「あおもり歴史トリビア」第663号(令和7年8月1日配信)
2025/08/01 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第663号(令和7年8月1日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
80年前の昭和20年(1945)7月28日は、アメリカ空軍のB29爆撃機による空爆により青森の市街地が焦土と化し、多くの犠牲者を出したいわゆる「青森空襲」のあった日です。
もっとも、青森県に初めてB29が姿を現したのは「東京大空襲」の日、すなわち同年3月10日のことでした。これを伝える新聞『東奥日報』の第一報は「投弾なく退去」(3月11日付)と報じましたが、その後「焼夷弾百六発を投下」(3月13日付)、「投下した焼夷弾の数は六百十四個」(3月14日付)と、焼夷弾が投下されたことが判明しました。ちなみに、焼夷弾の投下地点は「上北郡〇〇警察署管内」(3月13日付)、「上北郡〇〇」(3月14日付)と、一部が伏せ字になって伝えられました。
その後も6月26日から3日続けてB29が青森県上空を飛行し、とくに26日の津軽・上北・下北方面への侵入を受けて『東奥日報』は「本県の敵機爆撃は必至と見なければいけない」(6月27日付)と報じています。
このようにB29が青森県上空を飛行するようになると、当然当局は県民に対して新聞等を通じて空襲に備えるようメッセージを発信するようになりました。また、とくに青森市では5月1日から15日にかけて建物疎開(重要施設や交通機関の防護・延焼防止のため建物を壊して空地を作る)が計画されました。これは「青森市は東北に魁けて建物疎開を完了」(7月2日付)と報じられました。
さらに、6月7日付『東奥日報』は社説「正しき空襲認識」を載せ、青森市民の空襲対策は「未だしの感ある」とその引き締めを説き、すでに空襲に遭った地域の事例から、住宅地が狙われることや周囲が火の海になっては「身一つ護るのも容易ではない」といい、衣類などの疎開を奨励しています。とくに、北国・青森県においては「冬季間」のことも考慮するようにと言っています。
このほか、県の戦災対策を取材した記者は、空襲に遭った直後は食糧・衣料品・日用品が手に入らなくなるだろうから「自分のものは自分で賄う」態勢を整えるべきと主張しました(7月4日付)。
また、戦災地から青森県へ疎開した者が「誇大な体験談」、不正確な「戦訓」を語り、県民に悪影響を与えていると報じています(7月2日付)。これと似たケースが3月10日にもあって、初めてのB29の侵入後すぐに流言(根拠のないうわさ)が飛び交っていたようで、憲兵分隊長が戒めています(3月11日付)。
これらの事例から、青森県の人々は昭和20年3月上旬以降、少なからず空襲を意識して日々を過ごさざるを得なくなっていたことが分かります。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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80年前の昭和20年(1945)7月28日は、アメリカ空軍のB29爆撃機による空爆により青森の市街地が焦土と化し、多くの犠牲者を出したいわゆる「青森空襲」のあった日です。
もっとも、青森県に初めてB29が姿を現したのは「東京大空襲」の日、すなわち同年3月10日のことでした。これを伝える新聞『東奥日報』の第一報は「投弾なく退去」(3月11日付)と報じましたが、その後「焼夷弾百六発を投下」(3月13日付)、「投下した焼夷弾の数は六百十四個」(3月14日付)と、焼夷弾が投下されたことが判明しました。ちなみに、焼夷弾の投下地点は「上北郡〇〇警察署管内」(3月13日付)、「上北郡〇〇」(3月14日付)と、一部が伏せ字になって伝えられました。
その後も6月26日から3日続けてB29が青森県上空を飛行し、とくに26日の津軽・上北・下北方面への侵入を受けて『東奥日報』は「本県の敵機爆撃は必至と見なければいけない」(6月27日付)と報じています。
このようにB29が青森県上空を飛行するようになると、当然当局は県民に対して新聞等を通じて空襲に備えるようメッセージを発信するようになりました。また、とくに青森市では5月1日から15日にかけて建物疎開(重要施設や交通機関の防護・延焼防止のため建物を壊して空地を作る)が計画されました。これは「青森市は東北に魁けて建物疎開を完了」(7月2日付)と報じられました。
さらに、6月7日付『東奥日報』は社説「正しき空襲認識」を載せ、青森市民の空襲対策は「未だしの感ある」とその引き締めを説き、すでに空襲に遭った地域の事例から、住宅地が狙われることや周囲が火の海になっては「身一つ護るのも容易ではない」といい、衣類などの疎開を奨励しています。とくに、北国・青森県においては「冬季間」のことも考慮するようにと言っています。
このほか、県の戦災対策を取材した記者は、空襲に遭った直後は食糧・衣料品・日用品が手に入らなくなるだろうから「自分のものは自分で賄う」態勢を整えるべきと主張しました(7月4日付)。
また、戦災地から青森県へ疎開した者が「誇大な体験談」、不正確な「戦訓」を語り、県民に悪影響を与えていると報じています(7月2日付)。これと似たケースが3月10日にもあって、初めてのB29の侵入後すぐに流言(根拠のないうわさ)が飛び交っていたようで、憲兵分隊長が戒めています(3月11日付)。
これらの事例から、青森県の人々は昭和20年3月上旬以降、少なからず空襲を意識して日々を過ごさざるを得なくなっていたことが分かります。
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