「あおもり歴史トリビア」第704号(令和8年5月29日配信)
2026/05/29 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第704号(令和8年5月29日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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皆さん、こんにちは。文化遺産課の設楽です。
以前の担当回(令和6年6月28日配信 第607号)で少し触れましたが、津軽半島の南東部に相当する青森市北部の山間部には、ドウヤ沢(瀬戸子地区)、ドヤ沢(奥内地区)という地名が存在します。また、同じく津軽半島にある蓬田村の山間部では、銅屋沢(阿弥陀川地区)、上銅屋沢、下銅屋沢(高根地区)、外ヶ浜町の山間部では高銅屋(蟹田地区)、銅屋沢(小国地区)という地名が存在します。これらの地名は、「銅屋」に由来する地名と考えられます。
『八戸南部藩用語辞典』によると、銅屋とは、「釜等の鋳物製品をつくったり、修理する場」、「または鋳造業者・鋳物師を指す」呼称とされています。江戸時代に鍋や釜などを作っていた職人集団が住んでいたことに由来する弘前市の銅屋町のように、本来、銅屋は、鋳造業者や鋳造に関する作業場を指す呼称でしたが、鋳造業者の中に製鉄を担う者が現れたことにより、やがて鋳造だけでなく、製鉄も含んだ呼称になったものと考えられます。これを裏付けるように、冒頭で紹介した銅屋の地名が残る地区では、既に製鉄遺跡の存在が確認されている事例のほか、現時点で製鉄遺跡は未確認であるものの、江戸時代の文献資料や地域史の記述から、製鉄が行われた可能性が高い場所も存在します。
江戸時代の弘前藩に関する文献史料でも、「銅屋」に関する記述が認められます「弘前藩庁日記 御国日記」では、貞享4年(1687)6月4日の記録に砂鉄を小国の銅屋場へ運ぶという記述があります。また、元禄2年(1689)には、小国せきねまた(小国に存在する関根股)に鉄銅冶を立てたという記述、翌元禄3年(1690)には、奥内山の白滝に鉄銅冶を立てたという記述があります。また、『平山日記』における明和3年(1766)に発生した大地震の記録では、小国鉄山の銅屋1箇所が被害を受けた記述があります。これらの記述は、製鉄に関する内容と考えられることから、銅屋が製鉄の作業場や製鉄そのものを指す呼称として、江戸時代に津軽半島まで浸透していたことを示しています。一方、慶安2年(1649)頃の成立とみられる「弘前古御絵図」では、弘前城下の町方に銅屋が21軒あったことが記載され、鋳造の銅屋が別に存在しており、元禄2・3年の「鉄銅冶」の記述は、鋳造の銅屋と区別をしていた可能性も考えられます。
銅屋の地名は、県内では藤崎町、下北半島のむつ市、東通村の山間部、県外でも岩手県、秋田県、宮城県、福島県の山間部を中心に存在します。これらには、弘前市銅屋町のように鋳造を指す呼称である銅屋も一定数含まれると考えられますが、製鉄遺跡が確認されている事例もあることから、銅屋の地名は、江戸時代における鋳造や製鉄が行われた場所を示す重要な手がかりになると考えられます。
《参考文献等》
青森県 1971 『青森縣史 二』
青森県文化財保護協会 1983 『みちのく双書 津軽史 第13巻』
弘前市 2002 『新編弘前市史 通史編2 近世1』
酒井久男編 2016 『八戸南部藩用語辞典』 九戸歴史民俗の会
弘前市ホームページ 「古都の町名一覧」 銅屋町
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
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『八戸南部藩用語辞典』によると、銅屋とは、「釜等の鋳物製品をつくったり、修理する場」、「または鋳造業者・鋳物師を指す」呼称とされています。江戸時代に鍋や釜などを作っていた職人集団が住んでいたことに由来する弘前市の銅屋町のように、本来、銅屋は、鋳造業者や鋳造に関する作業場を指す呼称でしたが、鋳造業者の中に製鉄を担う者が現れたことにより、やがて鋳造だけでなく、製鉄も含んだ呼称になったものと考えられます。これを裏付けるように、冒頭で紹介した銅屋の地名が残る地区では、既に製鉄遺跡の存在が確認されている事例のほか、現時点で製鉄遺跡は未確認であるものの、江戸時代の文献資料や地域史の記述から、製鉄が行われた可能性が高い場所も存在します。
江戸時代の弘前藩に関する文献史料でも、「銅屋」に関する記述が認められます「弘前藩庁日記 御国日記」では、貞享4年(1687)6月4日の記録に砂鉄を小国の銅屋場へ運ぶという記述があります。また、元禄2年(1689)には、小国せきねまた(小国に存在する関根股)に鉄銅冶を立てたという記述、翌元禄3年(1690)には、奥内山の白滝に鉄銅冶を立てたという記述があります。また、『平山日記』における明和3年(1766)に発生した大地震の記録では、小国鉄山の銅屋1箇所が被害を受けた記述があります。これらの記述は、製鉄に関する内容と考えられることから、銅屋が製鉄の作業場や製鉄そのものを指す呼称として、江戸時代に津軽半島まで浸透していたことを示しています。一方、慶安2年(1649)頃の成立とみられる「弘前古御絵図」では、弘前城下の町方に銅屋が21軒あったことが記載され、鋳造の銅屋が別に存在しており、元禄2・3年の「鉄銅冶」の記述は、鋳造の銅屋と区別をしていた可能性も考えられます。
銅屋の地名は、県内では藤崎町、下北半島のむつ市、東通村の山間部、県外でも岩手県、秋田県、宮城県、福島県の山間部を中心に存在します。これらには、弘前市銅屋町のように鋳造を指す呼称である銅屋も一定数含まれると考えられますが、製鉄遺跡が確認されている事例もあることから、銅屋の地名は、江戸時代における鋳造や製鉄が行われた場所を示す重要な手がかりになると考えられます。
《参考文献等》
青森県 1971 『青森縣史 二』
青森県文化財保護協会 1983 『みちのく双書 津軽史 第13巻』
弘前市 2002 『新編弘前市史 通史編2 近世1』
酒井久男編 2016 『八戸南部藩用語辞典』 九戸歴史民俗の会
弘前市ホームページ 「古都の町名一覧」 銅屋町
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