常見陽平メルマガ『陽平界通信』第406号 正解があふれる時代に、自分で考える/ハラハラする感覚と表現の自由/AIにどこまで頼るか
2026/09/09 (Wed) 08:57
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◆◆◆◆ 常見陽平メルマガ
◆◆◆ 『陽平界通信』第406号
◆◆ 2026.9.9 配信
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今週のアウトライン
━━━━━━━━━━━━━◆◆◆
1.巻頭言
AI時代、大学で何をするのか
2.記事傑作選
◇純粋本田由紀批判
なぜ「遺伝」を持ち出してしまったのか?
◇続・純粋本田由紀批判
それでも本田由紀を
キャンセルしてはいけない
◇MARCH卒、日東駒専卒では不利になる…
「学歴が足をひっぱる人生の勝負どころ」
◇ポッドキャストエピソード
『僕たちはガンダムのジムである』
常見陽平|日経ビジネス人文庫
3.常にミテイル これがキニナル
そういえばいつの間になくなったシーン
4.人生相談バカ一代
AIを使うとバカになるのではないか?
◆◆━━━━━━━
1.巻頭言
━━━━━━━◆◆
【AI時代、大学で何をするのか】
最初にお知らせです。
いよいよ今週末はイベントです。
9月12日(土)
『WiLL』を読んだらリベラル失格ですか?
「保守vsリベラル」を越えて――
白坂リサ×梶原麻衣子×常見陽平
https://d.bmb.jp/9/1454/10922/XXXX
残念ながら?まだチケットはあるようです。
配信でも参加できます。
慶大生の白坂リサさんが
保守系雑誌『WiLL』を読み、
「面白い」と発信したところ、
「そっちに行ったのか」「リベラル失格」
といった反応が起きました。
しかし、違う立場の人が書いたものを読むだけで、
なぜ「裏切り」になるのでしょうね。
保守vsリベラルという話だけでなく、
SNS時代の分断、政治的コミュニティ、
現代人の孤独まで話せればと思っています。
最近、話題になっている
東大の本田由紀先生のSNS投稿をめぐる論争にも、
触れざるを得ないでしょう。
さて、本題です。
9月7日(月)の日経朝刊に、私が大学時代、
ゼミでお世話になった竹内弘高先生の
インタビューが掲載されていました。
一橋大学名誉教授で、
ハーバード・ビジネス・スクールでも長く教え、
現在は国際基督教大学(ICU)の理事長です。
「日本型人材育成は忖度生む
ICU理事長『正解ありきの教育は時代遅れ』」
https://d.bmb.jp/9/1454/10923/XXXX
竹内先生と出会って、今年で32年になります。
初めてシラバスをみたとき、
講義を受けたときの衝撃はいまでも覚えています。
圧倒的にかっこよく、そして、面白い講義でした。
1回目にプロフィールを提出するのですが、
次回までに完璧に顔と名前、
プロフィールを覚えてくるのです。
そして、当時では珍しい、
完全に双方向型の講義でした。
竹内先生との思い出は
日経の「交遊抄」
GNN 常見陽平 - 日本経済新聞
https://d.bmb.jp/9/1454/10924/XXXX
そして「人間発見」でもふれましたのでぜひ。
千葉商科大学教授・常見陽平さん(2)リクルートの内定式欠席 - 日本経済新聞
https://d.bmb.jp/9/1454/10925/XXXX
今回の記事は、そんな竹内先生から32年間、折々に
教わってきたことの集大成のように感じました。
相変わらず攻めています。
「よい塾に通い、よい大学に進み、
日本の大企業に入るというベルトコンベヤー
のようなシステムが完全に時代遅れになっている。
今やプレイングフィールド(競技場)は世界なのに、
世界で戦えない子どもを育てている」
日本の教育に警鐘を乱打しています。
いくつも、気になる話があり。
ハーバード・ビジネス・スクールでは
卒業生の多くがスタートアップを目指すという話。
エレベーターピッチといって、
目的階に着くまでの15秒間に
投資家をがむしゃらに説得しようとするのです。
日本の学生や、ビジネスパーソンに
「15秒で自分の考えを話してください」と
言ったら、どうなるでしょう。
しかも、考えを話すだけでなく、
説得しなくてはならず。
そして、何かを与えられるものと捉えるのか、
勝ち取るものと捉えるのか。
もう一つ、特に刺さったのが、
AI時代の大学教育についての話でした。
ノウイングからドゥーイングへの転換を
提唱されていました。
数値やアルゴリズムといった形式知はAIに任せ、
経験、洞察力、感情、思い、信念などの
暗黙知が大事だと提言しています。
生成AIが登場して、
「正解らしきもの」を出すこと自体は、
簡単になりました。
学生のレポートだって、テーマを入力すれば、
それらしい文章は数秒で出てきます。
だからこそ、
「正解を知っている人」を育てる教育は、
ますます苦しくなるのでしょう。
では、大学で何をするのか。
人に会う。本を読む。旅に出る。議論する。
失敗する。何かをつくる。
自分で考えて、自分で決める。
そんなことなのかなと思います。
まさに、古き良き大学の体験が
今、必要なのではないかと。
もっとも、大学の単位取得が簡単で、
学生に時間もお金もあった時代とは異なるので。
そのような機会をいかにつくるのか、
守るのかが問われると思います。
竹内先生は全寮制も構想しているとのこと。
なるほど、と。ここまでの話が見事につながります。
私自身、コロナ禍が明ける頃から、意識的に
「心と身体が動く体験」を増やしてきました。
学生にも、
教室の中だけで完結するなと言っています。
自分がここ数年やってきたことは、
そんなに間違っていなかったのかな、と。
この記事を読んで、少し勇気をもらいました。
ちょうどいま、2027年度から新しい体制で始まる
常見ゼミの募集要項を書いています。
変わり続ける社会で、大学で何を学ぶのか。
どんな若者を育てたいのか。
というより、若者と一緒に、何をやらかすのか。
もう一度、考えてみようと思います。
そうそう。
10月24日夕方、
来年1月24日夜、
4月4日夕方の予定を、
いまから空けておいてください。
10月はライブ、
1月はちょっと特別なライブ、
そして4月4日は、
著者デビュー20周年の誕生会です。
AIにはなかなかできないことを模索し続けます。
はい。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
最新作『日本の就活』(岩波新書)
https://d.bmb.jp/9/1454/10926/XXXX
をよろしくお願いします。
一昨年、リリースした
『50代上等!理不尽なことは
「週刊少年ジャンプ」から学んだ』
(平凡社新書)
https://d.bmb.jp/9/1454/10927/XXXX
もよろしくお願いします。
読者の人生が変わる
キッカケになっているようです。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
朝日新聞デジタルでコメントをしております。
https://d.bmb.jp/9/1454/10928/XXXX
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
ヤフージャパンでコメントをしております。
https://d.bmb.jp/9/1454/10929/XXXX
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
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2.記事傑作選
━━━━━━━━━◆◆
純粋本田由紀批判
なぜ「遺伝」を持ち出してしまったのか?
https://d.bmb.jp/9/1454/10930/XXXX
続・純粋本田由紀批判
それでも本田由紀をキャンセルしてはいけない
https://d.bmb.jp/9/1454/10931/XXXX
MARCH卒、日東駒専卒では不利になる…
就職でも昇進でもない
「学歴が足をひっぱる人生の勝負どころ」
【学歴フィルター3選】
https://d.bmb.jp/9/1454/10932/XXXX
ポッドキャストエピソード
#03_『僕たちはガンダムのジムである』
|常見陽平|日経ビジネス人文庫|
https://d.bmb.jp/9/1454/10933/XXXX
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3.常にミテイル これがキニナル
━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◆
【そういえば、いつの間になくなったシーン】
先日のNHKの特集ドラマ
「手塚治虫の戦争」に触発されて、
祥伝社から出ている手塚治虫の戦争漫画を
まとめた新書を3冊購入した。
『手塚治虫傑作選 「戦争と日本人」』(祥伝社新書)
https://d.bmb.jp/9/1454/10934/XXXX
『手塚治虫「戦争漫画」傑作選』 (祥伝社新書)
https://d.bmb.jp/9/1454/10935/XXXX
『手塚治虫「戦争漫画」傑作選Ⅱ』 (祥伝社新書)
https://d.bmb.jp/9/1454/10936/XXXX
である。
まだすべては読めていないが、
戦争に対する彼の問題意識が、
ひしひしと伝わってくる作品群だった。
同時に、読んでいてハラハラもした。
古い作品なので、
当然ながら表現も当時のままである。
私が読んだ中では、
とりわけ女性の容姿について、
かなり露骨に描いている部分が気になった。
要するに、きれいな人をチヤホヤし、
美しいとは言えない人を露骨に嫌がるという
シーンがあった。
ストレートに言うと、
「美人」と「ブス」ということだ。
この言葉も、実に久々に使った。
まあ、藤子・F・不二雄の『ドラえもん』だって、
しずかちゃんとジャイ子がいまだに登場し。
やや、露骨に比較するシーンもあり。
なかなか考えさせられる。
こうした描写に私自身が引っかかるということは、
40年、50年の間に社会だけでなく、
自分の感覚も変わったということなのだろう。
古い漫画や映画では、こうした問題について
注記が添えられていることがある。
今回購入した本にも、
手塚プロダクションと祥伝社から、
次のような文章が掲載されていた。
長い引用だが、紹介したい。
読者のみなさまへ
手塚治虫氏の作品の中には、
さまざまな国、時代の人物が登場しますが、
その一部について、
人種差別や偏見につながる表現だとの
指摘がなされることがあります。
これら作品が発表された当時、作者にはもちろん、
読者にも差別意識はなかったのですが、
今日、こうした描写を
差別や偏見と感じる人がいる以上、
その声には真剣に耳を傾けねばなりません。
私たちは著作者の原作を尊重し、
作品の底に流れるヒューマニズムを
正しく伝えるべくそのまま紹介いたしますが、
読者のみなさまには、
ともすれば私たちが見落としがちな
人種差別や偏見について、
いっそうのご理解を深めていただければ幸いです。
手塚プロダクション/祥伝社
ここで少し引っかかった。
「これら作品が発表された当時、
作者にはもちろん、読者にも
差別意識はなかった」という部分である。
本当だろうか。
当時、その表現によって
傷ついた人はいなかったのか。
「差別するつもりはなかった」ことと、
誰も傷つかなかったことは同じではない。
いまなら、
そこはもう少し慎重に書くのではないかと思った。
一方で、
作品を削除したり、書き換えたりするのではなく、
原作をそのまま残し、そのうえで
読者に考えることを求める姿勢には誠意を感じた。
手塚のヒューマニズムはひしひしと感じた。
過去を現在の基準だけで
裁けばいいとも思わないし、
「昔はそういう時代だった」の
一言で済ませていいとも思わない。
残すからこそ、何が変わったのか、
何が問題だったのかを考えることもできる。
SNSの時代、日常的に
正義の裁判のようなことが
行われているが、
物事の様々な立場、見方、
グラデーションを捉えなくてはならない。
ふと、40年くらい前、
小学生だった頃を思い出してみた。
思えば、いまなら地上波でそのまま流すのは
厳しそうなシーンが、
日常的にテレビに登場していた。
ドリフの番組は身体を張ったネタだらけだったし、
ゴールデンタイムには、
いわゆる「お色気シーン」も普通にあった。
唐突に女性の裸体が映ったり。
「ポロリ」というやつだ。
家族でテレビを見ていて、
親や祖父母が何も言わずチャンネルを変える。
あの微妙な空気も含めて昭和である。
ドラマやアニメでは
スカートめくりが笑いとして描かれ、
容姿をからかうことも珍しくなかった。
『ドラえもん』ですらそうだ。
ゴールデンタイムの熾烈な視聴率競争を繰り広げた
『オレたちひょうきん族』も、
いま振り返るとなかなかすごい。
身体を張った笑いもそうだが、
セリフや番組中で流れる曲の歌詞も
かなりきわどかった。
「タケちゃんマンの歌」には
吉原、堀の内、中洲、すすきのと、
歓楽街の名前がそのまま出てくる。
最後がニューヨークなのだが、
入浴とかけているのは
言うまでもない。
小学校低学年だった私は
何を言っているのだろう
と思ったのだが。
この点で、
私は『鬼滅の刃 遊郭編』で
小1、小2の頃に遊郭に目覚め、
浅草で人力車に乗る際に
「吉原遊郭に行きたい」と
言い出し、ツアーに出かけた娘に
完全に負けている。
そういえば当時、現在のソープランドは
『トルコ風呂』と呼ばれていた。
番組の中でも普通に『トルコ』と言っていた。
ちなみに、この「タケちゃんマンの歌」を
作曲したのは、実はEPOである。
「あみだババアの唄」を
作詞・作曲したのは桑田佳祐だ。
さらに余談を続けると、
「トルコ風呂」という名称は、
日本で暮らすトルコ人から
「国の名前を
性的サービスと結びつけないでほしい」と
声が上がったことをきっかけに見直され、
公募を経て「ソープランド」に変わった。
その訴えを受け止め、名称変更に動いた一人が、
のちに政治家となる小池百合子氏だったという。
当時、使われていた言葉や表現が、
いま見ると引っかかる。
逆に言えば、言葉が変わった背景には、それを
問題だと声にした人がいたということでもある。
そして、その声が届くまでには時間がかかった。
私が好きなプロレスもなかなかである。
ゴールデンタイムで流血試合が放送され、
レスラーの額から血がドロドロと流れていた。
そもそもプロレスは
暴力を表現として扱うジャンルではあるが、
いま振り返るとずいぶん刺激が強かった。
現在は地上波でプロレスを見る機会自体が減り、
流血試合も一部を除けば少なくなった。
血が流れる試合や団体と、そうではないものが
完全に分かれてしまった。
ここで、なんで血が流れなくなったのか、
何か大人の事情があるのではないか、
と勘ぐってはいけない。
深夜番組はさらにきわどかった。
テレビもラジオも性的な話題をかなり露骨に扱い、
アダルトビデオの新作紹介が
地上波で流れていた時代がある。
関西出張の際にホテルでサンテレビをつけ、
「まだこのノリが残っているのか」と
絶句したこともある。
おじさんの「昔はよかった」話として、
聞いてほしいわけではない。
あくまで当時の記憶の紹介だ。
時代とともに地上波テレビは
だいぶマイルドになった。
コンプライアンスという言葉も
すっかり定着したし、
差別やハラスメント、暴力などについて、
以前なら見過ごされていた問題が
可視化されたことは、大きな前進だと思う。
ただ、刺激の強い表現そのものが
世の中から消えたわけではない。
むしろ配信サービス、動画サイト、
漫画、ゲームなどへ場所を移し、
年齢制限や課金の壁の向こう側では、
昔の地上波よりはるかに過激な表現にも
接することができる。
娘に付き合って『チェンソーマン』や
『鬼滅の刃』を映画館で見たときには、
別の意味で「ここまでやるのか」と絶句した。
「怖かったよ」と伝えたところ
「『ジョジョの奇妙な冒険』を読んでいる
パパには言われたくない」と言われた。
だから、この問題は少し場合分けをした方がいい。
人種や性別などについて
差別や偏見を助長する表現の問題と、
エロ、グロ、バイオレンスなどの表現の問題は
重なる部分はあっても同じ問題ではない。
また、何を表現するかだけでなく、
どこで、誰に、どのような形で
見せるのかも重要である。
地上波のゴールデンタイムと、
自分で選んで料金を払い、場合によっては
年齢確認までして見るコンテンツを、
同じ基準で扱っていいのか。
駅や公共施設の広告のように、
見たくなくても目に入るものと、
自分で本を買ったり配信サービスを選んだりして
見るものにも違いがある。
さらに言えば、「不快だ」「問題だ」と
指摘される表現があったからといって、
すぐに禁止すればいいとも思わない。
具体的な権利侵害や被害が生じているなら、
もちろん救済は必要である。
しかし、表現の世界は、
一度「問題になりそうだからやめておこう」という
空気が広がると、必要以上に縮こまりやすい。
ここで、いつも
小さな声も捉えた
丁寧な議論が必要なのである。
だからこそ、
規制はできるだけ慎重であるべきだと思う。
問題があるなら、
何が問題なのかを具体的に考える。
対象年齢を設けるのか、
場所を変えるのか、
注釈をつけるのか、
それとも本当に削除や禁止が必要なのか。
全部まとめて消すより、
できるだけ細かく考える方がいい。
なぜ、NGなのかも、だ。
多数決で決めるものでもない。
多数決で決めていたら
少数派、弱者の意見はいつまでも
反映されない。
ここで大事なのは、
批判と規制も別物だということだ。
「この広告はおかしい」
「この描写には問題がある」と
声を上げることまで封じてはならない。
SNSでは、「その表現は問題だ」と言えば
「表現の自由を奪うのか」と返され、
「表現の自由も大切だ」と言えば
「差別を擁護するのか」と返されることがある。
簡単な二択ではない。
別の視点で気になるのが、
作品の中で描かれる社会と、
現実の社会との距離である。
この10数年、
CMとジェンダーをめぐる炎上が何度も起きた。
料理や家事を女性だけが担うような描写、
女性の容姿を必要以上に強調する表現などが
批判されてきた。
こうした議論によって広告表現が変わったことには
意味があると思う。
しかし、広告の中から性別役割分業を消せば、
現実の家事分担まで自動的に変わるわけではない。
広告やコンテンツだけが変わり、
現実の社会が変わらないのなら、
それこそフィクション、ファンタジーになってしまう。
私は男女共同参画に関するイベントなどで
自己紹介するとき、
「兼業主夫です」と名乗ることにしている。
買い出しや料理をかなり担当していると話すと、
女性の参加者から「すごい」「羨ましい」という
反応が返ってくることが、いまでも少なくない。
男性の家事・育児について
関心の高い人が集まる場でも、である。
その反応をもって
「何も変わっていない」と言うつもりはない。
むしろ、表現や意識の変化に比べ、
家庭内の役割分担、働き方、
長時間労働、所得など、
現実の制度や生活を変える方が
ずっと時間がかかるのだと思う。
CMなどの表現を見直すことも大事である。
しかし、それだけで
現実の家事分担や働き方まで変わるわけではない。
表現の変化を、
制度や生活の変化につなげていく必要がある。
よく「時代に合わせて
アップデートしなくてはならない」と言う。
しかし本当は、
時代が変わったから突然大事になったのではなく、
昔から大切だったことが
見過ごされていた場合も多い。
傷ついていた人がいなかったのではない。
傷ついていた人の声が聞かれていなかった、
あるいは声を上げにくかっただけかもしれない。
その一方で、表現というものは、
どうしても人をざわつかせる。
笑わせたり、怒らせたり、怖がらせたり、
ときには不快にさせたりする。
それを全部なくしてしまえば、
表現そのものが痩せてしまう。
人を傷つけることや権利侵害を減らしつつ、
表現の幅をどう守るのか。
面倒ではあるが、考え続けるしかない。
今年感動した映画
『ストリート・キングダム』では、
ロックに生き、ときには一線を越えそうな
パフォーマンスをする若者たちを見た。
配信されていたので夫婦で見た。
私は何度も号泣した。
本田由紀先生のSNS投稿をめぐる論争にも
巻き込まれた。
そんなことが続いたせいか、
最近、表現と人権について考えることが増えた。
少し前の漫画を読む。昔のテレビを思い出す。
すると、
「昔はひどかった」「いまは窮屈だ」という
単純な話ではなく、
この40年で何が変わり、
何がまだ変わっていないのかが見えてくる。
古い作品を見ることは、
単に昔を懐かしむことではない。
いま自分が立っている場所を
確かめる作業なのだと思う。
◆◆━━━━━━━━━━━
4.人生相談バカ一代
━━━━━━━━━━━━━◆◆
Q. AIに、どこまで頼っていいのでしょうか?
仕事でもプライベートでも
生成AIを使う機会が増えました。
便利なので、調べ物や文章作成、相談など、
つい何でもAIに聞いてしまいます。
一方で、このまま頼っていると、
自分で考える力が落ちるのではないかとも
不安になります。
AIには、どこまで頼っていいのでしょうか?
A.頼り方を見直しましょう
この問題について危機感を抱いていること自体は、
なかなかナイスです。
私からのアドバイスは、
まず、自分がAIに何を頼んでいるのか、
一度棚卸ししてみることです。
「AIに頼っている」と言っても、
その中身は人によってずいぶん違います。
日々、大学生と接していますが、
レポートにしろ、
就活のエントリーシートにしろ、
「ああ、丸投げしているだけだな」と
感じることがあります。
しかも、丸投げすると、
AIの能力さえ十分に引き出せません。
検索すればすぐ出てくるようなことを聞き、
最初に返ってきた答えをそのまま使うわけで。
これでは「AIを使っている」というより、
Google検索の結果をコピペするより
雑なことをしているだけだったりします。
逆に、AIをちゃんと使おうとすると、
意外に頭を使います。
何を聞くのか。何を前提として渡すのか。
どんな条件をつけるのか。
反対意見も出してもらうのか。
逆質問してもらうのか。
資料を読ませてから考えさせるのか。
出てきた答えのどこを疑うのか。
『日経トレンディ』『DIME』あたりのAI特集を、
図書館でいいので眺めてみてください。
「私、AIを使いすぎかも」と思っていた人が、
逆に「全然使いこなしていなかった」と
気づくこともあるでしょう。
つまり、「AIを使う=頭を使わなくなる」
とは限らないのです。
使い方によっては、むしろこちら側の
問いの立て方や判断力が問われます。
昔、Googleが普及し始めた頃も、
「若者は自分で考えず、
すぐ検索するようになった」
などと言われました。
では、Googleによって
人間はみんなバカになったのか。
電卓を使うようになって、
人間は計算能力をすべて失ったのか。
そう単純な話ではありません。
ただし、便利な道具によって、
使わなくなる能力があるのも確かです。
ここが大事です。
いま起きつつあるのは、AIを使うことで、
一見すると高度なことができているのに、
基礎的なことができなくなる、という現象です。
文章はそれらしく書けるものの、
自分では要約できないとか。
立派な企画書はできるのだけど、
でも、口頭では説明できないとか。
難しい分析結果は出せるものの、
その数字が何を意味しているのかわからない、と。
スポーツで言えば、
試合だけうまくこなしているように見えて、
素振りや筋トレをしていない状態でしょうか。
地味な基礎練習は、AI時代だからこそ、
意識的にやった方がいいのだと思います。
自分で文章を書いたり、本を読んだり。
頭の中だけで考えてみる。
他にもアナログな行為ですね。
遠回りですよ。コスパもタイパも悪いでしょうよ。
でも、遠回りだから身につくことがあります。
そして、もう一つ大切なのが、
AIの外側にある時間です。
本を読む。人と話す。知らない場所へ行く。
ライブを見る。演奏する。映画館で映画を見る。
料理をつくる。美味しいものを食べる。
街を歩く。運動をする。
私はこういう時間を
かなり意識してつくっています。
AIは大量の情報を整理してくれますが、
「自分はなぜこれが好きなのか」
「なぜこれは許せないのか」
「この人と一緒に仕事をしたいか」
といった感覚まで、
代わりに生きてくれるわけではないからです。
最後に「これでいく」と決めるのは自分です。
AIに頼っていいですけど丸投げはしないわけです。
AIを使うな、ではありません。
AIに使われるな、です。
とことん、人間らしく。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
皆さんからの人生相談メールを
お待ちしております。
件名に『人生相談』とご記入の上、
ペンネーム(実名も可)、
年齢(可能であれば)、
性別、相談内容をお送りください。
yoheitsunemi@gmail.comまで!
よろしくお願いします!
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
配信停止等はこちらのURLからお願いします
https://d.bmb.jp/9/1454/10937/XXXX
発行人:常見陽平
お問い合わせ先 E-Mail
yoheitsunemi@gmail.com
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さて、本題です。
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竹内先生と出会って、今年で32年になります。
初めてシラバスをみたとき、
講義を受けたときの衝撃はいまでも覚えています。
圧倒的にかっこよく、そして、面白い講義でした。
1回目にプロフィールを提出するのですが、
次回までに完璧に顔と名前、
プロフィールを覚えてくるのです。
そして、当時では珍しい、
完全に双方向型の講義でした。
竹内先生との思い出は
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そして「人間発見」でもふれましたのでぜひ。
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今回の記事は、そんな竹内先生から32年間、折々に
教わってきたことの集大成のように感じました。
相変わらず攻めています。
「よい塾に通い、よい大学に進み、
日本の大企業に入るというベルトコンベヤー
のようなシステムが完全に時代遅れになっている。
今やプレイングフィールド(競技場)は世界なのに、
世界で戦えない子どもを育てている」
日本の教育に警鐘を乱打しています。
いくつも、気になる話があり。
ハーバード・ビジネス・スクールでは
卒業生の多くがスタートアップを目指すという話。
エレベーターピッチといって、
目的階に着くまでの15秒間に
投資家をがむしゃらに説得しようとするのです。
日本の学生や、ビジネスパーソンに
「15秒で自分の考えを話してください」と
言ったら、どうなるでしょう。
しかも、考えを話すだけでなく、
説得しなくてはならず。
そして、何かを与えられるものと捉えるのか、
勝ち取るものと捉えるのか。
もう一つ、特に刺さったのが、
AI時代の大学教育についての話でした。
ノウイングからドゥーイングへの転換を
提唱されていました。
数値やアルゴリズムといった形式知はAIに任せ、
経験、洞察力、感情、思い、信念などの
暗黙知が大事だと提言しています。
生成AIが登場して、
「正解らしきもの」を出すこと自体は、
簡単になりました。
学生のレポートだって、テーマを入力すれば、
それらしい文章は数秒で出てきます。
だからこそ、
「正解を知っている人」を育てる教育は、
ますます苦しくなるのでしょう。
では、大学で何をするのか。
人に会う。本を読む。旅に出る。議論する。
失敗する。何かをつくる。
自分で考えて、自分で決める。
そんなことなのかなと思います。
まさに、古き良き大学の体験が
今、必要なのではないかと。
もっとも、大学の単位取得が簡単で、
学生に時間もお金もあった時代とは異なるので。
そのような機会をいかにつくるのか、
守るのかが問われると思います。
竹内先生は全寮制も構想しているとのこと。
なるほど、と。ここまでの話が見事につながります。
私自身、コロナ禍が明ける頃から、意識的に
「心と身体が動く体験」を増やしてきました。
学生にも、
教室の中だけで完結するなと言っています。
自分がここ数年やってきたことは、
そんなに間違っていなかったのかな、と。
この記事を読んで、少し勇気をもらいました。
ちょうどいま、2027年度から新しい体制で始まる
常見ゼミの募集要項を書いています。
変わり続ける社会で、大学で何を学ぶのか。
どんな若者を育てたいのか。
というより、若者と一緒に、何をやらかすのか。
もう一度、考えてみようと思います。
そうそう。
10月24日夕方、
来年1月24日夜、
4月4日夕方の予定を、
いまから空けておいてください。
10月はライブ、
1月はちょっと特別なライブ、
そして4月4日は、
著者デビュー20周年の誕生会です。
AIにはなかなかできないことを模索し続けます。
はい。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
最新作『日本の就活』(岩波新書)
https://d.bmb.jp/9/1454/10926/XXXX
をよろしくお願いします。
一昨年、リリースした
『50代上等!理不尽なことは
「週刊少年ジャンプ」から学んだ』
(平凡社新書)
https://d.bmb.jp/9/1454/10927/XXXX
もよろしくお願いします。
読者の人生が変わる
キッカケになっているようです。
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朝日新聞デジタルでコメントをしております。
https://d.bmb.jp/9/1454/10928/XXXX
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ヤフージャパンでコメントをしております。
https://d.bmb.jp/9/1454/10929/XXXX
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◆◆━━━━━━━━━
2.記事傑作選
━━━━━━━━━◆◆
純粋本田由紀批判
なぜ「遺伝」を持ち出してしまったのか?
https://d.bmb.jp/9/1454/10930/XXXX
続・純粋本田由紀批判
それでも本田由紀をキャンセルしてはいけない
https://d.bmb.jp/9/1454/10931/XXXX
MARCH卒、日東駒専卒では不利になる…
就職でも昇進でもない
「学歴が足をひっぱる人生の勝負どころ」
【学歴フィルター3選】
https://d.bmb.jp/9/1454/10932/XXXX
ポッドキャストエピソード
#03_『僕たちはガンダムのジムである』
|常見陽平|日経ビジネス人文庫|
https://d.bmb.jp/9/1454/10933/XXXX
◆◆━━━━━━━━━━━━━━━━━
3.常にミテイル これがキニナル
━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◆
【そういえば、いつの間になくなったシーン】
先日のNHKの特集ドラマ
「手塚治虫の戦争」に触発されて、
祥伝社から出ている手塚治虫の戦争漫画を
まとめた新書を3冊購入した。
『手塚治虫傑作選 「戦争と日本人」』(祥伝社新書)
https://d.bmb.jp/9/1454/10934/XXXX
『手塚治虫「戦争漫画」傑作選』 (祥伝社新書)
https://d.bmb.jp/9/1454/10935/XXXX
『手塚治虫「戦争漫画」傑作選Ⅱ』 (祥伝社新書)
https://d.bmb.jp/9/1454/10936/XXXX
である。
まだすべては読めていないが、
戦争に対する彼の問題意識が、
ひしひしと伝わってくる作品群だった。
同時に、読んでいてハラハラもした。
古い作品なので、
当然ながら表現も当時のままである。
私が読んだ中では、
とりわけ女性の容姿について、
かなり露骨に描いている部分が気になった。
要するに、きれいな人をチヤホヤし、
美しいとは言えない人を露骨に嫌がるという
シーンがあった。
ストレートに言うと、
「美人」と「ブス」ということだ。
この言葉も、実に久々に使った。
まあ、藤子・F・不二雄の『ドラえもん』だって、
しずかちゃんとジャイ子がいまだに登場し。
やや、露骨に比較するシーンもあり。
なかなか考えさせられる。
こうした描写に私自身が引っかかるということは、
40年、50年の間に社会だけでなく、
自分の感覚も変わったということなのだろう。
古い漫画や映画では、こうした問題について
注記が添えられていることがある。
今回購入した本にも、
手塚プロダクションと祥伝社から、
次のような文章が掲載されていた。
長い引用だが、紹介したい。
読者のみなさまへ
手塚治虫氏の作品の中には、
さまざまな国、時代の人物が登場しますが、
その一部について、
人種差別や偏見につながる表現だとの
指摘がなされることがあります。
これら作品が発表された当時、作者にはもちろん、
読者にも差別意識はなかったのですが、
今日、こうした描写を
差別や偏見と感じる人がいる以上、
その声には真剣に耳を傾けねばなりません。
私たちは著作者の原作を尊重し、
作品の底に流れるヒューマニズムを
正しく伝えるべくそのまま紹介いたしますが、
読者のみなさまには、
ともすれば私たちが見落としがちな
人種差別や偏見について、
いっそうのご理解を深めていただければ幸いです。
手塚プロダクション/祥伝社
ここで少し引っかかった。
「これら作品が発表された当時、
作者にはもちろん、読者にも
差別意識はなかった」という部分である。
本当だろうか。
当時、その表現によって
傷ついた人はいなかったのか。
「差別するつもりはなかった」ことと、
誰も傷つかなかったことは同じではない。
いまなら、
そこはもう少し慎重に書くのではないかと思った。
一方で、
作品を削除したり、書き換えたりするのではなく、
原作をそのまま残し、そのうえで
読者に考えることを求める姿勢には誠意を感じた。
手塚のヒューマニズムはひしひしと感じた。
過去を現在の基準だけで
裁けばいいとも思わないし、
「昔はそういう時代だった」の
一言で済ませていいとも思わない。
残すからこそ、何が変わったのか、
何が問題だったのかを考えることもできる。
SNSの時代、日常的に
正義の裁判のようなことが
行われているが、
物事の様々な立場、見方、
グラデーションを捉えなくてはならない。
ふと、40年くらい前、
小学生だった頃を思い出してみた。
思えば、いまなら地上波でそのまま流すのは
厳しそうなシーンが、
日常的にテレビに登場していた。
ドリフの番組は身体を張ったネタだらけだったし、
ゴールデンタイムには、
いわゆる「お色気シーン」も普通にあった。
唐突に女性の裸体が映ったり。
「ポロリ」というやつだ。
家族でテレビを見ていて、
親や祖父母が何も言わずチャンネルを変える。
あの微妙な空気も含めて昭和である。
ドラマやアニメでは
スカートめくりが笑いとして描かれ、
容姿をからかうことも珍しくなかった。
『ドラえもん』ですらそうだ。
ゴールデンタイムの熾烈な視聴率競争を繰り広げた
『オレたちひょうきん族』も、
いま振り返るとなかなかすごい。
身体を張った笑いもそうだが、
セリフや番組中で流れる曲の歌詞も
かなりきわどかった。
「タケちゃんマンの歌」には
吉原、堀の内、中洲、すすきのと、
歓楽街の名前がそのまま出てくる。
最後がニューヨークなのだが、
入浴とかけているのは
言うまでもない。
小学校低学年だった私は
何を言っているのだろう
と思ったのだが。
この点で、
私は『鬼滅の刃 遊郭編』で
小1、小2の頃に遊郭に目覚め、
浅草で人力車に乗る際に
「吉原遊郭に行きたい」と
言い出し、ツアーに出かけた娘に
完全に負けている。
そういえば当時、現在のソープランドは
『トルコ風呂』と呼ばれていた。
番組の中でも普通に『トルコ』と言っていた。
ちなみに、この「タケちゃんマンの歌」を
作曲したのは、実はEPOである。
「あみだババアの唄」を
作詞・作曲したのは桑田佳祐だ。
さらに余談を続けると、
「トルコ風呂」という名称は、
日本で暮らすトルコ人から
「国の名前を
性的サービスと結びつけないでほしい」と
声が上がったことをきっかけに見直され、
公募を経て「ソープランド」に変わった。
その訴えを受け止め、名称変更に動いた一人が、
のちに政治家となる小池百合子氏だったという。
当時、使われていた言葉や表現が、
いま見ると引っかかる。
逆に言えば、言葉が変わった背景には、それを
問題だと声にした人がいたということでもある。
そして、その声が届くまでには時間がかかった。
私が好きなプロレスもなかなかである。
ゴールデンタイムで流血試合が放送され、
レスラーの額から血がドロドロと流れていた。
そもそもプロレスは
暴力を表現として扱うジャンルではあるが、
いま振り返るとずいぶん刺激が強かった。
現在は地上波でプロレスを見る機会自体が減り、
流血試合も一部を除けば少なくなった。
血が流れる試合や団体と、そうではないものが
完全に分かれてしまった。
ここで、なんで血が流れなくなったのか、
何か大人の事情があるのではないか、
と勘ぐってはいけない。
深夜番組はさらにきわどかった。
テレビもラジオも性的な話題をかなり露骨に扱い、
アダルトビデオの新作紹介が
地上波で流れていた時代がある。
関西出張の際にホテルでサンテレビをつけ、
「まだこのノリが残っているのか」と
絶句したこともある。
おじさんの「昔はよかった」話として、
聞いてほしいわけではない。
あくまで当時の記憶の紹介だ。
時代とともに地上波テレビは
だいぶマイルドになった。
コンプライアンスという言葉も
すっかり定着したし、
差別やハラスメント、暴力などについて、
以前なら見過ごされていた問題が
可視化されたことは、大きな前進だと思う。
ただ、刺激の強い表現そのものが
世の中から消えたわけではない。
むしろ配信サービス、動画サイト、
漫画、ゲームなどへ場所を移し、
年齢制限や課金の壁の向こう側では、
昔の地上波よりはるかに過激な表現にも
接することができる。
娘に付き合って『チェンソーマン』や
『鬼滅の刃』を映画館で見たときには、
別の意味で「ここまでやるのか」と絶句した。
「怖かったよ」と伝えたところ
「『ジョジョの奇妙な冒険』を読んでいる
パパには言われたくない」と言われた。
だから、この問題は少し場合分けをした方がいい。
人種や性別などについて
差別や偏見を助長する表現の問題と、
エロ、グロ、バイオレンスなどの表現の問題は
重なる部分はあっても同じ問題ではない。
また、何を表現するかだけでなく、
どこで、誰に、どのような形で
見せるのかも重要である。
地上波のゴールデンタイムと、
自分で選んで料金を払い、場合によっては
年齢確認までして見るコンテンツを、
同じ基準で扱っていいのか。
駅や公共施設の広告のように、
見たくなくても目に入るものと、
自分で本を買ったり配信サービスを選んだりして
見るものにも違いがある。
さらに言えば、「不快だ」「問題だ」と
指摘される表現があったからといって、
すぐに禁止すればいいとも思わない。
具体的な権利侵害や被害が生じているなら、
もちろん救済は必要である。
しかし、表現の世界は、
一度「問題になりそうだからやめておこう」という
空気が広がると、必要以上に縮こまりやすい。
ここで、いつも
小さな声も捉えた
丁寧な議論が必要なのである。
だからこそ、
規制はできるだけ慎重であるべきだと思う。
問題があるなら、
何が問題なのかを具体的に考える。
対象年齢を設けるのか、
場所を変えるのか、
注釈をつけるのか、
それとも本当に削除や禁止が必要なのか。
全部まとめて消すより、
できるだけ細かく考える方がいい。
なぜ、NGなのかも、だ。
多数決で決めるものでもない。
多数決で決めていたら
少数派、弱者の意見はいつまでも
反映されない。
ここで大事なのは、
批判と規制も別物だということだ。
「この広告はおかしい」
「この描写には問題がある」と
声を上げることまで封じてはならない。
SNSでは、「その表現は問題だ」と言えば
「表現の自由を奪うのか」と返され、
「表現の自由も大切だ」と言えば
「差別を擁護するのか」と返されることがある。
簡単な二択ではない。
別の視点で気になるのが、
作品の中で描かれる社会と、
現実の社会との距離である。
この10数年、
CMとジェンダーをめぐる炎上が何度も起きた。
料理や家事を女性だけが担うような描写、
女性の容姿を必要以上に強調する表現などが
批判されてきた。
こうした議論によって広告表現が変わったことには
意味があると思う。
しかし、広告の中から性別役割分業を消せば、
現実の家事分担まで自動的に変わるわけではない。
広告やコンテンツだけが変わり、
現実の社会が変わらないのなら、
それこそフィクション、ファンタジーになってしまう。
私は男女共同参画に関するイベントなどで
自己紹介するとき、
「兼業主夫です」と名乗ることにしている。
買い出しや料理をかなり担当していると話すと、
女性の参加者から「すごい」「羨ましい」という
反応が返ってくることが、いまでも少なくない。
男性の家事・育児について
関心の高い人が集まる場でも、である。
その反応をもって
「何も変わっていない」と言うつもりはない。
むしろ、表現や意識の変化に比べ、
家庭内の役割分担、働き方、
長時間労働、所得など、
現実の制度や生活を変える方が
ずっと時間がかかるのだと思う。
CMなどの表現を見直すことも大事である。
しかし、それだけで
現実の家事分担や働き方まで変わるわけではない。
表現の変化を、
制度や生活の変化につなげていく必要がある。
よく「時代に合わせて
アップデートしなくてはならない」と言う。
しかし本当は、
時代が変わったから突然大事になったのではなく、
昔から大切だったことが
見過ごされていた場合も多い。
傷ついていた人がいなかったのではない。
傷ついていた人の声が聞かれていなかった、
あるいは声を上げにくかっただけかもしれない。
その一方で、表現というものは、
どうしても人をざわつかせる。
笑わせたり、怒らせたり、怖がらせたり、
ときには不快にさせたりする。
それを全部なくしてしまえば、
表現そのものが痩せてしまう。
人を傷つけることや権利侵害を減らしつつ、
表現の幅をどう守るのか。
面倒ではあるが、考え続けるしかない。
今年感動した映画
『ストリート・キングダム』では、
ロックに生き、ときには一線を越えそうな
パフォーマンスをする若者たちを見た。
配信されていたので夫婦で見た。
私は何度も号泣した。
本田由紀先生のSNS投稿をめぐる論争にも
巻き込まれた。
そんなことが続いたせいか、
最近、表現と人権について考えることが増えた。
少し前の漫画を読む。昔のテレビを思い出す。
すると、
「昔はひどかった」「いまは窮屈だ」という
単純な話ではなく、
この40年で何が変わり、
何がまだ変わっていないのかが見えてくる。
古い作品を見ることは、
単に昔を懐かしむことではない。
いま自分が立っている場所を
確かめる作業なのだと思う。
◆◆━━━━━━━━━━━
4.人生相談バカ一代
━━━━━━━━━━━━━◆◆
Q. AIに、どこまで頼っていいのでしょうか?
仕事でもプライベートでも
生成AIを使う機会が増えました。
便利なので、調べ物や文章作成、相談など、
つい何でもAIに聞いてしまいます。
一方で、このまま頼っていると、
自分で考える力が落ちるのではないかとも
不安になります。
AIには、どこまで頼っていいのでしょうか?
A.頼り方を見直しましょう
この問題について危機感を抱いていること自体は、
なかなかナイスです。
私からのアドバイスは、
まず、自分がAIに何を頼んでいるのか、
一度棚卸ししてみることです。
「AIに頼っている」と言っても、
その中身は人によってずいぶん違います。
日々、大学生と接していますが、
レポートにしろ、
就活のエントリーシートにしろ、
「ああ、丸投げしているだけだな」と
感じることがあります。
しかも、丸投げすると、
AIの能力さえ十分に引き出せません。
検索すればすぐ出てくるようなことを聞き、
最初に返ってきた答えをそのまま使うわけで。
これでは「AIを使っている」というより、
Google検索の結果をコピペするより
雑なことをしているだけだったりします。
逆に、AIをちゃんと使おうとすると、
意外に頭を使います。
何を聞くのか。何を前提として渡すのか。
どんな条件をつけるのか。
反対意見も出してもらうのか。
逆質問してもらうのか。
資料を読ませてから考えさせるのか。
出てきた答えのどこを疑うのか。
『日経トレンディ』『DIME』あたりのAI特集を、
図書館でいいので眺めてみてください。
「私、AIを使いすぎかも」と思っていた人が、
逆に「全然使いこなしていなかった」と
気づくこともあるでしょう。
つまり、「AIを使う=頭を使わなくなる」
とは限らないのです。
使い方によっては、むしろこちら側の
問いの立て方や判断力が問われます。
昔、Googleが普及し始めた頃も、
「若者は自分で考えず、
すぐ検索するようになった」
などと言われました。
では、Googleによって
人間はみんなバカになったのか。
電卓を使うようになって、
人間は計算能力をすべて失ったのか。
そう単純な話ではありません。
ただし、便利な道具によって、
使わなくなる能力があるのも確かです。
ここが大事です。
いま起きつつあるのは、AIを使うことで、
一見すると高度なことができているのに、
基礎的なことができなくなる、という現象です。
文章はそれらしく書けるものの、
自分では要約できないとか。
立派な企画書はできるのだけど、
でも、口頭では説明できないとか。
難しい分析結果は出せるものの、
その数字が何を意味しているのかわからない、と。
スポーツで言えば、
試合だけうまくこなしているように見えて、
素振りや筋トレをしていない状態でしょうか。
地味な基礎練習は、AI時代だからこそ、
意識的にやった方がいいのだと思います。
自分で文章を書いたり、本を読んだり。
頭の中だけで考えてみる。
他にもアナログな行為ですね。
遠回りですよ。コスパもタイパも悪いでしょうよ。
でも、遠回りだから身につくことがあります。
そして、もう一つ大切なのが、
AIの外側にある時間です。
本を読む。人と話す。知らない場所へ行く。
ライブを見る。演奏する。映画館で映画を見る。
料理をつくる。美味しいものを食べる。
街を歩く。運動をする。
私はこういう時間を
かなり意識してつくっています。
AIは大量の情報を整理してくれますが、
「自分はなぜこれが好きなのか」
「なぜこれは許せないのか」
「この人と一緒に仕事をしたいか」
といった感覚まで、
代わりに生きてくれるわけではないからです。
最後に「これでいく」と決めるのは自分です。
AIに頼っていいですけど丸投げはしないわけです。
AIを使うな、ではありません。
AIに使われるな、です。
とことん、人間らしく。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
皆さんからの人生相談メールを
お待ちしております。
件名に『人生相談』とご記入の上、
ペンネーム(実名も可)、
年齢(可能であれば)、
性別、相談内容をお送りください。
yoheitsunemi@gmail.comまで!
よろしくお願いします!
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
配信停止等はこちらのURLからお願いします
https://d.bmb.jp/9/1454/10937/XXXX
発行人:常見陽平
お問い合わせ先 E-Mail
yoheitsunemi@gmail.com
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