「あおもり歴史トリビア」第440号
2021/01/22 (Fri) 10:00
「あおもり歴史トリビア」第440号(令和3年1月22日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは! 歴史資料室の鈴木です。
今回は、館内展示「青森のお医者さん-医療と衛生」に関連する展示図書の中から、いくつかご紹介したいと思います。
まず1冊目は、広瀬寿秀著『須藤かく 日系アメリカ人最初の女医』(2017 北方新社)です。
須藤かくは江戸時代末に現在の弘前市に生まれ、10歳の時に横浜へ出てキリスト教の学校で教育を受けました。その後、明治24年(1891)に恩師とともに渡米し、オハイオ州のローラ・メモリアル女子医科大学を卒業しました。
明治時代、新しく医師になるためには、医術開業試験に合格するか、医師の資格が得られる医学校を卒業する必要がありましたが、まだ女性は日本の医学校に入学することができませんでした。しかし、日本政府が認めた外国の医学校を卒業し医師の資格を得れば、帰国後に医籍登録することができたのです。
かくは、明治30年に帰国するとしばらく横浜の病院で働きましたが、その後アメリカに移住して92歳でアメリカ国籍を取得しました。
また、この本では青森県人で最初の女性医師となった岡見京子(けいこ)についても述べられています。現在の下北郡大畑町出身の岡見京子は、横浜や東京で教育を受け、明治17年、結婚後にアメリカに渡るとペンシルベニア女子医科大学に入学しました。博士号を取得後、明治22年に帰国して、女性として5番目に医籍登録しています。
つぎは、青森県の保健行政や看護教育に尽力した花田ミキについて書かれた松岡裕枝著『花田ミキという生き方 命を阻むものはすべて悪』(2010年 東奥日報社)です。弘前市出身の花田ミキは、戦争中に従軍看護婦として召集されました。戦後は、周囲の理解がなかなか得られない中で辛抱強くその必要性を説き、日本産婆看護婦保健婦協会(日本看護協会の前身)の青森支部や、県立青森高等看護学院の創設に関わりました。
また、青森県出身ではありませんが、田中ひかる著『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』(2020年 中央公論新社)もご紹介したいと思います。この作品は、明治21年に日本で3番目の女医となった高橋瑞(みず)の波乱万丈な生涯を、小説風に著したものです。
高橋瑞は、はじめ産婆の修行をしていましたが、お産で命を落とす女性を助けたいと産科医を目指しました。しかし、明治16年以前は女性が医術開業試験を受験することが許されていなかったため、内務省の役人に受験を認めて欲しいと直訴します。さらに、勉強のため医術開業試験の予備校である済生学舎(現東京医科大学)に直談判し、初の女子学生となるなど、その閉ざされた門戸をこじ開ける一翼を担ったのです。
作品中には明治18年に女性で最初に医籍登録した荻野吟子、2番目の生沢久野、現在の東京女子医大を設立した吉岡弥生なども登場します。今回、荻野吟子を描いた渡辺淳一著『花埋み』(1988年 角川書店)、長谷川美智子著『女医第二号 生沢久野の生涯 野菊の如く』(2001年 健友館)、吉岡弥生著『吉岡弥生 吉岡弥生伝』(1998年 日本図書センター)も展示していますので、ぜひご覧いただければと思います。
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青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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今回は、館内展示「青森のお医者さん-医療と衛生」に関連する展示図書の中から、いくつかご紹介したいと思います。
まず1冊目は、広瀬寿秀著『須藤かく 日系アメリカ人最初の女医』(2017 北方新社)です。
須藤かくは江戸時代末に現在の弘前市に生まれ、10歳の時に横浜へ出てキリスト教の学校で教育を受けました。その後、明治24年(1891)に恩師とともに渡米し、オハイオ州のローラ・メモリアル女子医科大学を卒業しました。
明治時代、新しく医師になるためには、医術開業試験に合格するか、医師の資格が得られる医学校を卒業する必要がありましたが、まだ女性は日本の医学校に入学することができませんでした。しかし、日本政府が認めた外国の医学校を卒業し医師の資格を得れば、帰国後に医籍登録することができたのです。
かくは、明治30年に帰国するとしばらく横浜の病院で働きましたが、その後アメリカに移住して92歳でアメリカ国籍を取得しました。
また、この本では青森県人で最初の女性医師となった岡見京子(けいこ)についても述べられています。現在の下北郡大畑町出身の岡見京子は、横浜や東京で教育を受け、明治17年、結婚後にアメリカに渡るとペンシルベニア女子医科大学に入学しました。博士号を取得後、明治22年に帰国して、女性として5番目に医籍登録しています。
つぎは、青森県の保健行政や看護教育に尽力した花田ミキについて書かれた松岡裕枝著『花田ミキという生き方 命を阻むものはすべて悪』(2010年 東奥日報社)です。弘前市出身の花田ミキは、戦争中に従軍看護婦として召集されました。戦後は、周囲の理解がなかなか得られない中で辛抱強くその必要性を説き、日本産婆看護婦保健婦協会(日本看護協会の前身)の青森支部や、県立青森高等看護学院の創設に関わりました。
また、青森県出身ではありませんが、田中ひかる著『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』(2020年 中央公論新社)もご紹介したいと思います。この作品は、明治21年に日本で3番目の女医となった高橋瑞(みず)の波乱万丈な生涯を、小説風に著したものです。
高橋瑞は、はじめ産婆の修行をしていましたが、お産で命を落とす女性を助けたいと産科医を目指しました。しかし、明治16年以前は女性が医術開業試験を受験することが許されていなかったため、内務省の役人に受験を認めて欲しいと直訴します。さらに、勉強のため医術開業試験の予備校である済生学舎(現東京医科大学)に直談判し、初の女子学生となるなど、その閉ざされた門戸をこじ開ける一翼を担ったのです。
作品中には明治18年に女性で最初に医籍登録した荻野吟子、2番目の生沢久野、現在の東京女子医大を設立した吉岡弥生なども登場します。今回、荻野吟子を描いた渡辺淳一著『花埋み』(1988年 角川書店)、長谷川美智子著『女医第二号 生沢久野の生涯 野菊の如く』(2001年 健友館)、吉岡弥生著『吉岡弥生 吉岡弥生伝』(1998年 日本図書センター)も展示していますので、ぜひご覧いただければと思います。
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