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  • 2022/08/05 (Fri) 14:01
    「あおもり歴史トリビア」第516号(令和4年8月5日配信)の訂正について
  • 2022/08/05 (Fri) 13:30
    「あおもり歴史トリビア」第516号(令和4年8月5日配信)
  • 2022/07/29 (Fri) 12:00
    「あおもり歴史トリビア」第515号(令和4年7月29日配信)
  • 2022/07/22 (Fri) 12:00
    「あおもり歴史トリビア」第514号(令和4年7月22日配信)
  • 2022/07/15 (Fri) 12:00
    「あおもり歴史トリビア」第513号(令和4年7月15日配信)
  • 2022/07/08 (Fri) 12:00
    「あおもり歴史トリビア」第512号(令和4年7月8日配信)
  • 2022/07/01 (Fri) 12:00
    「あおもり歴史トリビア」第511号(令和4年7月1日配信)
  • 2022/06/24 (Fri) 13:00
    「あおもり歴史トリビア」第510号(令和4年6月24日配信)
  • 2022/06/17 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第509号(令和4年6月17日配信)
  • 2022/06/10 (Fri) 14:00
    「あおもり歴史トリビア」第508号(令和4年6月10日配信)
  • 2021/07/16 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第465号(令和3年7月16日配信)
  • 2021/07/09 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第464号(令和3年7月9日配信)
  • 2021/07/02 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第463号
  • 2021/06/25 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第462号
  • 2021/05/14 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第456号
  • 2021/05/07 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第455号
  • 2021/04/30 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第454号
  • 2021/04/23 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第453号
  • 2021/04/16 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第452号
  • 2021/04/09 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第451号
  • 2021/04/02 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第450号
  • 2021/03/26 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第449号
  • 2021/03/19 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第448号
  • 2021/03/12 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第447号
  • 2021/03/05 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第446号
  • 2021/02/26 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第445号
  • 2021/02/19 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第444号
  • 2021/02/12 (Fri) 10:00
    「あおもり歴史トリビア」第443号
  • 2021/02/05 (Fri) 10:00
    「あおもり歴史トリビア」第442号
  • 2021/01/29 (Fri) 10:00
    「あおもり歴史トリビア」第441号
  • 2021/01/22 (Fri) 10:00
    「あおもり歴史トリビア」第440号
  • 2021/01/15 (Fri) 11:00
    「あおもり歴史トリビア」第439号
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    「あおもり歴史トリビア」第438号
  • 2020/12/25 (Fri) 10:00
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    「あおもり歴史トリビア」第436号
  • 2020/12/11 (Fri) 10:00
    「あおもり歴史トリビア」第435号
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    「あおもり歴史トリビア」第434号

「あおもり歴史トリビア」第451号

2021/04/09 (Fri) 11:00
「あおもり歴史トリビア」第451号(令和3年4月9日配信)

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〈青森市メールマガジン〉
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 こんにちは! 室長の工藤です。
「青森」という名前の町づくりが始まってもう少しで400年になります。この「町づくり」をテーマにこれまでも何度か取り上げてきましたが、今回も新たな謎の発見とその謎解きをしてみようと思います。

 町づくりの当初、弘前藩庁は、(1)移住者を促進する、(2)外浜での船の寄港地を新しい町(青森)1か所に限定する、(3)町人となった者には弘前の町人とおなじ特権を与え、月6回開催の市である六斎市を許可する、という町づくりの3つの基本方針を示します。これは寛永3年(1626)4月6日のことです。

 これら3つのうち、(1)は第2代藩主信枚から家臣森山弥七郎に下命されています。(2)については、寛永11年3月22日付で第3代藩主信義(吉)から乾四郎兵衛と服部長門守に下命されたことが確認できます。ですから、寛永3年から7年ほどが経っても(2)は達成できてはいなかったということになります。そもそも、寛永3年当時これを担うことになったのは誰で、寛永11年までにどんなことがあったのでしょうか? (2)は湊町青森の町づくりにとって重要な課題なはず…。ところが、これについて語ってくれるものには出会えません。

 そこで自分で史料を繰ってみたところ、どうやらこれも(1)とおなじく森山弥七郎に下命されていたようなのです。しかも、そうはいっても青森以外の港への船の着船は止むことはなく、このままでは青森が「衰微」してしまうといった状況に陥ったようです。こうした状況を受けて、信義は寛永11年3月の乾・服部へ下命したという話になるのです。

 つまり、青森の町づくりは、その初期段階においてとくに(2)に関して藩庁の思惑通りには進まなかったようなのです。そして、町づくりは信枚のつぎの藩主信義、さらにそのつぎの信政の治世に引き継がれようやく完成します。しかも、信義・信政の時代に、森山が町づくりに関わっていたとする信頼できる史料はありません。
 にもかかわらず、一方で青森の町づくりは寛永8年に亡くなった藩主信枚の時代の出来事で、しかも森山弥七郎と二人三脚で推進したかのように「後世の記録」に記され、さらに時が下ると森山は町づくりの「恩人」さえ言われるようになるのです。
 このギャップをどう説明するか…。400年を迎えるまでに解決したい新たな謎です。



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