「あおもり歴史トリビア」第685号(令和8年1月9日配信)
2026/01/09 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第685号(令和8年1月9日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
藩政時代、青森の町づくりに関して最もよく知られている文書が、「青森派之事」と題される寛永3年(1626)4月6日付の森山弥七郎宛津軽信枚黒印状写(以下、黒印状)です。
なぜかというと、文書の冒頭に「自他無縁之者望次第在付可申候」とあって、これが「農業を生業としない『自他無縁』の人々が町人として同町(=青森町:工藤注)に集められた」(長谷川成一『弘前藩』2004年)と解釈され、青森町の性格を決定づける文書と位置付けられているからです。
一方、地名などいくつかの個別文言の相違はあるものの、黒印状とほぼ同文・同内容といえる文書が8点ほど確認できます。しかも文書の年代が元和6年(1621)~寛文元年の4年間に集中しているので、弘前藩庁の地域政策の一端を現したものといえます。たとえば『新編弘前市史』通史編2では「初期新田開発の展開」という項目でこれらの文書を扱っています。そもそも「青森派」の「派(はだち)」は「弘前藩では新田開発のことを派立(はだち)と称し」ていました(前掲『弘前藩』)。つまり、これらの文書は「新田開発」という政策基調のもとで作成・発給されたのです。
ですから、青森に関する文書を「新田開発」ではなく「町づくり」読み替えるのであれば、相応の根拠が必要です。これについて私は「地域開発」というイメージで着地できるだろうと思っています。ただ、史料の文言である「自他無縁之者」を「農業を生業としない人々」と解釈すると、やはり「新田開発」には相応しくはないでしょう。これには農業を生業とする人々を集めた方が「即戦力」になる訳ですから。
「無縁之者」とは遍歴することで生業を営む―商人・職人など多様な「非農業民」を含むものと考えられています(網野善彦『無縁・公界・楽』)。黒印状の解釈もこれを踏まえたものです。ただ、ここで注目したいのは黒印状とおなじ寛永3年に津軽信枚が発給した2点の知行充行状です(『新編弘前市史』資料編2No.445・446)。詳細は割愛しますが、この2点の文書を比較した結果「自他無縁之者」は「百性等」となります。
では「百性(姓)」とは…? パッと頭に浮かぶのは「農業民」で、「新田開発」と重ね合わせると収まりもいいでしょう。一方、中世社会では農民だけでなく海の民、山の民、商工の民もみな「百姓」と呼ばれており、近世においても百姓=農業民ではなかったといいます(網野善彦『日本中世の民衆像』1980年、同『日本中世の百姓と職能民』1998年)。
より厳密にはこの時期の津軽地域での「百性」の用例を集めて意味を確定すべきなのでしょうが、現時点では百姓を「一般の人民」「一般庶民」(『日本国語大事典』)の意味でとらえ、黒印状は必ずしも「農業を生業としない人々」を集めようとしていた訳ではなかった―と解釈するのが妥当ではないかと思います。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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藩政時代、青森の町づくりに関して最もよく知られている文書が、「青森派之事」と題される寛永3年(1626)4月6日付の森山弥七郎宛津軽信枚黒印状写(以下、黒印状)です。
なぜかというと、文書の冒頭に「自他無縁之者望次第在付可申候」とあって、これが「農業を生業としない『自他無縁』の人々が町人として同町(=青森町:工藤注)に集められた」(長谷川成一『弘前藩』2004年)と解釈され、青森町の性格を決定づける文書と位置付けられているからです。
一方、地名などいくつかの個別文言の相違はあるものの、黒印状とほぼ同文・同内容といえる文書が8点ほど確認できます。しかも文書の年代が元和6年(1621)~寛文元年の4年間に集中しているので、弘前藩庁の地域政策の一端を現したものといえます。たとえば『新編弘前市史』通史編2では「初期新田開発の展開」という項目でこれらの文書を扱っています。そもそも「青森派」の「派(はだち)」は「弘前藩では新田開発のことを派立(はだち)と称し」ていました(前掲『弘前藩』)。つまり、これらの文書は「新田開発」という政策基調のもとで作成・発給されたのです。
ですから、青森に関する文書を「新田開発」ではなく「町づくり」読み替えるのであれば、相応の根拠が必要です。これについて私は「地域開発」というイメージで着地できるだろうと思っています。ただ、史料の文言である「自他無縁之者」を「農業を生業としない人々」と解釈すると、やはり「新田開発」には相応しくはないでしょう。これには農業を生業とする人々を集めた方が「即戦力」になる訳ですから。
「無縁之者」とは遍歴することで生業を営む―商人・職人など多様な「非農業民」を含むものと考えられています(網野善彦『無縁・公界・楽』)。黒印状の解釈もこれを踏まえたものです。ただ、ここで注目したいのは黒印状とおなじ寛永3年に津軽信枚が発給した2点の知行充行状です(『新編弘前市史』資料編2No.445・446)。詳細は割愛しますが、この2点の文書を比較した結果「自他無縁之者」は「百性等」となります。
では「百性(姓)」とは…? パッと頭に浮かぶのは「農業民」で、「新田開発」と重ね合わせると収まりもいいでしょう。一方、中世社会では農民だけでなく海の民、山の民、商工の民もみな「百姓」と呼ばれており、近世においても百姓=農業民ではなかったといいます(網野善彦『日本中世の民衆像』1980年、同『日本中世の百姓と職能民』1998年)。
より厳密にはこの時期の津軽地域での「百性」の用例を集めて意味を確定すべきなのでしょうが、現時点では百姓を「一般の人民」「一般庶民」(『日本国語大事典』)の意味でとらえ、黒印状は必ずしも「農業を生業としない人々」を集めようとしていた訳ではなかった―と解釈するのが妥当ではないかと思います。
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