「あおもり歴史トリビア」第681号(令和7年12月5日配信)
2025/12/05 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第681号(令和7年12月5日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。先日、弘前大学資料館で開催されている第40回企画展「津軽が生んだ植物学者・郡場寛~弘前とシンガポールをつなぐ郷土の偉人~」を見学しました。郡場寛(こおりば・かん 1882-1957)は栄町(現青森市栄町)出身の植物学者で、弘前大学の第2代学長を務めた人物です。栄町一丁目にはゆかりの地の解説板が設置されており、「文芸のこみち」には文芸碑が建立されています。
寛は東京帝国大学理科大学を卒業後、東北帝国大学や京都帝国大学で教鞭を執りました。そして、昭和17年(1942)に日本統治下のシンガポール(占領中は昭南島と呼称)へ赴任し、昭南植物園園長・昭南博物館館長を務めました。展示では昭南植物園の案内図や園内の植物について記録した野帳(フィールドノート)などを観ることができます。
また、昭南植物園で研究に取り組んだイギリス人研究者に関する展示もあります。当時、イギリス人は「敵性人」とされ、多くが収容所へ送られましたが、寛は植物園のイギリス人研究者たちの生活を守り、研究を続けさせたといいます。寛の研究を手伝ったという植物学者・コーナーによると、寛は心が広く現地の職員からも信頼されており、マレー語で「オラン・ヤング・バイ・サカリ(まことの紳士)」と呼ばれていたそうです。
その後、寛は昭和29年に弘前大学の第2代学長に就任し、農学部の創設に尽力しました。展示では弘前大学学長として採用されたことを伝える通知書や学長時代の写真などを観ることができます。加えて、学長就任を記念して教え子の三木茂から贈られ、学内に植栽されたメタセコイア(弘前市保存樹木に指定)を紹介するパネルもありました。
さらに、この展示では寛の母・ふみが作った植物標本も観ることができます。ふみについては8月22日に配信したメールマガジンでもご紹介しましたね。酸ヶ湯で温泉宿の経営に携わりながら、八甲田の高山植物を採集・研究した人物です。ふみは採集した植物の標本を作り、各地の学校に寄贈していました。展示されているのは旧制弘前高等学校に寄贈された植物標本2点で、「郡場ふみ」の名前が印字された専用のラベルが貼られており、植物の学名や採集月日、採集地が記されています。
この企画展は12月19日(金曜日)まで開催されていますので、興味のある方はぜひ足をお運びください。なお、開館時間等の情報については弘前大学資料館ホームページをご確認ください。
※今回の内容はE.J.H.コーナー『思い出の昭南博物館』(中央公論社 1982年)、石井美樹子『友情は戦火をこえて』(PHP研究所 1983年)、青森県立郷土館土曜セミナー「戦争と青森の科学者たち」配付資料(2025年11月8日開催)、『東奥日報』連載「本県出身の植物学者 郡場寛を知っていますか」(令和6年2月6日から10日まで掲載)などを参考にしています。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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こんにちは。歴史資料室の村上です。先日、弘前大学資料館で開催されている第40回企画展「津軽が生んだ植物学者・郡場寛~弘前とシンガポールをつなぐ郷土の偉人~」を見学しました。郡場寛(こおりば・かん 1882-1957)は栄町(現青森市栄町)出身の植物学者で、弘前大学の第2代学長を務めた人物です。栄町一丁目にはゆかりの地の解説板が設置されており、「文芸のこみち」には文芸碑が建立されています。
寛は東京帝国大学理科大学を卒業後、東北帝国大学や京都帝国大学で教鞭を執りました。そして、昭和17年(1942)に日本統治下のシンガポール(占領中は昭南島と呼称)へ赴任し、昭南植物園園長・昭南博物館館長を務めました。展示では昭南植物園の案内図や園内の植物について記録した野帳(フィールドノート)などを観ることができます。
また、昭南植物園で研究に取り組んだイギリス人研究者に関する展示もあります。当時、イギリス人は「敵性人」とされ、多くが収容所へ送られましたが、寛は植物園のイギリス人研究者たちの生活を守り、研究を続けさせたといいます。寛の研究を手伝ったという植物学者・コーナーによると、寛は心が広く現地の職員からも信頼されており、マレー語で「オラン・ヤング・バイ・サカリ(まことの紳士)」と呼ばれていたそうです。
その後、寛は昭和29年に弘前大学の第2代学長に就任し、農学部の創設に尽力しました。展示では弘前大学学長として採用されたことを伝える通知書や学長時代の写真などを観ることができます。加えて、学長就任を記念して教え子の三木茂から贈られ、学内に植栽されたメタセコイア(弘前市保存樹木に指定)を紹介するパネルもありました。
さらに、この展示では寛の母・ふみが作った植物標本も観ることができます。ふみについては8月22日に配信したメールマガジンでもご紹介しましたね。酸ヶ湯で温泉宿の経営に携わりながら、八甲田の高山植物を採集・研究した人物です。ふみは採集した植物の標本を作り、各地の学校に寄贈していました。展示されているのは旧制弘前高等学校に寄贈された植物標本2点で、「郡場ふみ」の名前が印字された専用のラベルが貼られており、植物の学名や採集月日、採集地が記されています。
この企画展は12月19日(金曜日)まで開催されていますので、興味のある方はぜひ足をお運びください。なお、開館時間等の情報については弘前大学資料館ホームページをご確認ください。
※今回の内容はE.J.H.コーナー『思い出の昭南博物館』(中央公論社 1982年)、石井美樹子『友情は戦火をこえて』(PHP研究所 1983年)、青森県立郷土館土曜セミナー「戦争と青森の科学者たち」配付資料(2025年11月8日開催)、『東奥日報』連載「本県出身の植物学者 郡場寛を知っていますか」(令和6年2月6日から10日まで掲載)などを参考にしています。
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