「あおもり歴史トリビア」第448号
2021/03/19 (Fri) 11:00
「あおもり歴史トリビア」第448号(令和3年3月19日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。歴史資料室の村上です。
現在、市民図書館7・8階の展示スペースでは企画展示「あおもりのお医者さん―医療と衛生」も開催しております(展示期間は4月13日まで)。今回はこの展示で取り上げている戦前の県立病院についてお話ししたいと思います。
明治44年(1911)、県は寺町(現市役所本庁舎の位置)にあった青森県師範学校(弘前大学教育学部の前身)を浪打へ移転し、跡地に県立病院を建設する計画を発表しました。当時、青森市では明治43年5月に発生した大火により焼失した青森市の公立病院を再建するため、敷地の選定などを進めていました。しかし、県が県立病院を整備する考えを示し、市に協力を求めたことから、青森市は病院の再建は行わないことになりました。
県立病院の建設工事は大正元年(1912)9月に始まり、翌年8月に完成しました。そして、9月11日に開院式を行い、県立青森病院として開院しました。
さて、県立青森病院の沿革を調べる中で、疑問に思う点が一つありました。それは、初代院長・杉寛一郎の在任期間です。病院は大正2年9月に開院していますが、杉が院長を務めていたのは大正3年6月から大正4年6月までとされているのです。では、大正2年9月から翌年6月まで院長はいなかったのでしょうか。
当時の新聞をみてみると、県が院長の招聘に難航していたことがわかりました。県は院長と副院長に医学博士を招聘したいと考えていましたが、県の予算の範囲内では応じる医師がいなかったといいます(大正2年12月5日付『東奥日報』)。
大正2年7月には、学位申請中の杉を副院長として招聘することが決まりましたが、院長は決まらないまま開院の日を迎えました。開院式では県知事や内務省衛生局長の挨拶のあと、病院を代表して杉副院長が答辞を述べています。
その後、大正2年12月には杉を院長心得とし、新たに近藤庫(京都帝国大学医科大学卒業)を副院長に任命しました。そして、翌年6月に杉が正式に院長となるのです。
※今回の内容は『青森県立中央病院創立五十周年記念誌』(2002年 青森県立中央病院)などを参考にしました。
【館外展示のご案内】
現在、歴史資料室では青森駅近くのリンクモア平安閣市民ホールにおいて「工藤正市写真展―よみがえる昭和30年頃のくらしとまち」を開催しています(展示期間は3月28日まで)。開館時間は午前9時から午後10時までとなっておりますので、ご都合のよい時間帯にぜひご覧ください。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
登録の変更や利用停止の手続は、次の画面からどうぞ。
○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/mailmagazine-riyou.html
○携帯サイト「青森市mini」
http://www.city.aomori.aomori.jp/koho-kocho/keitai-mini/top/mailmagazine.html
-編集・発行---------
企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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明治44年(1911)、県は寺町(現市役所本庁舎の位置)にあった青森県師範学校(弘前大学教育学部の前身)を浪打へ移転し、跡地に県立病院を建設する計画を発表しました。当時、青森市では明治43年5月に発生した大火により焼失した青森市の公立病院を再建するため、敷地の選定などを進めていました。しかし、県が県立病院を整備する考えを示し、市に協力を求めたことから、青森市は病院の再建は行わないことになりました。
県立病院の建設工事は大正元年(1912)9月に始まり、翌年8月に完成しました。そして、9月11日に開院式を行い、県立青森病院として開院しました。
さて、県立青森病院の沿革を調べる中で、疑問に思う点が一つありました。それは、初代院長・杉寛一郎の在任期間です。病院は大正2年9月に開院していますが、杉が院長を務めていたのは大正3年6月から大正4年6月までとされているのです。では、大正2年9月から翌年6月まで院長はいなかったのでしょうか。
当時の新聞をみてみると、県が院長の招聘に難航していたことがわかりました。県は院長と副院長に医学博士を招聘したいと考えていましたが、県の予算の範囲内では応じる医師がいなかったといいます(大正2年12月5日付『東奥日報』)。
大正2年7月には、学位申請中の杉を副院長として招聘することが決まりましたが、院長は決まらないまま開院の日を迎えました。開院式では県知事や内務省衛生局長の挨拶のあと、病院を代表して杉副院長が答辞を述べています。
その後、大正2年12月には杉を院長心得とし、新たに近藤庫(京都帝国大学医科大学卒業)を副院長に任命しました。そして、翌年6月に杉が正式に院長となるのです。
※今回の内容は『青森県立中央病院創立五十周年記念誌』(2002年 青森県立中央病院)などを参考にしました。
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