残念ながら解明されていません。
現代では、衣替えの日とされる6月1日ですが、日本人の風習には、蛇や昆虫にあやかって、脱皮新生して一皮むけることで成長する時期という感覚があったのかもしれませんね。
今回の執筆に当たっては、和歌森太郎『年中行事』(1957年)を参考にしました。
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