「あおもり歴史トリビア」第669号(令和7年9月12日配信)
2025/09/12 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第669号(令和7年9月12日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
前回私が担当したNo663(8月1日配信)で、青森県の人々は「昭和20年3月上旬以降、少なからず空襲を意識して日々を過ごさざるを得なくなっていた」と書きました。では、空襲を意識した人々はつぎにどういう行動をとったのでしょうか。
当時の新聞が多く報じたのは防空演習で、空襲で発生する火災の初期消火の重要性が説かれました。そのほか空襲から財産、身を守る手段としては「疎開」があります。
疎開は大きく「物」の疎開と「人」の疎開がありますが、今回は後者に着目します。
人の疎開はおおきくふたつあります。ひとつは東京などからの「戦災疎開者」の受け入れで、青森県は京浜地区から55,000人が割当てられています。もうひとつは、県民の居住地からの疎開です。6月7日付『東奥日報』社説「正しき空襲認識」では、青森市民は県内の親類縁者を頼ればなんとかなるという意識があると評し、これには「甘さが抜け切らない」としています。
ところで、「人」の疎開には「(とくに主要食糧の)配給」が密接に関わってくると考えています。たとえば、戦災疎開者は罹災証明書があれば疎開先で配給を受けられるのですが、これが悪用される事例が報告されています(5月17日付『東奥日報』、以下同紙からの引用は日付のみ)。
さらに、県内の都市部と農村部とでは、農村部の方が「乏しい配給」状況にあり、配給日に配給ができないこともあったようです。しかも、7月11日から米の配給量が一律に10パーセント削減され、青森市などでは「疎開するにもかゝる食糧問題のためおいそれと腰をあげ得ぬ状況」になっていたのです(以上7月14日付)。
一方、県は7月11日に金井元彦知事を中心とする緊急会議を開き、防空従事者を除く高齢者や病人、国民学校初等科以下の幼児などの縁故疎開を決定しました(『青森空襲の記録』1972年)。こうした社会潮流のなかで、青森市民は農村部への疎開へと向かうことになったとみていますが、そこで問題となるのはやはり「配給」です。
ここで市民は配給量の少ない農村部からではなく(疎開先の縁故から求められた可能性もあります)青森市から配給を受けるため、市への「無届」による疎開へと動きました。その数は、正規の手続きを踏んだ市民の「数十倍」いるとみられました(7月28日付)。
こうした市民の動きに対して市当局は「実際に市内に居住せずに配給のみをうけてゐるものを二十八日限り除籍する強硬方針」を決定したのです(同上)。この市の対応―とくに「除籍」の部分は、防空法と併せて青森空襲の評価に利用されがちですが、「疎開と配給」の視点を加えることで、青森空襲の新たな評価が可能になると考えます。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
前回私が担当したNo663(8月1日配信)で、青森県の人々は「昭和20年3月上旬以降、少なからず空襲を意識して日々を過ごさざるを得なくなっていた」と書きました。では、空襲を意識した人々はつぎにどういう行動をとったのでしょうか。
当時の新聞が多く報じたのは防空演習で、空襲で発生する火災の初期消火の重要性が説かれました。そのほか空襲から財産、身を守る手段としては「疎開」があります。
疎開は大きく「物」の疎開と「人」の疎開がありますが、今回は後者に着目します。
人の疎開はおおきくふたつあります。ひとつは東京などからの「戦災疎開者」の受け入れで、青森県は京浜地区から55,000人が割当てられています。もうひとつは、県民の居住地からの疎開です。6月7日付『東奥日報』社説「正しき空襲認識」では、青森市民は県内の親類縁者を頼ればなんとかなるという意識があると評し、これには「甘さが抜け切らない」としています。
ところで、「人」の疎開には「(とくに主要食糧の)配給」が密接に関わってくると考えています。たとえば、戦災疎開者は罹災証明書があれば疎開先で配給を受けられるのですが、これが悪用される事例が報告されています(5月17日付『東奥日報』、以下同紙からの引用は日付のみ)。
さらに、県内の都市部と農村部とでは、農村部の方が「乏しい配給」状況にあり、配給日に配給ができないこともあったようです。しかも、7月11日から米の配給量が一律に10パーセント削減され、青森市などでは「疎開するにもかゝる食糧問題のためおいそれと腰をあげ得ぬ状況」になっていたのです(以上7月14日付)。
一方、県は7月11日に金井元彦知事を中心とする緊急会議を開き、防空従事者を除く高齢者や病人、国民学校初等科以下の幼児などの縁故疎開を決定しました(『青森空襲の記録』1972年)。こうした社会潮流のなかで、青森市民は農村部への疎開へと向かうことになったとみていますが、そこで問題となるのはやはり「配給」です。
ここで市民は配給量の少ない農村部からではなく(疎開先の縁故から求められた可能性もあります)青森市から配給を受けるため、市への「無届」による疎開へと動きました。その数は、正規の手続きを踏んだ市民の「数十倍」いるとみられました(7月28日付)。
こうした市民の動きに対して市当局は「実際に市内に居住せずに配給のみをうけてゐるものを二十八日限り除籍する強硬方針」を決定したのです(同上)。この市の対応―とくに「除籍」の部分は、防空法と併せて青森空襲の評価に利用されがちですが、「疎開と配給」の視点を加えることで、青森空襲の新たな評価が可能になると考えます。
《問合せ》
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