「あおもり歴史トリビア」第692号(令和8年2月27日配信)
2026/02/27 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第692号(令和8年2月27日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。文化遺産課の石戸谷です。今回は、昭和30年頃まで行われていた大晦日の風習をご紹介します。
日本民俗学の父と呼ばれる柳田國男によると、日本人の古い考えでは、日没を一日の境としていたといい、夜は朝に続く一日の始まりとされていました。そのため、大晦日の夜は、一年の最後の時ではなく、新年に含まれる時間でした。
大晦日は、「年越し」や「年取り」ともいいます。「年取り」という言葉は、年越しと同じ意味で使われますが、数え年では、新年に一つ年を取ることから、年齢が加わるという意味も含まれています。この日に食べる特別な食事が「おせち」や「年取りの膳」で、新年を祝うだけでなく、一つ年を取ることのお祝いでもありました。全国的には、元日の日中に食べる地域もありますが、青森県や北海道などでは大晦日に食べることで知られています。津軽地方では、大晦日の昼すぎのまだ明るいうちから食べるのが普通で、年取りが遅くなると翌年の農作業が遅れるといって、食事が遅くなるのを嫌いました。
年取りの膳には、油川地区の事例では、焼いた鮭の切り身、煮しめ、大根と人参のナマス、ゴボウのデンブ、黒豆の煮豆、ケノ汁が盛り付けられ、大きな皿に焼き魚やかまぼこ、果物などを盛ったクチトリが付きました。料理は、年末のうちにたくさん作って、正月期間中まで食べました。後潟地区では、「正月は骨休め」といって、年末に7日分の料理を作りました。正月中に、新たに食べ物を作らないことは全国的にみられた風習で、民俗学では、正月の神々を迎えるにあたって、物音をたてたり、煮炊きをしたりすることを避ける慎みの期間であったと考えています。
この日は、家族だけでなく、家で使っている道具の年取りも行われました。西田沢地区では、大晦日に臼を伏せてしめ縄を張って、その上に重ね餅と鯛のウンペイを供え、一年ご苦労様といって拝んだそうです。
津軽地方では、年取りの晩は一夜が50日に当たるといって、大人も子どもも遅くまで起きていました。大晦日の夜には、正月の神様が各家を訪れるとされ、合子沢地区や後潟地区では、家の戸を開けておいて福の神や年神様を迎えました。新町野地区では、正月に訪ねて来る人は福の神だといって、知らない人でも一杯飲ませてゴボウのデンブとナマスを肴に出したそうです。
今回紹介した事例は、時代の変化と生活様式の進展によって現在では確認できないものもありますが、正月は一年のうちで最も重要な節目であることに変わりはありません。
※今回の事例は、『郷土を科学する第1集 津軽の民俗』(陸奥新報社 1965年)、『日本の民俗 青森』(第一法規出版 1972年)、『青森市史叢書 民俗調査報告書』1~6集(青森市 1999~2004年)を参考にしました。
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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日本民俗学の父と呼ばれる柳田國男によると、日本人の古い考えでは、日没を一日の境としていたといい、夜は朝に続く一日の始まりとされていました。そのため、大晦日の夜は、一年の最後の時ではなく、新年に含まれる時間でした。
大晦日は、「年越し」や「年取り」ともいいます。「年取り」という言葉は、年越しと同じ意味で使われますが、数え年では、新年に一つ年を取ることから、年齢が加わるという意味も含まれています。この日に食べる特別な食事が「おせち」や「年取りの膳」で、新年を祝うだけでなく、一つ年を取ることのお祝いでもありました。全国的には、元日の日中に食べる地域もありますが、青森県や北海道などでは大晦日に食べることで知られています。津軽地方では、大晦日の昼すぎのまだ明るいうちから食べるのが普通で、年取りが遅くなると翌年の農作業が遅れるといって、食事が遅くなるのを嫌いました。
年取りの膳には、油川地区の事例では、焼いた鮭の切り身、煮しめ、大根と人参のナマス、ゴボウのデンブ、黒豆の煮豆、ケノ汁が盛り付けられ、大きな皿に焼き魚やかまぼこ、果物などを盛ったクチトリが付きました。料理は、年末のうちにたくさん作って、正月期間中まで食べました。後潟地区では、「正月は骨休め」といって、年末に7日分の料理を作りました。正月中に、新たに食べ物を作らないことは全国的にみられた風習で、民俗学では、正月の神々を迎えるにあたって、物音をたてたり、煮炊きをしたりすることを避ける慎みの期間であったと考えています。
この日は、家族だけでなく、家で使っている道具の年取りも行われました。西田沢地区では、大晦日に臼を伏せてしめ縄を張って、その上に重ね餅と鯛のウンペイを供え、一年ご苦労様といって拝んだそうです。
津軽地方では、年取りの晩は一夜が50日に当たるといって、大人も子どもも遅くまで起きていました。大晦日の夜には、正月の神様が各家を訪れるとされ、合子沢地区や後潟地区では、家の戸を開けておいて福の神や年神様を迎えました。新町野地区では、正月に訪ねて来る人は福の神だといって、知らない人でも一杯飲ませてゴボウのデンブとナマスを肴に出したそうです。
今回紹介した事例は、時代の変化と生活様式の進展によって現在では確認できないものもありますが、正月は一年のうちで最も重要な節目であることに変わりはありません。
※今回の事例は、『郷土を科学する第1集 津軽の民俗』(陸奥新報社 1965年)、『日本の民俗 青森』(第一法規出版 1972年)、『青森市史叢書 民俗調査報告書』1~6集(青森市 1999~2004年)を参考にしました。
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