「あおもり歴史トリビア」第702号(令和8年5月15日配信)
2026/05/15 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第702号(令和8年5月15日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の竹内です。5月から8月にかけて太平洋から吹いてくる冷たい東寄りの風「ヤマセ」は、オホーツク海付近で発生・発達する冷たく湿ったオホーツク海高気圧が、太平洋高気圧より勢力が強くなると発生します。ヤマセが4~5日続くと北日本では低温、曇雨天の度合いが強まり作物の成長に影響を与えます。冷害の原因ともなるヤマセは、稲の不作をもたらす風とされていました。
江戸時代、元禄8年(1695)は東北・北陸地方を中心に凶作に見舞われ「元禄の飢饉」と呼ばれる事態が発生しました。この年は津軽地方でもヤマセが4月から吹き、時には綿入れの小袖を着るほどの寒い日が続きました。加えて台風や洪水、害虫の発生と災難が続き、7月になっても稲は青立の状態でした。稲も育たずナスやキュウリなどの野菜も枯れ、凶作が予測されましたが、弘前藩は米価が高騰する6月から7月にかけての端境期に米を領外へ売り払ってしまい、領内は米の在庫が底をつく米払底(こめふってい)となりました。
米の確保のため弘前藩庁は同年7月13日に青森、鰺ヶ沢、十三(現在の五所川原市市浦)、今別、蟹田(現在の外ヶ浜町蟹田)、深浦、野内に町人による他領への米の売り払いを禁止し、また同年9月24日には秋田・酒田・南部方面に米の買い付けの使者を派遣しましたが、移入はかないませんでした。飢餓状態となった藩内ではこの年の10月から12月の間に3万人が餓えにより亡くなりました。『青森市史 別冊 年表編』(青森市 1982年)には元禄8年7月「当年不作につき輸出米を禁止」、8月14日「各人所有米を検査。造酒、菓子の製造禁止。」、10月12日「飢餓人救済のため、施粥場を下浜町に公儀にて幅四間に長さ四十間の小屋建て、渇人一人に米一合の粥を大釜に煮て給す、飢人数七、八百人、小屋にて死せる者は町人足にて蓮華寺裏へ葬る。」と当時の様子が記されています。
現代の米作は耐冷性品種の育成により、ヤマセによる冷害被害は軽減される一方、ここ数年の気候変動による猛暑に耐える高温耐性も求められ、青森米「はれわたり」、「青天の霹靂」など耐冷性と高温耐性を両立した品種が誕生しています。
今回は、『新青森市史通史編 第二巻近世』(青森市 2000年)、『新青森市史別編4 自然』(青森市 2000年)、『新編弘前市史通史編2 近世1』(弘前市 2002年)、菊池勇夫著『近世の飢饉』(吉川弘文館 1997年)などを参考にさせていただきました。
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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江戸時代、元禄8年(1695)は東北・北陸地方を中心に凶作に見舞われ「元禄の飢饉」と呼ばれる事態が発生しました。この年は津軽地方でもヤマセが4月から吹き、時には綿入れの小袖を着るほどの寒い日が続きました。加えて台風や洪水、害虫の発生と災難が続き、7月になっても稲は青立の状態でした。稲も育たずナスやキュウリなどの野菜も枯れ、凶作が予測されましたが、弘前藩は米価が高騰する6月から7月にかけての端境期に米を領外へ売り払ってしまい、領内は米の在庫が底をつく米払底(こめふってい)となりました。
米の確保のため弘前藩庁は同年7月13日に青森、鰺ヶ沢、十三(現在の五所川原市市浦)、今別、蟹田(現在の外ヶ浜町蟹田)、深浦、野内に町人による他領への米の売り払いを禁止し、また同年9月24日には秋田・酒田・南部方面に米の買い付けの使者を派遣しましたが、移入はかないませんでした。飢餓状態となった藩内ではこの年の10月から12月の間に3万人が餓えにより亡くなりました。『青森市史 別冊 年表編』(青森市 1982年)には元禄8年7月「当年不作につき輸出米を禁止」、8月14日「各人所有米を検査。造酒、菓子の製造禁止。」、10月12日「飢餓人救済のため、施粥場を下浜町に公儀にて幅四間に長さ四十間の小屋建て、渇人一人に米一合の粥を大釜に煮て給す、飢人数七、八百人、小屋にて死せる者は町人足にて蓮華寺裏へ葬る。」と当時の様子が記されています。
現代の米作は耐冷性品種の育成により、ヤマセによる冷害被害は軽減される一方、ここ数年の気候変動による猛暑に耐える高温耐性も求められ、青森米「はれわたり」、「青天の霹靂」など耐冷性と高温耐性を両立した品種が誕生しています。
今回は、『新青森市史通史編 第二巻近世』(青森市 2000年)、『新青森市史別編4 自然』(青森市 2000年)、『新編弘前市史通史編2 近世1』(弘前市 2002年)、菊池勇夫著『近世の飢饉』(吉川弘文館 1997年)などを参考にさせていただきました。
青森市民図書館 歴史資料室
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