「あおもり歴史トリビア」第686号(令和8年1月16日配信)
2026/01/16 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第686号(令和8年1月16日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。1月15日(木曜日)から歴史資料室の新しい館内展示「学び舎の思い出-学校旧跡めぐり4」が始まりました。今回の展示では令和7年(2025)度に開校から150年、100年、50年といった節目を迎えた13校を取り上げました。各校の沿革やゆかりの人物、校歌の作詞者・作曲者に関する情報のほか、開校当時のできごとをコラムとして紹介しています。
今日はこの展示から青森市立松原中学校(佃中学校の前身校)や青森県立盲学校の校歌を作詞した教育者・歌人の斎藤真一(1911-89)についてお話しします。
斎藤は函館出身で、昭和9年(1934)3月に神宮皇學館(神官を養成する学校)を卒業し、翌月、青森市立夜間中学校(昭和18年に市立第二中学校、昭和23年に市立青森高等学校と改称、現青森県立北斗高等学校)の教員となりました。昭和19年に退職して福島県内の神社の神職となりますが、戦後、元同僚らの勧めで青森へ戻り、空襲で校舎を失った市立第二中学校の校舎再建に尽力しました。そして、昭和23年からは市立青森高等学校の校長を務めました。
昭和25年、市立青森高等学校の校舎を間借りして市立松原中学校が開校すると、斎藤は同校の校長を兼任することになりました。その後は青森県立青森盲学校・青森聾学校、県立八戸盲学校・八戸聾学校、県立浪岡高等学校、市立第一高等学校(昭和44年より県立青森北高等学校)の校長を歴任しています。
さて、斎藤は自らが勤務する学校の校歌の作詞を複数手がけています。初めて作詞した校歌は昭和10年制定の市立夜間中学校校歌でした。のちに斎藤は「当時の私は若く、生徒と共に学ぶ気持でわりに苦心しないで歌詞を作ることが出来た」と振り返っています。この校歌は県立北斗高等学校へ継承され、平成14年(2002)に新校歌が制定されるまで歌われました。
昭和25年には初代校長を務める市立松原中学校の校歌の作詞を手がけました。松原中学校は昭和40年に閉校しましたが、その伝統を受け継ぐ市立佃中学校のホームページに校歌の歌詞が掲載されています。
さらに、昭和42年に県立青森盲学校・弘前盲学校・八戸盲学校が統合されて県立盲学校が誕生すると、前身校の元校長である斎藤が校歌を作詞しました。
昭和44年には校長を務めていた市立第一高等学校が県へ移管され、校名も変わったことから、第1回の卒業式に向けて新校歌と新校章の制定を急ぎ、斎藤が校歌の作詞をしています。
斎藤は学校の統合や県移管といった大きな節目に立ち会い、あわせて校歌を作るという大きな仕事にも向き合っていたのです。
※今回の内容は『斎藤眞一遺歌集 曉滴集以後』(アスナロ短歌会 1989年)、『開校五十周年記念誌』(青森県立北斗高等学校開校50周年記念事業協賛会 1982年)などを参考にしています。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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今日はこの展示から青森市立松原中学校(佃中学校の前身校)や青森県立盲学校の校歌を作詞した教育者・歌人の斎藤真一(1911-89)についてお話しします。
斎藤は函館出身で、昭和9年(1934)3月に神宮皇學館(神官を養成する学校)を卒業し、翌月、青森市立夜間中学校(昭和18年に市立第二中学校、昭和23年に市立青森高等学校と改称、現青森県立北斗高等学校)の教員となりました。昭和19年に退職して福島県内の神社の神職となりますが、戦後、元同僚らの勧めで青森へ戻り、空襲で校舎を失った市立第二中学校の校舎再建に尽力しました。そして、昭和23年からは市立青森高等学校の校長を務めました。
昭和25年、市立青森高等学校の校舎を間借りして市立松原中学校が開校すると、斎藤は同校の校長を兼任することになりました。その後は青森県立青森盲学校・青森聾学校、県立八戸盲学校・八戸聾学校、県立浪岡高等学校、市立第一高等学校(昭和44年より県立青森北高等学校)の校長を歴任しています。
さて、斎藤は自らが勤務する学校の校歌の作詞を複数手がけています。初めて作詞した校歌は昭和10年制定の市立夜間中学校校歌でした。のちに斎藤は「当時の私は若く、生徒と共に学ぶ気持でわりに苦心しないで歌詞を作ることが出来た」と振り返っています。この校歌は県立北斗高等学校へ継承され、平成14年(2002)に新校歌が制定されるまで歌われました。
昭和25年には初代校長を務める市立松原中学校の校歌の作詞を手がけました。松原中学校は昭和40年に閉校しましたが、その伝統を受け継ぐ市立佃中学校のホームページに校歌の歌詞が掲載されています。
さらに、昭和42年に県立青森盲学校・弘前盲学校・八戸盲学校が統合されて県立盲学校が誕生すると、前身校の元校長である斎藤が校歌を作詞しました。
昭和44年には校長を務めていた市立第一高等学校が県へ移管され、校名も変わったことから、第1回の卒業式に向けて新校歌と新校章の制定を急ぎ、斎藤が校歌の作詞をしています。
斎藤は学校の統合や県移管といった大きな節目に立ち会い、あわせて校歌を作るという大きな仕事にも向き合っていたのです。
※今回の内容は『斎藤眞一遺歌集 曉滴集以後』(アスナロ短歌会 1989年)、『開校五十周年記念誌』(青森県立北斗高等学校開校50周年記念事業協賛会 1982年)などを参考にしています。
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