「あおもり歴史トリビア」第439号
2021/01/15 (Fri) 11:00
「あおもり歴史トリビア」第439号(令和3年1月13日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。
1月14日から新しい展示「あおもりのお医者さん―医療と衛生」が始まりました。この展示では県立中央病院・市民病院といった医療機関や医師・看護師等の医療従事者を養成する学校のあゆみをご紹介しています。また、新型コロナウイルス感染症の拡大で注目されるようになった100年前のスペイン・インフルエンザについても詳しく取り上げています。展示期間は4月13日までとなっておりますので、市民図書館へお越しの際はぜひご覧ください。
さて、先週のメールマガジンでは新しい展示に関連して青森県で最初の民間病院「会社病院済衆社」(場所は現在の神外科胃腸科医院の位置)に関する話題をお届けしました。この病院は明治10年(1877)に県立青森病院となりますが、明治20年、県の経済的な事情により青森町へ移管され、青森町公立病院となりました。明治31年には市制施行に伴って青森市公立病院と改称しています。
しかし、明治43年5月、青森大火が発生し、公立病院の建物は焼失してしまいました。公立病院では私立青森幼稚園の建物を借りて診察を続けましたが、園の事情により7月には移転することになりました。
移転先となったのは6月に完成したばかりの授産場の建物(場所は現莨町小学校の位置)でした。授産場とは大火で罹災した無職の人に対して職業訓練を行う施設で、建物は秋田県扇田町(現大館市)にあった製糸工場を移築したものでした。
市は大火後の復興計画に公立病院の再建を盛り込み、建設場所の選定などを進めました。明治44年9月の市会では公立病院の再建に関する予算や建設場所についての議論が行われたといいます。一方、県も同じ頃に県立病院を建設する計画を立て、市に対して協力を求めました。市は県立病院の建設に協力することを決め、公立病院の再建は行わないことになりました。
そして、青森市公立病院は大正2年(1913)3月31日をもって閉院となり、同年9月には県立青森病院が開院しました。なお、青森市公立病院の跡地には明治44年11月、神病院が開院しています。
※今回の内容は『青森県立中央病院創立五十周年記念誌』、『青森市議会史』明治編、『青森市議会市』大正編・昭和戦前編などを参考にしています。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
登録の変更や利用停止の手続は、次の画面からどうぞ。
○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
○携帯サイト「青森市mini」
http://www.city.aomori.aomori.jp/koho-kocho/keitai-mini/top/mailmagazine.html
-編集・発行---------
企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。
1月14日から新しい展示「あおもりのお医者さん―医療と衛生」が始まりました。この展示では県立中央病院・市民病院といった医療機関や医師・看護師等の医療従事者を養成する学校のあゆみをご紹介しています。また、新型コロナウイルス感染症の拡大で注目されるようになった100年前のスペイン・インフルエンザについても詳しく取り上げています。展示期間は4月13日までとなっておりますので、市民図書館へお越しの際はぜひご覧ください。
さて、先週のメールマガジンでは新しい展示に関連して青森県で最初の民間病院「会社病院済衆社」(場所は現在の神外科胃腸科医院の位置)に関する話題をお届けしました。この病院は明治10年(1877)に県立青森病院となりますが、明治20年、県の経済的な事情により青森町へ移管され、青森町公立病院となりました。明治31年には市制施行に伴って青森市公立病院と改称しています。
しかし、明治43年5月、青森大火が発生し、公立病院の建物は焼失してしまいました。公立病院では私立青森幼稚園の建物を借りて診察を続けましたが、園の事情により7月には移転することになりました。
移転先となったのは6月に完成したばかりの授産場の建物(場所は現莨町小学校の位置)でした。授産場とは大火で罹災した無職の人に対して職業訓練を行う施設で、建物は秋田県扇田町(現大館市)にあった製糸工場を移築したものでした。
市は大火後の復興計画に公立病院の再建を盛り込み、建設場所の選定などを進めました。明治44年9月の市会では公立病院の再建に関する予算や建設場所についての議論が行われたといいます。一方、県も同じ頃に県立病院を建設する計画を立て、市に対して協力を求めました。市は県立病院の建設に協力することを決め、公立病院の再建は行わないことになりました。
そして、青森市公立病院は大正2年(1913)3月31日をもって閉院となり、同年9月には県立青森病院が開院しました。なお、青森市公立病院の跡地には明治44年11月、神病院が開院しています。
※今回の内容は『青森県立中央病院創立五十周年記念誌』、『青森市議会史』明治編、『青森市議会市』大正編・昭和戦前編などを参考にしています。
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