「あおもり歴史トリビア」第435号
2020/12/11 (Fri) 10:00
「あおもり歴史トリビア」第435号(令和2年12月11日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。
先日、安方桟橋についてのお問い合わせを頂き、建設の過程を調べてみたところ、新しい発見がいくつかありました。今回はその成果をご紹介します。
安方桟橋とは明治44年(1911)の8月から9月にかけて行われた皇太子(のちの大正天皇)の北海道行啓に合わせて建設された桟橋です。この時、皇太子は東京から青森まで鉄道で移動し、青森からは軍艦に乗って北海道へと向かっています。この軍艦に乗艦する際に利用したのが安方桟橋でした。
安方桟橋の建設工事は明治44年5月に始まりました。工事を落札したのは富樫文治で、全国で「幾多の大事業」を請け負ってきた人物だといいます(『東奥日報』明治44年5月3日付)。富樫は東京神田で土木建築請負業を営んでおり、日本銀行小樽支店(明治45年竣工 現日本銀行旧小樽支店金融資料館)の建設を請け負ったことで知られています。安方桟橋の建設を請け負った当時は、まさに日本銀行小樽支店の建設工事を進めている時期でした(駒木定正「日本銀行小樽支店の明治42年における建築請負契約について」)。
安方桟橋は6月中に完成する予定でしたが、設計変更などの影響で工事に遅れが生じ、7月中旬に完成しました(『東奥日報』明治44年7月14日付)。さらに、桟橋へ続く道(県庁通り)に松を植えるなど、皇太子を迎える準備が進められました。
そして、8月19日午後5時40分、皇太子が青森駅に到着しました。駅正面で人力車に乗ると新町通りを東へ進み、県庁通りで北へ曲がり、安方桟橋へと向かいました。ただし、桟橋から直接軍艦へ乗ることはできないため、水雷艇に乗って軍艦まで移動しています(『東奥日報』明治44年8月20日付)。
この日、安方桟橋には八甲田山麓の日陰かつら(ヒカゲノカズラ)を用いた装飾やさまざまな色の電灯が取り付けられました。桟橋やその周辺で行われたイルミネーションの光が海面に映り、とても美しい光景であったといいます。さらに、桟橋沖合の海上では花火の打ち上げも行われ、桟橋周辺には大勢の市民が集まったそうです。
このように人々の関心を集めた安方桟橋でしたが、大正7年(1918)には解体されてしまいました。その背景には大正4年に始まった青森港の第一期修築工事がありました。工事に伴って安方桟橋周辺で浚渫(しゅんせつ)を行うことになり、桟橋を解体する必要が生じたのです(『東奥日報』大正7年5月16日付)。こうして安方桟橋は完成からわずか7年でその役目を終えました。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
○携帯サイト「青森市mini」
http://www.city.aomori.aomori.jp/koho-kocho/keitai-mini/top/mailmagazine.html
-編集・発行---------
企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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先日、安方桟橋についてのお問い合わせを頂き、建設の過程を調べてみたところ、新しい発見がいくつかありました。今回はその成果をご紹介します。
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安方桟橋の建設工事は明治44年5月に始まりました。工事を落札したのは富樫文治で、全国で「幾多の大事業」を請け負ってきた人物だといいます(『東奥日報』明治44年5月3日付)。富樫は東京神田で土木建築請負業を営んでおり、日本銀行小樽支店(明治45年竣工 現日本銀行旧小樽支店金融資料館)の建設を請け負ったことで知られています。安方桟橋の建設を請け負った当時は、まさに日本銀行小樽支店の建設工事を進めている時期でした(駒木定正「日本銀行小樽支店の明治42年における建築請負契約について」)。
安方桟橋は6月中に完成する予定でしたが、設計変更などの影響で工事に遅れが生じ、7月中旬に完成しました(『東奥日報』明治44年7月14日付)。さらに、桟橋へ続く道(県庁通り)に松を植えるなど、皇太子を迎える準備が進められました。
そして、8月19日午後5時40分、皇太子が青森駅に到着しました。駅正面で人力車に乗ると新町通りを東へ進み、県庁通りで北へ曲がり、安方桟橋へと向かいました。ただし、桟橋から直接軍艦へ乗ることはできないため、水雷艇に乗って軍艦まで移動しています(『東奥日報』明治44年8月20日付)。
この日、安方桟橋には八甲田山麓の日陰かつら(ヒカゲノカズラ)を用いた装飾やさまざまな色の電灯が取り付けられました。桟橋やその周辺で行われたイルミネーションの光が海面に映り、とても美しい光景であったといいます。さらに、桟橋沖合の海上では花火の打ち上げも行われ、桟橋周辺には大勢の市民が集まったそうです。
このように人々の関心を集めた安方桟橋でしたが、大正7年(1918)には解体されてしまいました。その背景には大正4年に始まった青森港の第一期修築工事がありました。工事に伴って安方桟橋周辺で浚渫(しゅんせつ)を行うことになり、桟橋を解体する必要が生じたのです(『東奥日報』大正7年5月16日付)。こうして安方桟橋は完成からわずか7年でその役目を終えました。
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