常見陽平メルマガ『陽平界通信』 第322号 プロを感じる瞬間/1995年から30年 あの時代の音楽
2025/01/22 (Wed) 10:41
◆◆◆◆◆━━━━━━━━━━━━━━━
◆◆◆◆ 常見陽平メルマガ
◆◆◆ 『陽平界通信』第322号
◆◆ 2025.1.23配信
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今週のアウトライン
━━━━━━━━━━━━━◆◆◆
1.巻頭言
プロを感じる瞬間
2.記事傑作選
◇パーカーおじさんに、俺はなる!
3.僕の音楽
1995年の音楽 私は何を聴いていたのか?
◆◆━━━━━━━
1.巻頭言
━━━━━━━◆◆
【プロを感じる瞬間】
ここ数ヶ月、ずっと気になっていた
車検が無事終了しました。
7年落ち(私が購入してから5年)、
もうすぐ10万キロなのですよ。
通勤、妻の実家との往復などで
かなり乗っており。
そりゃ、それなりの金額、覚悟しますよ。
4、50万円かかるかなと思っていたら、
諸費用込みで20万円くらいですみました。
ほっと一息です。
今回は、昨年、車をこすったときに
お世話になった近所の工場にお願いし。
プロを感じる丁寧な説明、対応でした。
車の状態、様々な部品について
交換するべきかどうかなど、
いちいち納得感があり。
とても状態がよい、きれいな車だと
褒めてもらいました。
お陰様で、周りの人から
プロを感じる瞬間が多い日々を送っていまして。
仕事で会う人も、生活上で接点がある人も、
プロを感じる人が多く。
いつも、想像を上回る提案を頂いたり、
期待以上の質のものをご提供頂いたり、
気遣いがナイスだったり。
食材を買っているときも、
料理を食べるときも、
髪のカラーやカットも、
服を選んでいるときも、
企画の打ち合わせをしているときも、
音楽を聴いているときも、
プロを感じることが多くてナイスです。
私も周りにプロだと感じさせているかどうか、
自問自答しつつ。
まあ、難しいことをわかりやすく説明すること、
その場を盛り上げること、
期待以上のアウトプットをすることには
こだわっています。
イベントにしろ
講演・講義にしろ
原稿にしろ
メディア出演にしろ、
私が出るだけで
常見陽平の世界、空気を
作っているのでは
ないかなとは思います。
ただ、自分の理想とするプロ像には、
まったくたどり着けていません。
「プロは上手いのは当たり前で、
すごくなければいけない」という言葉を、
尊敬するミュージシャン、
柴田直人さんから頂いたのですが。
「上手い」も「すごい」もまだたどり着けていません。
そういえば先日、ベーシストKenKen主催の
新年会という名のライブイベントに行ったのですが。
紅白で藤井風さんのバックを務め、
稲葉浩志さんのバックなどでも知られる
DURANさんと握手したり、
RIZEでサポートをしているRioさんと挨拶したり。
他にも名うてのミュージシャンが多数で。
なんせ、KenKenは相変わらず
上手い、すごい、やばい、と。
さて、自分はここまでのオーラ、
存在感を出せているかと自問自答しました。
先日のBSフジプライムニュース出演、
お陰様で大反響でして。
「就職氷河期世代」の専門家として、
当事者として、役割は果たしたつもりですが。
ただ、自分が理想とするプロ像には
まだたどり着けていないことも確定したわけです。
すみません。
頑張ります。
あなたは、どんなときにプロを感じていますか。
相手にプロであることを伝えていますか。
まあ、その圧もよくないのですけれども。
さて。
『50代上等!理不尽なことは
「週刊少年ジャンプ」から学んだ』
(常見陽平 平凡社新書)
https://d.bmb.jp/9/1454/5315/XXXX
関連のメディア露出、
イベントラッシュでございます。
昨日はバウハウス六本木にて
出版記念イベントを開催しました。
40名をこえる皆様にご参加頂きました。
ありがとうございました。
河崎環さん、加藤弘士さん、塚越健司さんと
ナイスなトークバトルができたかな、と。
「ぼくのかんがえるさいきょうのロック」
という選曲によるバンド演奏もナイスでした。
これから著者インタビューの
掲載ラッシュの予定です。
2月15日(土)には、
沖縄県那覇市のジュンク堂で
出版記念イベントです!
そして!
2月22日(土)には、
江別の蔦屋書店でトークショーです!
よろしくお願いします!
ぜひ、書籍を手にとってください。
レビューもぜひ!
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朝日新聞デジタルでコメントをしております。
https://d.bmb.jp/9/1454/5316/XXXX
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2.記事傑作選
━━━━━━━━━◆◆
パーカーおじさんに、俺はなる!
ついカーっとなって、
定価で30万円分、買い漁りました。
https://d.bmb.jp/9/1454/5318/XXXX
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3.僕の音楽
━━━━━━━━━━◆◆
【1995年の音楽 私は何を聴いていたのか?】
2025年が始まり、もうすぐ1ヶ月だ。
昭和100年であり、戦後80年でもある。
1995年から30年だ。
いや、実はアラフィフの私にとっては、
これが大きい。
なんせ、阪神・淡路大震災が1月に、
地下鉄サリン事件が3月に起きた年である。
円高も進んだ。東京・大阪の知事が
コメディアンになった年でもある。
何かの終わりのような、
始まりのような年でもあった。
経営、人事関係者からすると日経連が
「新時代の日本的経営」を発表したのも
この年であり。
そういえば、この年の元日、
日本政府は初めてインターネットで
首相の新年の挨拶を掲載した。
そのときの首相は、社会党の村山富市だった。
一方で、
絶望に満ちていたかというとそうでもなく。
Windows95に、エアマックス95に、
小室ファミリーに、プロレスの対抗戦にと、
様々な社会現象、ブームもあり。
社会の変化、うねりを感じていた。
前年にNIRVANAのカート・コバーンが
猟銃自殺をするのだが。
まだ音楽においてもファッションにおいても、
グランジブームの残り香はあり。
私も、ネルシャツにTシャツに
ポケット付き短パンで、
編み上げブーツを履いていた。
このあたりは、
同年代のライター速水健朗氏の
『1995年』に詳しくまとまっている。
彼の本の中でも傑作だと思うので、
ぜひ読んで頂きたい。
『1995年』(速水健朗 筑摩書房)
https://d.bmb.jp/9/1454/5319/XXXX
1995年は、私にとっても大きな年で。
転学部をし、竹内弘高ゼミナールに入り、
死ぬほど勉強した。
プロレス研究会の会長となり、
秋には一橋世界ヘビー級と
伊藤邦雄認定商学部世界ヘビー級の
2つのベルトを巻いた。
初めてアメリカに行ったのもこの年だ。
前年の秋に立川の繁華街に引っ越し。
欲望に塗れた刺激の多い街で、
日当たりゼロのアパートに住み。
場外馬券場に向かう大人たちと、
キャバクラや風俗の客引きを避けて
駅と家を往復する日々を送り。
社会と自分の変化に戸惑いつつも、
前に進んでいた。
今回は1995年の音楽について書こう。
最近、朝日新聞デジタルの
この特集が話題となった。
1995年からの現在知
https://d.bmb.jp/9/1454/5320/XXXX
なかでも話題となったのは、
小室哲哉氏のインタビューだ。
小室自身が関わった楽曲が
いちいちヒットした年である。
まさに1995年は小室哲哉の年だった。
その絶頂と葛藤について振り返っている。
プレゼント機能により
明日の10時半くらいまで
無料で読めるようにしたのでぜひ。
小室哲哉の午前5時46分
「本当の応援歌に」
起こしたムーヴメント
:朝日新聞デジタル
https://d.bmb.jp/9/1454/5321/XXXX
フェラーリで涙した絶頂の朝から
小室哲哉のマイレボリューション
:朝日新聞デジタル
https://d.bmb.jp/9/1454/5322/XXXX
ただ、1995年が
震災とサリン「だけ」でなかったように、
音楽シーンも
小室「だけ」の年ではなかった。
1995年に私は、何を聴いていたのだろう。
振り返ってみた。
なんせ、円高の年である。
ゆえに、輸入盤が
どんどん安くなっていったのを覚えている。
一時期は、洋楽の輸入盤の新譜が1500円くらいになり。
当時、レンタルCD解禁は
新譜の発売からしばらく経ってから
というルールがあり。
テープからMDに移行する時期だったが。
「もう、買ってしまえ」ということで、
CDを気軽に買うようになったのが、
この頃だった。
何を聴いていたのか思い出してみると、
当時はレッド・ホット・チリ・ペッパーズに
元ジェーンズ・アディクションの
デイブ・ナヴァロが加入した頃で。
ちょうどアメリカを旅行中に
サンフランシスコで
購入したのを覚えている。
レニー・クラヴィッツも新譜を出した頃だった。
1曲目が”R&R is Dead”なのだが
R&R以外のなにものでもないサウンドだった。
スウェーデンのロックバンドが売れ。
ゼミ合宿では、ずっとクランベリーズが
流れていたのを思い出した。
スマッシング・パンプキンズなども売れており。
いわゆるオルタナティブの時代だった。
まあ、1995年にリリースされた
アルバム以外も聴くわけで。
ハードロック、ヘヴィメタルは
下火になったと言われつつ、
エアロスミス、ヴァン・ヘイレン、
モトリー・クルーなどの
当時出たアルバムを聴いたり。
そういえば、大御所バンドで
シンガーの交代が相次いだ時期でもあった。
メタルといえば、国内では
元LOUDNESS、元アースシェイカー
のメンバーが集結したSLYがデビューし。
ライブを観に行った。
LOUDNESSにも元ANTHEM、EZOの
メンバーが集結していた。
夢のような時代とも、
必死に生き残ろうとしていた時代とも
言える。
渋谷系の時代でもあったが、
そんなに熱くもなく。
小沢健二の『LIFE』はヘビロテしていたが。
一橋大学に通う学生にとって、
渋谷のタワーレコードもHMVも遠く。
いつも、国立駅の隣に当時あった、
ディスクユニオンで
輸入盤と中古CDを買い漁っていた。
当時の私は、このディスクユニオンに
併設されたオーディオユニオンや、
国分寺の質屋で1台2~3万円くらいの
単品オーディオのユニットを買い漁っており。
国分寺の丸井で展示品処分になっていた、
BOSEの101という名機(と言いつつ、
全部BOSEの音になってしまうのだけど)と
組み合わせて、
1K6畳のアパートで音楽を楽しんでいた。
言うまでもなく、
この部屋では持て余すスペックで。
隣の部屋から苦情がきたこともあった。
すまないす。
そういえば、東京で一人暮らしした
最初の小平のアパートでは、
隣の部屋のカップルのあの声が大きく。
「昨日とは違う相手だ!」と壁に向かって叫んだら、
急に大人しくなったのを覚えている。
ついカーっとなってやったのだ。
後悔はしていない。
いま思うと、そもそも苦情がくるようなこと
するなよという話だが。
隣のあらゆるうるさい音に対する
クレームの入れ方もまた多様であると認識した。
ケーブルテレビを契約していた時期があり。
MTVでまさにグランジなどを
楽しんでいた頃だった。
昨日のイベントでもお伝えしたが、
高校時代にメンノンでみたマーク・パンサーが
VJをしており。
その後、globeに入り。
マーク・パンサーすごろくを体感した。
「尊敬する人物」という
面接ではしちゃいけない質問があるのだが。
実際には未だに聞いている会社もあるのだが。
「馳浩とマーク・パンサー」
と答えていた。
そうだ、さらには「フォレスト・ガンプ」
と答えていたのだった。
何でも、何でも、何でもやりたいし、
なりたい。前に進みつつ変化する。
それが私なのだ。
先日も「就職氷河期世代」関連で
テレビに出たのだが。
番組で言いたかったけど、言えなかったことがあり。
それは、政治も経済も混乱していたが、
一方で、カルチャーは
いつも刺激的で楽しかったということだ。
新たなうねりに夢中だった。
というわけで、
就職氷河期世代をつくりだしてしまい、
それに対して自己責任を押し付けた社会と
会社には怒らないといけないと思うが。
「当時のかわいそうな若者」とくくられると、
それもまた違うと思うのだ。
1995年の音楽を語ると止まらないので、
音楽をかけられるお店を貸し切りにして
トークイベントをやりたいな。
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皆さんからの人生相談メールを
お待ちしております。
件名に『人生相談』とご記入の上、
ペンネーム(実名も可)、
年齢(可能であれば)、
性別、相談内容をお送りください。
yoheitsunemi@gmail.comまで!
よろしくお願いします!
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発行人:常見陽平
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プロを感じる瞬間
2.記事傑作選
◇パーカーおじさんに、俺はなる!
3.僕の音楽
1995年の音楽 私は何を聴いていたのか?
◆◆━━━━━━━
1.巻頭言
━━━━━━━◆◆
【プロを感じる瞬間】
ここ数ヶ月、ずっと気になっていた
車検が無事終了しました。
7年落ち(私が購入してから5年)、
もうすぐ10万キロなのですよ。
通勤、妻の実家との往復などで
かなり乗っており。
そりゃ、それなりの金額、覚悟しますよ。
4、50万円かかるかなと思っていたら、
諸費用込みで20万円くらいですみました。
ほっと一息です。
今回は、昨年、車をこすったときに
お世話になった近所の工場にお願いし。
プロを感じる丁寧な説明、対応でした。
車の状態、様々な部品について
交換するべきかどうかなど、
いちいち納得感があり。
とても状態がよい、きれいな車だと
褒めてもらいました。
お陰様で、周りの人から
プロを感じる瞬間が多い日々を送っていまして。
仕事で会う人も、生活上で接点がある人も、
プロを感じる人が多く。
いつも、想像を上回る提案を頂いたり、
期待以上の質のものをご提供頂いたり、
気遣いがナイスだったり。
食材を買っているときも、
料理を食べるときも、
髪のカラーやカットも、
服を選んでいるときも、
企画の打ち合わせをしているときも、
音楽を聴いているときも、
プロを感じることが多くてナイスです。
私も周りにプロだと感じさせているかどうか、
自問自答しつつ。
まあ、難しいことをわかりやすく説明すること、
その場を盛り上げること、
期待以上のアウトプットをすることには
こだわっています。
イベントにしろ
講演・講義にしろ
原稿にしろ
メディア出演にしろ、
私が出るだけで
常見陽平の世界、空気を
作っているのでは
ないかなとは思います。
ただ、自分の理想とするプロ像には、
まったくたどり着けていません。
「プロは上手いのは当たり前で、
すごくなければいけない」という言葉を、
尊敬するミュージシャン、
柴田直人さんから頂いたのですが。
「上手い」も「すごい」もまだたどり着けていません。
そういえば先日、ベーシストKenKen主催の
新年会という名のライブイベントに行ったのですが。
紅白で藤井風さんのバックを務め、
稲葉浩志さんのバックなどでも知られる
DURANさんと握手したり、
RIZEでサポートをしているRioさんと挨拶したり。
他にも名うてのミュージシャンが多数で。
なんせ、KenKenは相変わらず
上手い、すごい、やばい、と。
さて、自分はここまでのオーラ、
存在感を出せているかと自問自答しました。
先日のBSフジプライムニュース出演、
お陰様で大反響でして。
「就職氷河期世代」の専門家として、
当事者として、役割は果たしたつもりですが。
ただ、自分が理想とするプロ像には
まだたどり着けていないことも確定したわけです。
すみません。
頑張ります。
あなたは、どんなときにプロを感じていますか。
相手にプロであることを伝えていますか。
まあ、その圧もよくないのですけれども。
さて。
『50代上等!理不尽なことは
「週刊少年ジャンプ」から学んだ』
(常見陽平 平凡社新書)
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関連のメディア露出、
イベントラッシュでございます。
昨日はバウハウス六本木にて
出版記念イベントを開催しました。
40名をこえる皆様にご参加頂きました。
ありがとうございました。
河崎環さん、加藤弘士さん、塚越健司さんと
ナイスなトークバトルができたかな、と。
「ぼくのかんがえるさいきょうのロック」
という選曲によるバンド演奏もナイスでした。
これから著者インタビューの
掲載ラッシュの予定です。
2月15日(土)には、
沖縄県那覇市のジュンク堂で
出版記念イベントです!
そして!
2月22日(土)には、
江別の蔦屋書店でトークショーです!
よろしくお願いします!
ぜひ、書籍を手にとってください。
レビューもぜひ!
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ついカーっとなって、
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3.僕の音楽
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【1995年の音楽 私は何を聴いていたのか?】
2025年が始まり、もうすぐ1ヶ月だ。
昭和100年であり、戦後80年でもある。
1995年から30年だ。
いや、実はアラフィフの私にとっては、
これが大きい。
なんせ、阪神・淡路大震災が1月に、
地下鉄サリン事件が3月に起きた年である。
円高も進んだ。東京・大阪の知事が
コメディアンになった年でもある。
何かの終わりのような、
始まりのような年でもあった。
経営、人事関係者からすると日経連が
「新時代の日本的経営」を発表したのも
この年であり。
そういえば、この年の元日、
日本政府は初めてインターネットで
首相の新年の挨拶を掲載した。
そのときの首相は、社会党の村山富市だった。
一方で、
絶望に満ちていたかというとそうでもなく。
Windows95に、エアマックス95に、
小室ファミリーに、プロレスの対抗戦にと、
様々な社会現象、ブームもあり。
社会の変化、うねりを感じていた。
前年にNIRVANAのカート・コバーンが
猟銃自殺をするのだが。
まだ音楽においてもファッションにおいても、
グランジブームの残り香はあり。
私も、ネルシャツにTシャツに
ポケット付き短パンで、
編み上げブーツを履いていた。
このあたりは、
同年代のライター速水健朗氏の
『1995年』に詳しくまとまっている。
彼の本の中でも傑作だと思うので、
ぜひ読んで頂きたい。
『1995年』(速水健朗 筑摩書房)
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1995年は、私にとっても大きな年で。
転学部をし、竹内弘高ゼミナールに入り、
死ぬほど勉強した。
プロレス研究会の会長となり、
秋には一橋世界ヘビー級と
伊藤邦雄認定商学部世界ヘビー級の
2つのベルトを巻いた。
初めてアメリカに行ったのもこの年だ。
前年の秋に立川の繁華街に引っ越し。
欲望に塗れた刺激の多い街で、
日当たりゼロのアパートに住み。
場外馬券場に向かう大人たちと、
キャバクラや風俗の客引きを避けて
駅と家を往復する日々を送り。
社会と自分の変化に戸惑いつつも、
前に進んでいた。
今回は1995年の音楽について書こう。
最近、朝日新聞デジタルの
この特集が話題となった。
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小室哲哉氏のインタビューだ。
小室自身が関わった楽曲が
いちいちヒットした年である。
まさに1995年は小室哲哉の年だった。
その絶頂と葛藤について振り返っている。
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小室哲哉の午前5時46分
「本当の応援歌に」
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小室哲哉のマイレボリューション
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ただ、1995年が
震災とサリン「だけ」でなかったように、
音楽シーンも
小室「だけ」の年ではなかった。
1995年に私は、何を聴いていたのだろう。
振り返ってみた。
なんせ、円高の年である。
ゆえに、輸入盤が
どんどん安くなっていったのを覚えている。
一時期は、洋楽の輸入盤の新譜が1500円くらいになり。
当時、レンタルCD解禁は
新譜の発売からしばらく経ってから
というルールがあり。
テープからMDに移行する時期だったが。
「もう、買ってしまえ」ということで、
CDを気軽に買うようになったのが、
この頃だった。
何を聴いていたのか思い出してみると、
当時はレッド・ホット・チリ・ペッパーズに
元ジェーンズ・アディクションの
デイブ・ナヴァロが加入した頃で。
ちょうどアメリカを旅行中に
サンフランシスコで
購入したのを覚えている。
レニー・クラヴィッツも新譜を出した頃だった。
1曲目が”R&R is Dead”なのだが
R&R以外のなにものでもないサウンドだった。
スウェーデンのロックバンドが売れ。
ゼミ合宿では、ずっとクランベリーズが
流れていたのを思い出した。
スマッシング・パンプキンズなども売れており。
いわゆるオルタナティブの時代だった。
まあ、1995年にリリースされた
アルバム以外も聴くわけで。
ハードロック、ヘヴィメタルは
下火になったと言われつつ、
エアロスミス、ヴァン・ヘイレン、
モトリー・クルーなどの
当時出たアルバムを聴いたり。
そういえば、大御所バンドで
シンガーの交代が相次いだ時期でもあった。
メタルといえば、国内では
元LOUDNESS、元アースシェイカー
のメンバーが集結したSLYがデビューし。
ライブを観に行った。
LOUDNESSにも元ANTHEM、EZOの
メンバーが集結していた。
夢のような時代とも、
必死に生き残ろうとしていた時代とも
言える。
渋谷系の時代でもあったが、
そんなに熱くもなく。
小沢健二の『LIFE』はヘビロテしていたが。
一橋大学に通う学生にとって、
渋谷のタワーレコードもHMVも遠く。
いつも、国立駅の隣に当時あった、
ディスクユニオンで
輸入盤と中古CDを買い漁っていた。
当時の私は、このディスクユニオンに
併設されたオーディオユニオンや、
国分寺の質屋で1台2~3万円くらいの
単品オーディオのユニットを買い漁っており。
国分寺の丸井で展示品処分になっていた、
BOSEの101という名機(と言いつつ、
全部BOSEの音になってしまうのだけど)と
組み合わせて、
1K6畳のアパートで音楽を楽しんでいた。
言うまでもなく、
この部屋では持て余すスペックで。
隣の部屋から苦情がきたこともあった。
すまないす。
そういえば、東京で一人暮らしした
最初の小平のアパートでは、
隣の部屋のカップルのあの声が大きく。
「昨日とは違う相手だ!」と壁に向かって叫んだら、
急に大人しくなったのを覚えている。
ついカーっとなってやったのだ。
後悔はしていない。
いま思うと、そもそも苦情がくるようなこと
するなよという話だが。
隣のあらゆるうるさい音に対する
クレームの入れ方もまた多様であると認識した。
ケーブルテレビを契約していた時期があり。
MTVでまさにグランジなどを
楽しんでいた頃だった。
昨日のイベントでもお伝えしたが、
高校時代にメンノンでみたマーク・パンサーが
VJをしており。
その後、globeに入り。
マーク・パンサーすごろくを体感した。
「尊敬する人物」という
面接ではしちゃいけない質問があるのだが。
実際には未だに聞いている会社もあるのだが。
「馳浩とマーク・パンサー」
と答えていた。
そうだ、さらには「フォレスト・ガンプ」
と答えていたのだった。
何でも、何でも、何でもやりたいし、
なりたい。前に進みつつ変化する。
それが私なのだ。
先日も「就職氷河期世代」関連で
テレビに出たのだが。
番組で言いたかったけど、言えなかったことがあり。
それは、政治も経済も混乱していたが、
一方で、カルチャーは
いつも刺激的で楽しかったということだ。
新たなうねりに夢中だった。
というわけで、
就職氷河期世代をつくりだしてしまい、
それに対して自己責任を押し付けた社会と
会社には怒らないといけないと思うが。
「当時のかわいそうな若者」とくくられると、
それもまた違うと思うのだ。
1995年の音楽を語ると止まらないので、
音楽をかけられるお店を貸し切りにして
トークイベントをやりたいな。
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