【再送】「あおもり歴史トリビア」第525号(令和4年10月14日配信)
2022/10/14 (Fri) 12:56
「あおもり歴史トリビア」第525号(令和4年10月14日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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令和4年10月14日12:00に配信の「あおもり歴史トリビア」の内容が誤っておりましたので
正しいものを改めて配信いたします。
ご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした。
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こんにちは。歴史資料室の村上亜弥です。
10月13日(木)から新しい企画展示「学び舎の思い出―学校旧跡めぐり2」が始まりました。この展示は今年1月から4月まで開催した「学び舎の思い出-学校旧跡めぐり」に続くもので、前回の展示では紹介できなかった造道小学校や青森工業高校後潟分校などの学校を取り上げています。
今回は展示の中から、7階エントランスのガラスケースに展示している野沢小学校(平成24年〈2012〉閉校)の校歌に関する資料をご紹介します。この資料は校歌の作詞者・加藤寿綿(かとう・としつら 1894-1987)が所蔵していたものです。加藤は小学校教員・校長を務めたのち、青森市の初代教育長に就任し、戦後の教育復興に尽力しました。
展示している資料は歌詞の草稿が記されたノート、野沢小学校第21代校長・松井義男の名刺、校章バッジ、昭和42年(1967)度『学校要覧』、そして完成した校歌の楽譜です。松井校長の名刺には「5.9.来訪」というメモがあり、ノートの表紙には「1967.5.10」と記されています。このことから、昭和42年5月9日に松井校長が加藤を訪ねて作詞を依頼し、翌日、歌詞の制作を始めたと考えられます。
ノートには1から10までの番号が振られた草案と、二重丸の印がつけられた最終案が記されています。最終案が記されたページには「6.13」という日付があることから、1か月ほどかけて歌詞を制作したとみられます。
また、最終案が記されたページには「成田繁七氏に見て貰う」というメモもあります。成田繁七(なりた・しげしち 1909-1993)は当時橋本小学校の校長を務めていた人物で、加藤が小学校教員を務めていた頃の同僚です。最終案と完成した校歌を比べると、一部表現が変更されているため、加藤が成田のアドバイスを受けて修正したのかもしれません。
野沢小学校の校歌は昭和42年8月25日に制定され、同年9月30日の創立90周年記念式典で披露されました。式典について松井校長は「子供等の口から、ほこらしげに唱う校歌を聞いて涙が出てしまいました。あの感激はまだ生き生きと心に残っております」と語っています(『野沢小学校創立百周年記念誌』1977年)。
さて、野沢小学校の旧校舎は現在、小牧野遺跡保護センター「縄文の学び舎・小牧野館」として利用されています。館内には野沢小学校が木造校舎だった昭和30年代の教室を再現したコーナーもありますので、ぜひ訪ねてみてください。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
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企画部広報広聴課
青森市中央1-22-5
TEL:017-734-5106
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今回は展示の中から、7階エントランスのガラスケースに展示している野沢小学校(平成24年〈2012〉閉校)の校歌に関する資料をご紹介します。この資料は校歌の作詞者・加藤寿綿(かとう・としつら 1894-1987)が所蔵していたものです。加藤は小学校教員・校長を務めたのち、青森市の初代教育長に就任し、戦後の教育復興に尽力しました。
展示している資料は歌詞の草稿が記されたノート、野沢小学校第21代校長・松井義男の名刺、校章バッジ、昭和42年(1967)度『学校要覧』、そして完成した校歌の楽譜です。松井校長の名刺には「5.9.来訪」というメモがあり、ノートの表紙には「1967.5.10」と記されています。このことから、昭和42年5月9日に松井校長が加藤を訪ねて作詞を依頼し、翌日、歌詞の制作を始めたと考えられます。
ノートには1から10までの番号が振られた草案と、二重丸の印がつけられた最終案が記されています。最終案が記されたページには「6.13」という日付があることから、1か月ほどかけて歌詞を制作したとみられます。
また、最終案が記されたページには「成田繁七氏に見て貰う」というメモもあります。成田繁七(なりた・しげしち 1909-1993)は当時橋本小学校の校長を務めていた人物で、加藤が小学校教員を務めていた頃の同僚です。最終案と完成した校歌を比べると、一部表現が変更されているため、加藤が成田のアドバイスを受けて修正したのかもしれません。
野沢小学校の校歌は昭和42年8月25日に制定され、同年9月30日の創立90周年記念式典で披露されました。式典について松井校長は「子供等の口から、ほこらしげに唱う校歌を聞いて涙が出てしまいました。あの感激はまだ生き生きと心に残っております」と語っています(『野沢小学校創立百周年記念誌』1977年)。
さて、野沢小学校の旧校舎は現在、小牧野遺跡保護センター「縄文の学び舎・小牧野館」として利用されています。館内には野沢小学校が木造校舎だった昭和30年代の教室を再現したコーナーもありますので、ぜひ訪ねてみてください。
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