「あおもり歴史トリビア」第710号(令和8年7月10日配信)
2026/07/10 (Fri) 12:00
「あおもり歴史トリビア」第710号(令和8年7月10日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
私は昨年の8月~10月にかけて、このメールマガジンで3回にわたり青森空襲を扱いました(No.663・669・672)。そしてこの成果を取り込みつつ、7月2日から市民図書館内で「新聞と証言集から読み解く青森空襲」(~8月24日、期間中休館日あり)と題した展示を始めました。今回の展示の特色は証言集、すなわち「語りの歴史」を大きく取り上げたことにあります。
そのなかのひとつにつきのような証言があります。これは、当時国民学校2年生が青森市から疎開(避難)した藤崎町で、母親から聞いたものです。
「或る日、母が町内会の寄り合いから帰って来て『今日の会合で町会長が、疎開者達が増えた所為で藤崎町のコメがなくなり迷惑であるとの発言があった。』『なんという心の狭いザイゴモン達だ。こんなところはもうゴメンだ。』と悲憤していた。一般的には疎開者は歓迎される雰囲気はなかった。(『次代への証言』第23集)」
この証言についてはまず、配給物資は疎開先から受け取るのが原則であるということを理解しておく必要があります。ですから、青森市民がこのケースのように藤崎町に疎開したばあい、彼らは藤崎町から配給を受けることになります。町にとっては配給対象者が増える訳ですから、1人分の配給量は減ります。町会長の発言の背景はそこにあり、さらに藤崎町を含む南津軽郡や北津軽郡は、弘前市からの疎開(避難)も多くいたようです。
さて、青森市民のなかには市内から離れ農村部に避難しているものの、配給は市内で受けている人々が相当数いたといいます(これは疎開とは区別されます)。こうした避難の在り方は、避難先の農村部との関係性から生じたことではないかとNo.672で書きました。つまり、「食料は持参した上で避難をして身を護る」という行動といえるでしょう。
しかも、これは青森市民だけではなく、弘前市民も同様で新聞はその行為を警察当局の見解として「近郊農村へ逃避し、配給物資だけは滞りなく受けてゐる不埒なものが相当に多く」と報じています(昭和20年7月28日付『東奥日報』)。その意味では青森県の社会問題と位置付けていいでしょう。
一方、青森市など行政の側では、そこに住んでいない人に対して配給と称して食料等を渡すことになります。これは藤崎町の町会長の発言とおなじく、「現在そこに住んでいる人」への配給量が減ることになります。ですから、当局は「7月28日までに戻らなければ配給を停止する」といい、市外に出るのならば「正式届出」をして「疎開」するよう市民に求めたのです。
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
登録の変更や利用停止の手続は、次の画面からどうぞ。
○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
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私は昨年の8月~10月にかけて、このメールマガジンで3回にわたり青森空襲を扱いました(No.663・669・672)。そしてこの成果を取り込みつつ、7月2日から市民図書館内で「新聞と証言集から読み解く青森空襲」(~8月24日、期間中休館日あり)と題した展示を始めました。今回の展示の特色は証言集、すなわち「語りの歴史」を大きく取り上げたことにあります。
そのなかのひとつにつきのような証言があります。これは、当時国民学校2年生が青森市から疎開(避難)した藤崎町で、母親から聞いたものです。
「或る日、母が町内会の寄り合いから帰って来て『今日の会合で町会長が、疎開者達が増えた所為で藤崎町のコメがなくなり迷惑であるとの発言があった。』『なんという心の狭いザイゴモン達だ。こんなところはもうゴメンだ。』と悲憤していた。一般的には疎開者は歓迎される雰囲気はなかった。(『次代への証言』第23集)」
この証言についてはまず、配給物資は疎開先から受け取るのが原則であるということを理解しておく必要があります。ですから、青森市民がこのケースのように藤崎町に疎開したばあい、彼らは藤崎町から配給を受けることになります。町にとっては配給対象者が増える訳ですから、1人分の配給量は減ります。町会長の発言の背景はそこにあり、さらに藤崎町を含む南津軽郡や北津軽郡は、弘前市からの疎開(避難)も多くいたようです。
さて、青森市民のなかには市内から離れ農村部に避難しているものの、配給は市内で受けている人々が相当数いたといいます(これは疎開とは区別されます)。こうした避難の在り方は、避難先の農村部との関係性から生じたことではないかとNo.672で書きました。つまり、「食料は持参した上で避難をして身を護る」という行動といえるでしょう。
しかも、これは青森市民だけではなく、弘前市民も同様で新聞はその行為を警察当局の見解として「近郊農村へ逃避し、配給物資だけは滞りなく受けてゐる不埒なものが相当に多く」と報じています(昭和20年7月28日付『東奥日報』)。その意味では青森県の社会問題と位置付けていいでしょう。
一方、青森市など行政の側では、そこに住んでいない人に対して配給と称して食料等を渡すことになります。これは藤崎町の町会長の発言とおなじく、「現在そこに住んでいる人」への配給量が減ることになります。ですから、当局は「7月28日までに戻らなければ配給を停止する」といい、市外に出るのならば「正式届出」をして「疎開」するよう市民に求めたのです。
青森市民図書館 歴史資料室
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