「あおもり歴史トリビア」第678号(令和7年11月14日配信)
2025/11/14 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第678号(令和7年11月14日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。
現在、歴史資料室では館内展示「あおもりの姿―あおもり誕生400年・昭和の大合併70年」を行っています。8階のガラスケースには「青森築港竣功記念 懐中時計掛」という資料を展示しました。この資料は今回が初公開となります。
懐中時計掛は青銅製で、立方体のような土台と四角錐のような形状の塔を組み合わせた構造です(歴史資料室の公式フェイスブックページに写真を掲載しています)。塔の上部には懐中時計を吊すための金具がついています。懐中時計掛は桐箱に収められており、箱の蓋の表面には「青森築港竣功記念」という金色の刻印があり、裏面には「大正拾参年八月二十八日」と墨書きされています。また、箱の底には製造者の「内外徽章製作所」(東京市)のシールが貼られています。
大正13年(1924)8月28日付の『東奥日報』を確認したところ、この日、新町尋常小学校の講堂で開催された青森築港落成祝賀会の参加者に記念品として懐中時計掛を配布したことがわかりました。記事によると懐中時計掛は灯台をかたどったものだといいます。
青森県史デジタルアーカイブスで公開されている「青函連絡船鉄道岸壁横附」という絵はがきには、この懐中時計掛とよく似た構造物が写っています。青森港に設置された灯台を模して製造されたものとみられます。
さて、青森港の築港(修築)工事は大正4年(1915)に始まりました。当初は6か年で実施する計画でしたが、第一次世界大戦の影響により物価が高騰して予算不足となったため、施工期間は延長を余儀なくされました。大正13年3月にほとんどの工事を終え、同年8月28日に落成式が行われています。
落成式には内務大臣の若槻礼次郎(のちの総理大臣)が出席しています。若槻は8月25日に小樽築港落成式、26日に札幌の豊平橋開通式に出席したあと、函館で一泊し、28日正午入港の青函連絡船・翔鳳丸で来青しました。落成式の後は祝賀会にも参加し、青森港は本州と北海道を結ぶ要衝であることから「今一段の大規模の修築を要する」と述べました。
ちなみに、初代青森市長であり、長年にわたり青森港の築港問題に関わってきた工藤卓爾は工事の起工式・落成式ともに市長として参加しています。起工式ではこの工事が「東北の振興に資し延て国家の富強に及ほすの利益極めて大なるものあるべき信ず」と期待を語り、落成式の祝辞では「更に他日に於いて雄大完備なる築港を見るに至らんことを切望す」と第二期工事の必要性を訴えました。
工藤は落成式の翌年に亡くなりますが、工藤が望んでいた青森港の第二期修築工事は昭和7年度から10か年の計画で実施され、昭和19年(1944)3月に完了しています。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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現在、歴史資料室では館内展示「あおもりの姿―あおもり誕生400年・昭和の大合併70年」を行っています。8階のガラスケースには「青森築港竣功記念 懐中時計掛」という資料を展示しました。この資料は今回が初公開となります。
懐中時計掛は青銅製で、立方体のような土台と四角錐のような形状の塔を組み合わせた構造です(歴史資料室の公式フェイスブックページに写真を掲載しています)。塔の上部には懐中時計を吊すための金具がついています。懐中時計掛は桐箱に収められており、箱の蓋の表面には「青森築港竣功記念」という金色の刻印があり、裏面には「大正拾参年八月二十八日」と墨書きされています。また、箱の底には製造者の「内外徽章製作所」(東京市)のシールが貼られています。
大正13年(1924)8月28日付の『東奥日報』を確認したところ、この日、新町尋常小学校の講堂で開催された青森築港落成祝賀会の参加者に記念品として懐中時計掛を配布したことがわかりました。記事によると懐中時計掛は灯台をかたどったものだといいます。
青森県史デジタルアーカイブスで公開されている「青函連絡船鉄道岸壁横附」という絵はがきには、この懐中時計掛とよく似た構造物が写っています。青森港に設置された灯台を模して製造されたものとみられます。
さて、青森港の築港(修築)工事は大正4年(1915)に始まりました。当初は6か年で実施する計画でしたが、第一次世界大戦の影響により物価が高騰して予算不足となったため、施工期間は延長を余儀なくされました。大正13年3月にほとんどの工事を終え、同年8月28日に落成式が行われています。
落成式には内務大臣の若槻礼次郎(のちの総理大臣)が出席しています。若槻は8月25日に小樽築港落成式、26日に札幌の豊平橋開通式に出席したあと、函館で一泊し、28日正午入港の青函連絡船・翔鳳丸で来青しました。落成式の後は祝賀会にも参加し、青森港は本州と北海道を結ぶ要衝であることから「今一段の大規模の修築を要する」と述べました。
ちなみに、初代青森市長であり、長年にわたり青森港の築港問題に関わってきた工藤卓爾は工事の起工式・落成式ともに市長として参加しています。起工式ではこの工事が「東北の振興に資し延て国家の富強に及ほすの利益極めて大なるものあるべき信ず」と期待を語り、落成式の祝辞では「更に他日に於いて雄大完備なる築港を見るに至らんことを切望す」と第二期工事の必要性を訴えました。
工藤は落成式の翌年に亡くなりますが、工藤が望んでいた青森港の第二期修築工事は昭和7年度から10か年の計画で実施され、昭和19年(1944)3月に完了しています。
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